2021年9月4日土曜日

本当のお金持ち

物凄い資産家というのをアメリカでは身近に感じる機会がたくさんありました。

しかし、そういう人達の生活は遠くから見るだけで、実際に私のような貧乏人が「交わる機会」というものは全くありませんでしたが、娘達が幼い頃にそう行った人々の娘さんの誕生会に呼ばれた時にその一端というものをほんの一瞬だけ垣間見たことはありますが。やっぱりエグいですね。

それはそれは羨ましくも何とも無いほど遠~い世界に住んでいる人達でしたが、そういう人達であっても恐らく幸せとは言えないような状況にあることはいろいろと耳に入ってくる周りのお話で何となく「人生を楽しむのは金だけでは難しいもんですな~」と思った記憶があります。

日本で言うところの富裕層は持っている資産が1億以上の種々の資産を持っている人達なのでしょうが、アメリカではそんなのは数の中にも入れてもらえないというのは間違いない事で、彼らの持っている資産はそれこそ飛び抜けていて、いわゆる富裕層というところまでワープしている状況。

まさに持っている「総てのモノを数え上げられるうちは金持ちとは言わない」というポール・ゲッティのようなファミリーが腐るほど居るわけです。金が金を産み、いくら使ってるかもいくら持ってるかも全く意識しなくて良い状況と言うべきで、何れにしてもアメリカらしい極端さを持っているところが良いですね。

それからすると、税制や産業構造等の違いも含めあらゆるものが精々ファミリーの総資産が100億程度というのが一つの壁なんじゃないでしょうかね?でも、その多くは育てた株式未公開の会社という感じで「頑張ってここまで来ました!」という人達。やっぱりアメリカと比べると桁が一つ足りませんそしてその数も。一兆円を超える人達は日本には5人いませんが、アメリカでは1000億以上から数えるとそれこそ・・・と言う話。

大金持ちがたくさん生まれてその人達が金を落としたい社会福祉に「前澤友作的に」集中的にばらまいて貰うというのもなかなか魅力的なのですが、金持ちの多くは「いづるを制す」からこそ金持ちになったような人間が多くて、なかなか稲森さんや本田宗一郎のように生きてるうちにバンバン自分の資産を削って社会貢献なんて言うようには出来ないようです。

金はあっても哲学が無いとやっぱり周りには良い影響は及ぼさないようで、難しいもんですね。老後2000万問題とかいうのが我々庶民にとっては本当に心配のネタな訳ですけど、深刻な病気になればそんなお金などアッという間に消し飛ぶわけでして、安心する時間など無いのが我々の日常。

それでも、「金より健康の価値のほうが絶対上位」というのが私の中では変わらぬ信条です。あとはチャップリンのように日々の暮らしを支えるそれとなく支える「ちょっとしたお金」が日常にあれば良いかな~等と思いつつそのか細い支えさえもこの歳になって「無い」事に呆れる自分です。

それにしても、使い切れない金を溜め込むだけ溜め込んで外にも出さない一族って一体何が人生の目的なんでしょうかね。まあ、俺には自分の一生ではこれまでもこれからも関係無いし、考えるだけ無駄ですな。w

「本当のお金持ち」というのは考えれば考えるほど一体何なんだろうと思う、金融資産とは無縁の私でした。娘達にも俺の貧乏は遺伝するのだろうか???

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