日常診療の中で嫌になるほどアルコール依存症の患者さんやその家族と向き合う機会があります。
私自身は酒と言うものを飲むということが「基本的に無ければ無いでも困らない」レベルの人間なのですが、お酒が入って友人達と美味しい料理を食べ語らう時などにはやはり美味しいワインや日本酒というものを「美味しい」と思える舌は持っていると思っています。
オヤジの方はまるっきりアルコールというものは体が受け付けない人間ですが、母親自身も含めて母方の家系は酒飲みが多いというか強くて晩酌に酒があると嬉しい方の口だと思っています。私はその中間といったところなんでしょうね。
ではアルコール関連で入院してくる人達は酒に対してどう向き合ってくればそうやって「入院」とい事態にまでなっているのかと言うことなんですが、これもまた本当に驚くほど様々。入院に至るまでの経緯はまさに人の数ほどある感じです。
肝硬変や長期の各種ビタミン不足、栄養不足による下肢を中心とした神経・運動障害、過度の飲酒の果てにたどり着いた不可逆性の脳萎縮などまでくると本当に悲惨です。病院にやって来る人の人生の少なくとも半分以上は若いときからの過度の飲酒のために健康を害した結果として入退院を繰り返したりしているうちに家族親戚から絶縁されたりしている人達も沢山いますが、それでも飲酒はやめていない。そうやって1人きりになった挙げ句、飲酒に加速がついて更に破滅的になっっていくようなパターンも極普通です。
ところが、個人的にはそのような過度の飲酒の結果入院してくる人達の中には、私のような非アルコール症の専門医が驚くようなケースも有るのですが、それが家族が居てもアルコール依存症が進み続けるケースです。
専門医からしてみれば、「何をたわけたことを・・・」の一言で嗤われてしまうのは間違いないのですが、私にとって驚くことは来院する家族の中には、家庭内にいる患者さんが過度の量の酒を飲んでいることに対してそれが「病的な状態」であるという認識が全く無い事が多々あるということなのです。
ですから、治療を開始するにあたって家族さんに説明をしたあとでも、家族さんの中には「可愛そうだから内科の治療が終わったあとでも精神科には紹介しないでください」とか「お酒はそれほど飲んでいないと思うんですけど」等と自分の家族が酒で入院といった事態になった後でさえ家族の一員が「依存症」というシリアスな病に陥っている事への認知を拒否するような発言が出てきたり、事実を理解できない人達が居るということ。
共通しているのは、患者さんのみならず、家族内のメンバーを含めて「言い訳」をする人が実に多いという印象が私自身にはあります。
喫煙者もアル中もそういった行為に関する無限の「論理の破綻した」言い訳を持っている人間が当然のように居ますが、まさに付ける薬は無いと言うことが多いですね。嫌酒薬やニコチン代替療法などというものが準備されていても、全くそのようなものに興味も示さず、病気でゼイゼイしていてもやはりそこに至った大本であ酒や煙草を手放さないというのは見ていて本当に哀れというか「依存症」の恐ろしさを見せつけられる感じです。
それにしても、家族の中には自分は飲まないのに家族の一員が酒でおかしくなっていてもそれを依存症とは思わない、とかいう人間が出てくるというのは一体どういった感覚なんでしょうか?酒で家族や親子関係がぶっ壊れていたり、自分も飲むからその患者が家族の中に居てもそれを依存症という事ができないというのなら未だ掃いて捨てるほどよくある話の一つですし、理解は出来るのですが・・・。知的能力の問題だけではとても割り切れないものがそこには有ると思うのです。
本当に依存症という病気の根っこと裾の広がりは多種多様かつ広いものです、とは言いながら、酒漬けの日々を送っている医師も全国には掃いて捨てるほど居るのですから、これもまた笑えない事実だと思うんです。(知っているドクターの中にはアルコール依存の治療を専門にしているドクターまで居ますし。)
医師としては酒は百薬の長などとはとても言えません。
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