2020年3月29日日曜日

人の車はかえって運転できない時代になってきた

本当にいろんな車に普通に各種の安全装置が付くのが当たり前の時代になってきました。

最初は30年くらい前だったでしょうか?サイドインパクトビームがドアの内張りの中に張られること自体が安全の宣伝になるような牧歌的な時代がありました。
同じようにABSが次第に高級車から普通の車でも当たり前になってきました。そのあとは暫くエアバッグの数を競うような頃もありましたね。それでも結局の所、ボディー自体が潰れては意味がないということでホンダやトヨタなどがそれぞれそのボディーのフレーム構造に名前をつけて数年間元気に宣伝したような?

結構そういう技術の流れがあった後、いよいよカメラやセンサーを使って周囲の情報を逐次処理しながら安全を競う時代が来たのですが、最初は追随時の車間距離維持や警告を出して自動ブレーキを踏むもの。そのうち車線の維持や後退時の警告とその自動ブレーキ。その次のステップでは交差点を曲がる時の警告や自動ブレーキ、更にはステアリングを自動で切ってくれて危険回避をしてくれる車も結構高級車を中心に出てきています。

その上でかなりのレベルで自動で車線を認識して、自動で速度を調整して自動でステアリングを切ってくれる車もかなりの数が出てきました。これらは本当に相当のレベルまで進んできたとはいうものの、いわゆる人が「完全」と呼べるような自動運転にはまだまだ届いていません。まだまだ!

勿論、十年前であれば各社の実験用周回路などで、まさに「実験」段階だったものが今では普通に各社から売り物として出ているわけですから凄いものです。
結局、人間が想像できるものというのは遅かれ早かれいつかは形になるんだな~というのがこのようなものにおいてもよく示されるわけです。

しかし、ここで問題が・・・。

仕事で他人の車に乗ったときなどにはたとえ安全システムがいろいろ搭載されていても、その安全システムのカバーする範囲と質がそれぞれ全く違うために、自分の車では「いつのまにか」ここは安心して任せられる!というようになってしまっているシステムが他人の車では「そうじゃない」もしくは「そもそも付いていない!」なんていう事はザラにあるわけです。

ですから、昭和・平成初期の車だったら全ての安全の責任は運転者自身であったものが、いつの間にか車のシステムに助けてもらっているという状態が増えてきているために、知らないうちに運転の癖というものがモディファイされてしまっていて却って人の車に乗ったときには安心できなくて緊張する時があるのです。

将来、技術が更に一桁上がればどの車を運転しようと相当に安全でベンツだろうが軽だろうがかなり同一の安全を約束されるのでしょうが、今はマダマダですね。

十年後にこの文章を読んで「時代とともに大きく進化した自動運転」という日が来ることを愉しみにしています。


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