2020年5月20日水曜日

91年の人生

今日、昼過ぎに91歳のおばあさんが亡くなられました。

高度の気管支拡張症や心不全、陳旧性の結核等諸々の呼吸器疾患を持っている上に、左脚は終戦時に大陸から逃れてくる途上で怪我をし悪化、それを中国人軍医に切断されて一命をとりとめつつ中国大陸に何年も残って看護師として働いていたとのこと。終戦後、最終便から二番目の帰国船に乗って昭和32年になって日本に戻ってこられたとのことでした。

お婆さんの口癖は「戦争なんて絶対するもんじゃないよ!」でした。経験した者のみが言えるシンプルで重い言葉でした。

おばあさんは元気な頃、私の手を握りしめながら「当時は中国語も普通に喋れたんだけどやっぱり使わなくなったら忘れちゃうわね!」と言ってお話をしてくれました。
「先生、いつもありがとう。先生、本当に先生が私の仏様。」と言っては毎回本当に仏様を拝むように手を合わせてこられたので、「お母さん、俺はヤブ医者だしそもそも未だ死んどらんよ!w」と言っては二人きりで病室で笑ったものです。

外来に来られてはお元気な姿を見せてくれつつも、何度も繰り返す心不全と呼吸不全を治療してはその都度入院と退院という感じでいつもは施設に戻っていかれましたが、今回はそれも叶いませんでした。
ナースから院内電話でコールがあり「大量の喀血をされました」との報告。何度も何度も少量の喀血をされては止血剤が効果を示していたのですが、繰り返し波のように襲ってくる心不全、呼吸不全の上に今回のインシデントが重なり最終的に命の灯火が消えてしまいました。

結核も再発すること無く、心不全もかなり上手くコントロールできていたこともあり、何とか施設に返してあげたいと心の底から願っていたのですが・・・。

身よりもない方あであったため、NPO法人の方が来られて御遺体を一緒にお見送りくださったのですが、その方から「いつも電話してきてはいつも親切にしてもらって幸せですよ、私は。」と言って下さっていましたよ、との話をこの方から伺って涙。

このお婆さんと入院中に病室で個人的に大変親しくなり、梅が咲いては梅の花を、桜が咲いては桜の枝を花と一緒に持ってきてくださっていた或る心優しい看護師さんがいらっしゃったのを思い出して、移動していった病棟に電話して亡くなられた事を伝えたところ電話口の向こうで無言になってしまいました。

出棺のときには私自身が別れ難く、葬儀社の方にお願いして車に入れる直前にお顔を覆っている布をそっと取らせていただき、綺麗に化粧されたそのお顔に向かってお礼の言葉とお別れの挨拶をさせていただきました。

その時、その看護師さんが涙で真っ赤になった眼を隠しながら見送りの看護師さん達の奥に隠れるように立っていたのに気づいたので、私が前に来るように促しお婆さんの顔を一緒に見ていただいたのですが、もう次から次に涙が溢れて声を出さずに嗚咽するばかり。心優しいこの看護師さんは車に入っていった御遺体にも横からお話をされていました。

例え血は繋がっていなくても、出会いの期間は短い間でも、心が繋がる出会いがあることを再び確認した私でした。

人生で非常に大きな苦難を背負われてもそれを全く表に出すこともなく、いつも淡々と飄々とした風情で前向きに生きてこられた「目立たずとも偉大な人生」に深く礼をしてお婆さんの来し方を胸に刻ませていただきました。

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