2020年7月20日月曜日

日本とアメリカの医療費の話

ある病棟の師長さんと夜勤の時間帯に病院への「かかり易さ」についての話になりました。

何でそういった話になったのかはちょっと話の流れがハッキリとは思い出せないのですが、入院している患者さん達が「とりあえずは」自分の懐具合を気にせずに病院にやってきて、診療費の上限というものにもキャップが被せられて治療を受けられることが如何に物凄いことなのかという事に関して話が盛り上がったのでした。

日米の比較ということが中心になるわけですが、それでも一部の産油国のような特殊な場合を除いては、やはり多くの国の場合は受けられる医療の質と医療費の支払い額の比の大きさという意味では、日本ほどそれが大きい国は無いと思えるのです。

アメリカでは確かに世界最先端の高度先進医療も受けられますし、医師さえ選べば世界でも最高レベルのチーム医療を受けることも可能でしょう。しかし、それはそこに充当することが出来るだけの日常的に払う保険料や、場合によっては保険等には関係なく幾らかかってもといういわゆる究極の自由診療によるサツビラでの治療が可能なだけのお金があればこその話。まあ、究極の資本主義国家と言うのは、アメリカ在住者なら受け容れざるを得ない事実なのでしょうが。

多くの貧しい市井の人にとっては、まずは毎月の民間企業に払う保険料のグレード選びに頭を悩ませ、医者や歯医者にかかればかかったで一体幾らのトータルが書き込まれた請求書が翌月に家に舞い込むのかに怯えるのが普通のこと。(これは「貧しい人々」という括りに縛られず、スーパーリッチを除くある程度どの階層の人にも普遍的な日常だと思えます。)

しかし日本では先に述べたように生活保護受給者の隣にミリオネアのベッドが並んでいるような事が別に不思議ではないような事例は日常のレベルで幾らでもあるわけで、そこには資本主義や共産主義などの政治の枠を超えた究極の社会保障の姿が有ると思うのです。

この事実自身は、「医療費にはカネがかかる」という大前提に対し、それを受け容れて国民が皆で均等に出費を負担する(実際は均等とは程遠いのですが)という了解を空気を吸ったり水を水道から飲むように意識せずに受け容れているおかげ。

ですから、話は長くはなりましたが「アメリカに住むのは若くて、幸いにして怪我に縁がなくて、医療関連費に払えるお金が十分にあれば素晴らしい国です!」と言うことを師長さんとはなしたのでした。

書くとなげーよ。w


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