古語辞典を読んでやっぱり思うんですよね。
学校で試験に縛られない分「細かいところ」に囚われずに、時間に追っかけられること無く中学高校の頃に「なんじゃコリャ?」と思っていたところが素直な心を持ってスーッとこちらの胸の中に入ってきます。
この歳になると日本語の周辺知識は新旧の時代を含め、中学の頃などとは比べるべくもなく遥かに深みを持って居ますので、古文に表現されている人の心の襞の仲間で「実感として」染み込んできます。言葉だけの理解ではとても追いつかない実体験、人生経験に根ざした理解はとても中高校生ではこうはいかないと思います。表面的に記述出来てテストで良い点が取れても、その言葉の薄いこと…。
人生の短さ、人の命の儚さ…医療職に従事しているからこそ理解できるそういった「もののあはれをしる」という言葉が理屈無しに入ってくる感覚が今ここにあります。皺一つ無いお肌を持った中学女子がテスト用紙に満点の回答を書いても、顔中に皺を刻んだ何も解答用紙に文章を書けない爺さんのほうが古(いにしえ)の物語の本質をガッチリ掴んでいるのと同じだと思います。
しかし、それは仕方のないこと。こればっかりは人の哀しみや喜びの経験を重ねないと出てこない地層のようなもの。地層形成には暗いところや明るいところのみならず、砂礫、粘土、岩石、溶岩などまさに種々の差異ある物事が集まり積み重ならないと出てこない模様がある訳で、中高校生にはちょっとムリ。
と言う訳で、今こそ古文の読み直しをと思ってなるべく原文を間違いなく読めるようにするための勉強をこのオッサンは始めました。
ただ、今度は若い頃と違って「物覚え」のレベルが下がっています。そもそも私自身は極端に物覚えの悪い人でして、年表とか本当に丸出だめ夫レベル。理解力は上がっていても今度は記憶力が~の世界です。w
百人一首なども聞けば全部知っているんですが、それをじゃあ空で言えとか、作者と歌を繋げろとか言うことになると途端に「・・・」です。まあ、これは昔からですが、そこで私は歌の背景解説を何種類か読んでみて肉付けを盛大に行ってから覚えるようにしておくようにしております。そうすれば全体が物語になって忘れ難いですからね。ホントにこういうことに関してはネットは素敵~の世界です。
しかし、世の中には百人一首の時代背景と物語の構成をスラスラと言える人が無数に居る訳ですし、方丈記を古文のまま滔々と語れる人も居る訳ですから何とかその爪の垢くらいのところには与りたいものだと思います。
日暮れて道遠し…。
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