2022年10月10日月曜日

10月10日に思い出す悲しい出来事

58年前には東京オリンピックの開会式だったこの日。

何時も医学部の一年生だった頃の悲しい思い出が蘇ります。長崎大学に入って一年目、同じクラスに2浪して入ってきた同級生がいました。2浪の間どこを狙っていたのかは後になって知ったのですが、所謂、我が国トップの偏差値のT大の医学部だったそうです。そして彼の誕生日はオリンピック当日でした。

その後、魂が抜かれたような感じになったのでしょうが、次の選択肢として結局は彼の地元の長崎大学に何の問題もなく入りました。まあ、T大にチャレンジするだけの能力が有った訳ですから、長崎大学など極めて容易だったはず。

ところが、そこからがいけませんでした。医学部は医学部でも、もともと本人が望んでいた第一志望ではなかったと言う事で、抑鬱状態になってしまい学校が始まって暫くしてから授業に出てこなくなりました。私のように怠け者で出てこなくて他の事にうつつを抜かし、別の事に忙しくしているような生活ではなく、本物の鬱病に。

高校の頃も学校ではずっと成績が学年で一番であるような人物だったようで「失敗」というものに免疫がなかったようです。そもそも彼にとってはT大の医学部に入ることが夢であり目標。それ以外の事は失敗だったようです。

彼が授業に出なくなって暫く…。衝撃的な知らせが漣のようにクラスに伝わりました。春の寒さがまだ戻らなかった春すぎなのに、入学して僅かな月日しか一緒の時間を過ごす事の出来なかった彼が西海橋という橋の袂の藪の中で縊死を遂げ数日経っているのが見つかったのでした。

残されたのは脚の悪い父君と体の弱い御母堂。風の噂ではお父様が暫くして亡くなられ、更にそれを追うように御母堂も亡くなられたとのことでした。葬儀で見た御両親とも信じられないほど辞儀正しい素晴らしい方々で、父君はハンサム、御母堂は本当に美しく優しい方でした。そんな御両親を慟哭させた彼のことには当時、どうしようもない悲しみとともに正直「何やってるんだ!」という怒りの気持ちが強く湧き上がったのですが、私もあれから40年近く経ち彼の行いを責める気も有りません。

それでも思うのです。先立たれ「残された人達」はその先立った人物が素晴らしい人であればあるほど、心引き裂かれる人達の悲しみも深く広く長く続くのだという明白な事実を。

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