アメリカでの新学期が始まっています。
次女も随分前にロシア語・アラビア語専攻のダブルメジャーから切り替えてアートを選択しているわけなんですが、現代のアート・スクールはやっぱりデジタル化の波を避けて通ることは出来ない世界になっているようで、歴史的な技法やスケッチを習得するだけでなく、当たり前のように日常的な授業の中でコンピュータ・ソフトを使ったデジタル・アートの講座も入っているようです。
もともとPCには高い親和性を持つ世代ですから、我々の世代のように「スキモノ」が中心となってPCを触っていたような世代ではなく、呼吸をするようにデジタル・ガジェットを日常生活の中で触っていた子供達ですから、教える人さえまともであれば後は勝手に前進して「教えていなかったはずの事」までやっていく人達ですので、大切なのはチャンスを最大にしてあげることだけです。
ところが、こういったガジェットは得てして金銭的な負担がかかるもの。授業料以外のある程度の出費は覚悟しなければなかなかやっていけない面もある訳でして、そこは格差を生み出す素因にもなるかと思います。残念ですが、それが世の中の真実というものなんでしょう。勿論、鉛筆を一本持っててもそれを深遠な数学の世界を探索する道具として使う人もいれば、くじ引きの当たりを作る人も居ますし、絵を書く人見るわけですが、鉛筆と違ってデジタル・アートは最低限のものを取り揃えるのに一つの金銭的階段を登らないといけないわけです。
とは言え・・・次女には必要なもの。しかしiPad Proの値段は優に10万超え。他のアート・サプライや教科書も私のカードを使って購入することを許可していますが、今のところ50ドル程度しか使っていないようです。次女からは殊勝にも先ず私のカードで買って、あとはマンスリーで私のほうにZelleでキャッシュバックしていって良いか?などと聞いてきますが。
まあ、娘にお金を使うのも最大後2年なので、ここは一つ足長おじさん(実物は短足ですが!)になってやろうかなと考えています。
甘いですな。
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