夜中の3時過ぎに嫁さんの携帯が鳴って何かを話し始めました。
実は昨日、小幡緑地に家族で散歩に行っていた時に嫁さんの妹からLINEでコールが入り、大学病院から移動した後のホスピス病院から電話が入って「鼻出血がなかなか止まらないのと、血圧が上が60位まで下がっている」とのことで、今から止血剤を使うとの話でした。それが義父にとってどういう事かは容易に推測できたので、自分の病態への推測を義理の妹に説明したところ、当然ですがやはり言葉が沈んだ感じになってしまいました。
そして今日の夜中の死去の電話。
義父と知り合って既に30年以上。五島で生まれ、大阪で若い時期を過ごし、友達とワイワイするのが大好きな人でした。ゴルフはスクラッチ・プレーヤーで朝も暗いうちからよくゴルフに行っていました。セコいことが大嫌いで、どちらかというと宵越しの金は持たん!と言う感覚の持ち主だったと思います。ゴチャゴチャとややこしいことは端から知らんと言うことの多い義父でしたので、私がやっていた基礎研究の話はほぼ一度もしたことがありませんでした。非常に優しいけれど気が短く、すぐに怒るんですが人情に厚く同時に猛烈に涙もろかった義父。義母には濡れ落ち葉と言えるほど「精神的に」依存していました。
内面的には物凄い照れ屋で、こっそりと気前の良いことをしてそれを表に出さない男前でした。いつも我々や孫たちに機会ある毎にいろいろと強引な名目を付けて沢山のお小遣いを配ってくれましたが、今度は私がその役を果たしたいなと密かに思うのでした。
義父は私にも恐らく物凄く言いたいことが色々とあった筈なのに、応援の言葉以外はほぼ全く私に語ることはありませんでした。このダンディズムと忍耐は「もし」私の子供たちに配偶者が出来た時にはコピーしようと思える姿でした。
タバコを吸わなければ恐らくもっともっと健康で長生きしてくれたのではないかと思うと本当に医師としては残念で、喧嘩をしてでも、もっと強くもっと早くから、しつこく「タバコを止めてください」と言うべきであったと今更ながら深く後悔するのでした。
私には嫁さんの本当の胸中を知ることなどとても出来ませんが、三人の子どもたちの中の長女として義父ともっとも長くその人生を共有した立場。義父の最後をどう受け止めたのかを聞くのも野暮かと思うのです。既に義父の子ども達三人とも立派な大人。お義父さんの一生をかけた作品ですので、お義父さんのお見送りも立派にしてくれることでしょう。、
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