2023年7月12日水曜日

Ryuchell・りゅうちぇるの死

りゅうちぇるの死に衝撃を受けました。

そして、彼がまだたったの27歳という若さだったという事実に二重の衝撃を受けました。以前から彼に関しては「生物学的な性別とは異なる性の自覚がある人だろうな」と当然のように思っていたのですが、昨年の記述で改めてその事を表明していたことを今回の自殺の後に知りました。

自分の性同一性障害を表明しなければ周りに受け容れられない本人達の世の中での生き辛さを考えるとこちらが辛くなります。私は世の中でゲイとかオカマとかホモとかレズビアンとか言う呼び名や呼ばれる人達にそもそも何の違和感もなく生きてきた人間です。自分自身はシンプルに女性が好きですが、だからと言って性の複雑性や多様性を考えると、生物学的に男性の表現型である人間が自分を心理的に男性と自覚するかということは全く別の問題。それは反対の生物学的表現である女性であっても全く同じでしょう。

その差を作り出すのはホルモンやそれらの受容体、それに加えて、性にまつわる体験や社会的背景による性への自覚の差など多様な要素があることでしょう。だからと言ってそれは本人の意識の問題であって、我々が外野からつべこべ口を挟むような類のものではないはず。

たとえそれが自分の感じる世界と異なるものであろうと、一言でいうと「ああそうなんですか?」と言う感じで受け止めれば良いだけのこと。今の時代、そういう性的指向のある人が好きな人をお互いにマッチングでパートナーを見つけ出せば良いのです。

りゅうちぇるが女性としての生き方を選んだ後に子育てを放棄しているとか言う恐らく事実とは全く異なる話も含めて、彼の生き方に対するありとあらゆる誹謗中傷を行う一群の人間達が居たようですが、彼らはりゅうちぇるに自死を選ばせたことで喜びを得ているのでしょうか?それとも死に追いやったことを形だけでも「悔いている」のでしょうか?

他のみんなも書いていたんだから自分の罪は小さいと思っているのならそれは大きな間違い。なんの罪も無い人の生き方に干渉して死に追い込んだ連中は等しく罪を負うべき。顔が見えないから、本気で言った訳ではないからと言うのであればその程度の人物達の生涯は人を差別する根拠のない優越感で成り立つunder dogとしての惨めなものでしょう。

何よりも、そんな人間達をも理解し、包み込もうとしてあげたりゅうちぇるの最後の苦しみと優しさをわかってあげることこそがそんな人間達に出来る生涯の償いではないでしょうか。

全く必要のなかった死を選んだりゅうちぇるの魂に合掌するとともに、残されたぺこさんとその子供さんのお気持ちに思いを馳せるものです。誰も自分の選ぶ性別で死ぬ必要はありません。絶対にどこにも。

もう本当に性同一性の問題で自死を選ぶ人を見たくないのです。



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