LINEで沢山の写真が送られてきました。
通夜の前に髭を剃られ、顔に化粧を施されていく一部始終や、それを眠っている義父の頭の上で私の息子がスティービー・ワンダーのように頭をフリフリその様子を眺めているものでした。
その姿を見ていると、自閉症の息子は恐らく私が死んだ時にも、死の事がよく理解できずに、義父とのビデオに映っているのと全くおんなじ感じで私の死に顔を覗き込んで「バイバイ、バイバイ」とか言ってるんだろうな~と想像すると思わずニヤリと笑ってしまいました。私との別れは逆に湿っぽくなくて、そっちのほうが私自身も100倍良いですね。
綺麗に化粧された義父は顔が小さく見えるものの、本当に目をゆっくりと閉じて寝ているだけにしか見えませんでした。
タイム・スタンプを見る限りでは、葬儀自体は朝の十時から葬儀が始まり、読経が行われた後に少し混んでいる火葬場に出棺されたようで、昼の一時過ぎには火葬も終わったようでした。
葬儀が終わった後での親族での会食のメニューの写真その他がどんどん送られてきました。しかし、葬儀が終わってみると皆がカラッといい顔をしていたのは良かったですね。
これは義父が病気になって大手術を何度も経験し、その度に病状の進行と回復そして今回の化学療法の限界によって保存的に緩和療法に切り替わり、大学病院からホスピスへと移り比較的短い時間で多くの親族に見守られて安らかな最後を迎えられたことで皆が「お別れまでの長い時間」を過ごすことが出来たからだと思っています。
どんな時でも別れは年上から順番に告げていきたいものだと改めて思ったのでした。親しければ親しいほど、自分より若い人間が自分を越していくことにはどんな場合でも本当に耐え難いもの。
死は生物に平等に分け与えられたものですが、その順番は守っていきたいものです。
次に長崎に帰るときには墓参りで葬式に出られなかった親不孝を詫びなければなりません。
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