2020年3月17日火曜日

死ねなくて泣くお爺さん

今日は弱り果てました。

バイトで行っている在宅のお爺さん。90を超えている方なのですが、高血圧で苦しんでいる方です。実際のところ前のお医者さんから貰った20種類程度の大量の薬をそのまま信じて飲み続けて居られるのですが、正直全くコントロールが出来ていなくて、薬を再度組み立て直すために循環器医の相談のもと慎重にいろいろとしていかなければならない方なのですが、この方大変抑うつ的かつ細かなことに対して自分なりの強固な思い込みが有るために当方の言うことを聞きません。w

この方がこちらを頼ってきた理由は推測なのですが、多分前のお医者さんもこの方の頑固さと融通の効かないことに痺れを切らしてサヨウナラをした可能性が・・・。

この方が本当に切々と私に語るのです。
「先生、若い頃は子供が居なくても何とも有りませんでした。」
「しかし歳をとって妻が死んで15年誰も一緒に居ない一人ぽっちの生活なんて本当に本当に地獄です。一人で家で死ぬことを考えるだけで恐ろしくて・・・わかりますか、先生!」と言って大声で顔をクシャクシャにします。

90を過ぎても心の安らぎを得るどころか、死に向かって日々突き進む自分の気持を整理しきれずに薬をそれこそランダムにボリボリと貪り、飲み込む姿は本当に哀れという言葉以外の何者でも表現できないような状況。

このコロナ禍の中で、老いた体に鞭打って90過ぎて自分の手で車を運転しながら食料品を調達せねばならないという現実は本当に壮絶なものがあります。頭も体も限界ギリギリでなんとか一人暮らしができるため、逆に名古屋市のリッチなサービスが受けられないという皮肉な有様。

子供や孫という「未来」はたとえ苦労の種であっても見るべきもの、期待すべき何かがあるという意味ではやはり人生には必要な、大事なファクターなのだと感じた今日の診療でした。

ボケずに死ねないのに、何の未来も自分を待っていないというのは、魔女からかけられた呪いとして周りで知っている愛すべき人々が、次々と老いて亡くなっていくのを見続ける定めを持った「永遠の命」を約束されたホラーのようなものだと感じた次第でした。


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