2011年9月11日日曜日

9・11 あれから十年

今日は朝からずっとテレビで9・11の追悼報道一色だった。
グラウンド・ゼロと呼ばれるあの場所で家族、親族の人達が交代で死者・行方不明者の氏名を一人一人読み上げ、各々去った人達への変わらぬ想いを短い言葉の中に込めて語っていた。あのテロ事件はアメリカが実質的に大規模攻撃を受けた史上「二度目の」事件だった。一度目はパール・ハーバー、そして二度目がWTCだった。しかも、大陸本土への攻撃という意味ではWTCが初めてであり、しかもアメリカの経済の中心部を攻撃し、且つそれはあのWTCに留まらず、ペンタゴンという国防の要、それに旅客機による悲惨な墜落等と相俟って、その衝撃度は、アメリカという国家に100年の心の傷と、二度と変わらぬテロへの警戒システムを導入させるに至った。
イスラムの人々への有象無象の敵愾心と警戒心、セキュリティーにおける異常な金のかかり方、中東への軍事力投入での人的資源、軍事力への資金投入等、それまでののんびりした良い意味で田舎者っぽいアメリカが消えた。決して後戻りできないほど大きく内側から何かが変わった。
しかし、本来この血で血を洗うような争い自体は、もともと宗教の対立に由来しているという事を考えると、全体像としてのこの戦いの眺めはまた違ったものになってくる。個人的には宗教なんて言うのは「人類の叡智」の倫理や哲学に関する一部、しかもそれは不幸にも後々のカルトを含んだ多くの人間達によって彼ら自身を権威化するために使われてしまっているとしか思わない。特に勝手気ままな使われ方をしている「経典」と言われるもののはこれまた、、、人の愚かさの中でも最も悪い部分を集めたような人間に使われて悪用されているのを見れば今後もこのようなテロ事件は双方から「都合の良い勝手な理論を持ち寄られて」は彼らの勝手な正義の名のもとに間違いなく使われる。
あの日、最後の夜のWTCを見た話を以前書いたが、ビンラディンが殺害された今となってもこれからアメリカとイスラム圏が対立をする悲惨な歴史がどれほど続くのかは誰も知らない。
自分の側の正義を一方的に主張し続け、対立する相手に寛容の精神が育まれない限り、これからも何も変わらないんだろう。

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