医学部の外の世界の人には医学部における解剖実習なんて言うのはどういう世界なのか全くわからないでしょうし、私自身も他の医学部ではどういった感じの解剖実習というものを行っているのか実際はよく知りませんので、己の経験しか書くことはできないわけです。
我々医師にとっての妥当性のある近代解剖学というのは16世紀初頭のベルギー人であるヴェサリウスに始まると考えるのが妥当だと考えられます。西洋絵画の中に出てくるようなたくさんの人間が一人の遺体を解剖する人間の周りに集まって人の体というものを解剖しながら理解していくというのが、医学教育としての近代解剖学の始まりで、床屋兼外科医の延長線上にあった人々の知識に深みを加えていくわけです。
その大先輩方の苦労の集積を辿る形で医学部の解剖学というのが授業として行われるわけですが、我々の頃は4人で一人の御遺体を解剖するというのが標準形でした。ほぼ40年前の出来事ですから、今はどうなっているのか知りませんが、少なくとも当時はそうでした。
解剖の実習が始まる前にそれぞれの献体が亡くなられた死因の簡単な説明や、解剖にあたっての心構えなどの説明もありました。
実務では上半身・下半身という感じで解剖の担当が分かれていて、私は男性の御遺体の上半身を担当させてもらい教科書であるグレイ解剖学の図譜に従うように解剖を行いながらの実習でしたが、御遺体によって時々見つかる変異(ヴァリエーション)を見つけては教授や講師の先生に報告していました。多かった変異は馬蹄腎や血管走行のヴァリエーション。特に血管走行に関しては教科書に書かれているのは最も標準的なものであって、中には走行がdualであったりするものが稀ならず見つかったものでした。
解剖の実務は実際に解剖それ自体よりも「臭い」というか保存剤のマテリアルであるホルマリンに悩まされました。最初の頃から刺激臭が鼻腔に襲いかかってくるわけですが、最初は慣れたと思っても、私の場合は今度はある一定時間以上御遺体に向かい合っていると物理的に不味いレベルでホルマリンによる鼻腔の刺激痛がしてくるような事態に陥っていました。
それでも、昼休み時で誰も居なくなってしまうような解剖実習室で皮を外し神経の分枝や骨を露出した状態になっている首だけになった献体と向かい合っていてもそこには恐怖・ホラーなどというものは存在せず、その方が生きていた頃はどんな事をしていたどんな方だったんだろう?というような生の空想のほうが支配的になるのですから不思議なものでした。
今の時代、貧しさ故に自分の体を葬式に出せずそのまま献体登録して最後は合同葬にしてもらうように仕向ける人々が多いとか多くないとか…。我々の頃は当時、不老会という献体組織が大学にあり、病院やその他からの献体集めがなされていたというのですが、国立ではそれほどではなくとも、私立の医学部では献体集めは大変で解剖実習も8人で一献体などと言うことも噂で聞いたことがありましたが、今はどうなっているのか…。
臨床で医者になっている今だからこそ、解剖実習というものに改めて参加して人の体に関してリアルに学び直したいと思う還暦直前のオッサンでした。
4 件のコメント:
「バカの壁」を書いた偉い先生…というイメージしかなかったのですが、養老孟司さんは解剖学者なんですね。
たまたま昨日、プレジデントオンラインのこんな記事を見つけました。
ホルマリンについても書かれています。
「机の上に置いておくと、みんな逃げるね」解剖学者の養老孟司がヤクザを撃退するために使った"アイテム"
https://president.jp/articles/-/88956
献体については順天堂大学ではこのようになっているそうです。時間もかかるし、献体されるご本人もご遺族も医学の発展のために貢献されていてすばらしいです。
順天堂大学・献体遺骨返還式
http://sonics.air-nifty.com/blog/2022/03/post-df2aec.html
ありがとうございます。
実はリンクを記事中に張っていたのですが、リンクが薄くて見えづらかったと思います。しかし、順大の記事は興味深いですね。うちの大学の教授は当然のように御自身の体を献体されたようですが(既にかなり前にお亡くなりになっています)、畏れ多くて一体誰が解剖するのでしょうか???
私はまだまだそんな気持ちになっておりませんで、煩悩の塊です。
基本的には焼いて撒き散らして欲しい方なんですが、理想は行倒れで体も見つからず腐れ果てることです。w
リンクの件、気付かずすみませんでした。
教授ご自身の献体、頭が下がりますがやっぱり緊張するでしょうね!
いや~、やっぱり己の恩師であった元教授等という方の解剖など絶対レベルで無理だと思います。そういう方の解剖はおそらく講師陣による特別なものになると思われるのですが、我々のような下々の部外者には預かり知らぬ奥の世界の話のような・・・?
触らぬ教授に祟りなしです。w
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