2021年9月11日土曜日

20年目の9/11

もう20年も経ちました。

正直もう20年?と言う感じで、あっと言う間の20年でした。あの日の早朝には未だマンハッタン島から離れたばかりで、疲れ果ててマイケル・ジャクソンのコンサートからNIHの友人と戻ってきて寝ていたところを嫁さんに叩き起こされた私でした。その事はこのブログの中に書いて居ます。俺も36だったとか・・・若いな。

10年経ったときの感想もまたこのブログに書き込んでいますが、この時に書いた気持ちは10年経っても全く変わっていません。結局、アメリカが一旦撤退すると決めた後はこれほどアッという間に撤退するとは思いませんでしたが、トランプが言い出したことを引き継いだ形で実行した感じになってしまいました。分裂する蛇の頭と一緒で、ビン・ラディンを消したところで何も変わりませんでしたね。

多くの死者行方不明者は悲劇的な死、全く罪の無い人達ばかりで誰一人として失わなくて良い生命でした。FDNYを中心として多くのヒーローたちが生まれましたが、本来ヒーローが生まれる瞬間というのは多くの場合「起きなくても済んだ」何らかの悲劇と表裏一体であることが多いのが現実です。

最近ではあのテロの現場に居た人達の中で発癌患者が増えているというような記事をネット上で見かけましたが、疫学的な調査の結果はどうなっているのか興味深いところですが、あの現場の粉塵の舞い散り具合を見ると、そういう物質が呼吸器等を通じて現場に居た人達に長期的な影響を与えなかったとはとても言えないだろうなと私は思うのです。

テロは未だに世界に蔓延り、己が信じた正義をお互いが相手に意見も聞かずにぶつけ合うばかり。宗教・原理主義のもとで小さな人間の脳味噌が考え出した小さな主義主張が自分の居場所を求めて右往左往している様を見ると本当に溜息が出るばかりです。

アフガニスタンや北朝鮮で生まれなかっただけでも人生勝ち組だなとは思うのですが、XX主義等という「イズム」が消えない限り、こういった悲劇は恐らく永遠に繰り返されるのだろうなと強く感じるのでした。それに、いつそういった「XX主義」が自分達の生活圏の中で暴れるかもしれない時代にならないと誰に言えるでしょう。実際、僅か数十年前にはこの日本にも自由な発言ができない世界が広がっていたことを絶対に忘れてはいけないでしょう。

無限に広い宇宙の中に浮かぶ「地球」というカタツムリの目玉のような小さなボールの上で、己の主義や欲望を永遠にぶつけ合っている様は他の高度に発達した生命体からはどういうふうに思われているのだろうかと時々考えてしまうのでした。

恐らく「あ~あ、またやってる。w」程度の反応なんでしょうね。

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