2021年9月1日水曜日

遺産相続

何だかエグいタイトルですが、私の基本方針は「児孫のために美田を買わず」です。

当然のように私自身も親からの金銭・遺産というものも全く期待していません。(尤も私の両親には田舎の家しかありませんが!w) 基本的に人から白い目で見られるような方法でも取らない限り、日本の税法では三代でスッカラカンになるように出来ている等と言いますが、実際のところはどうなんでしょう。

Bill Gatesなんかは自分の子供達に1人あたり10億円($10M)だったかな?その程度の金銭しか残さないとか言ってましたが、まあ、それでも庶民には殆ど冗談のような金額ですけどね。「どんなに金を貯めていてもあの世には持っていけない」というのは水が高いところから低いところへ流れるという現象と同じほど確かなことで、人が識る常識の中でも数少ない確実なものの一つでしょうな~。

私の場合、両親から恐らくほぼゼロの預金通帳を引き継ぐことになるのと、今や誰も住まないであろう田舎の造成団地の築30年超えの「綺麗ではあるけれど古い家」を譲られる可能性しかありません。本音を言うとそれも全くもって要らない!と言いたいのですが、税務処理という意味では何らかの処分をしないといけないでしょうから、先行きもそう長くもない私をすっ飛ばして私の子供にそのまま譲ってもらったり、二束三文で売り払って両親達の老後の経費として使い切ってから逝ってもらいたいなと言う考えもあります。

自分で稼いだものはサラッと自分の生きている間に使い切ればいいなと思うんです。本田宗一郎式です。そもそも、子育てというのは自分の脚で立って自分の力で人生を切り拓くだけの力を持った人間を育てることが最終目標。親が敷いたレールを使うと楽だし(人によっては一見すると)先にもよく進むのでしょうが、単純にそれは私の好みではありません。w

さて、最近になって遺産相続の話が気になった理由はシンプルで、親父の誕生日に再度接して「そろそろリアルな話になってくる可能性が高いな~。」と感じたからでした。生きていても認知症だと種々の個人資産の移動に関する承認も敷居がぐんと高くなるでしょうし、銀行口座も凍結されて大変な目に遭うことになるという専らの噂。

コロナで田舎との行き来も全く無くなってしまっていますが、想い出だけを残してモノ自身はごく少数の思い出深いものを除いて綺麗サッパリ破棄してしまうという事が大事かなと考える自分です。

多くのアメリカ人のようにアレヤコレヤのがらくたを必死になって溜め込むのに忙しい状態のまま人生の最後を迎えるというのも何だかな・・・と考えてしまうのです。恐らく、人生の最後の最後には自分にとって最も大事なものは自分の残した遺伝子もしくは成し遂げた仕事のみだろうなとしか思えません。

後は生きている間に全て家族や友人、仕事仲間との間で共有された多くの時間が人生の想い出として最晩年に残ればそれで資産としては十分でしょう。そしてそれ自体もそれを覚えてくれている人々が皆いなくなったところで、私の人生に関連した全ては綺麗に土に還るのだと思っています。

遺産相続での骨肉の争いとか私には想像の枠の外の話。100億の遺産でも、それで兄弟が揉めるようなら一切権利放棄したほうがよっぽど上等で、そんな金は呉れてやれば良いのです。死んだ人間の金を巡ってみっともない争いなど男の美学に悖る話です。

私が真剣に考えるのは、自分が死んだ後の嫁さんが贅沢をしなければ生きていけるだけの小銭と我々という親がいなくなった後に残される自閉症の息子が死ぬまでの間、きちんと三度三度の御飯が死ぬまで一生屋根のついた部屋の下で暮らせるシステムを残してやることだけです。


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