2020年5月18日月曜日

医療裁判と病院と医師

通常、病院の規模が大きくなればなるほどなんらかの医療訴訟を抱えるリスクが高まります。

単純に患者さんの数が増えると予想の斜め上を行くような事件が起きたり、新人の看護師さんや医師がやらかしてしまったりという事がリスクの積み重ねとして起きてきます。

大学病院などで医療事故や医療訴訟を担当している人物たちに話を聞くと、聞いているこちら側が疲れてしまうような案件が本当に沢山有ることに驚かされてばかり、実際に大学では医療訴訟関係の講座のなり手は誰も居ないという感じだそうで、他の教授達が三顧の礼をもって人物を据え付けてその任に当たらせるなどというパターンが有るらしいのですが、その人物の話を伺ったところでは「週明けがゲンナリ」することが多いんだそうです。理由はその前の週までに溜まっていた案件を翌週の月曜日に各医局がまとめて持ってくるかららしいのですが。

しかも、その医療訴訟やその萌芽になりそうな医療ミスに対しては各医局で対応の温度差が激しく、「これは直ちに対応しなければ!」という様な案件でもまるで他人事のように我関せずで、医療事故の委員会にことの一部始終を寄越して終わりにしようとする所もあるとのこと。こういったところにはこの人物も相当頭に来ることが多いという当然の話しをしてくれましたがこれが毎週毎週有るというのですからなんとも割に合わない仕事です。

私が同じ立場だったら眠れないな・・・。確実に不眠症になりそう。白髪やシワが増えてしまうこと確実だろうし、たとえその役職を下りた後でもいろんな形でフラッシュバックが出てきそうです。自分が全く関与していない種々の診断や施術上のミス、もしくはミスとは言えないのに絡んでこられた訴訟に関して怒り心頭の家族に取り敢えず面会や謝罪を行う機会も多いことでしょう。

立っていたらあらぬ方向から弾丸が飛んできて、その弾丸を処理し損ねたら無関係な自分が死ぬという世界。私ならそんなの絶対イヤです。年収1億でも絶対やりたくない仕事です。

私の勤める病院も巨大ですので訴訟のリスクは至る所に潜んでいます。私自身は精神科ではないので「えええ?」と言うような意味不明のリスクと遭遇することは余り無いのですが、病棟内で起こる患者さん同士のイザコザや喧嘩での怪我などでも「管理責任」の名の下に医師と病院の責任にされるのが昨今の風潮。

もう本当に患者さん達の横にいつも立って24時間看ておかないといけないんでしょうか?といような理不尽な訴訟を病院に起こす家族も居て、病院長が「先生の参考までに」等と言って見せてくださる他の先生が抱えている訴訟の案件などを読むことが数回あったのですが、これのどこが訴えられる要因を含んでいるのか最後まで理解できない訴状も幾つかありました。

逸失利益X千万、これに弁護費用X万と一日の利息0.0X%を付加してX迄に支払うこと・・・等というのが何だか定型句だと最近では理解しているのですが、医師会などでもこういった訴訟の妥当性を検討し、受けて立つべきかどうかなどの助言を毎回してくれるんだそうですが、その多くが訴訟を起こした方には悪いけれど、これは起こした方は裁判費用もネガティブでしょうというような案件。

疾患に対する怒りの矛先を向けるのは解らないではないのですが「医師は何でも救って対応できる神様ではない」という単純な事実を多くの例で忘れているのではないかと思えるのです。その結果、多くの案件が時間とお金だけを費やして双方にとって只々消耗戦となるようなケースを沢山見ています。

勿論、明らかなミスも有るわけですからその様なときは患者さん側も理路整然と訴訟を起こして来るのは全く理に適っているとは思うんですけどね。こういう感じで訴訟が増えると本当に医師の心の疲労度は上がりやがては医師の行う仕事が高度医療からなるべくかけ離れたバック・パス(責任回避と他へのリスク回し)ばかりになるような気もしないではないです。
そうならないことを祈っては居ますがアメリカの大病院の前に弁護士事務所が軒を連ねているのは今や当然の風景ですからね。それが日本でも馴染みの風景にならないとは誰も言えないところが辛いです。


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