2020年1月31日金曜日

ついにブレグジット

ついにその日がやってきました。

EUROこそ使っていませんでしたが、ありとあらゆる面でEUの様々なメリットを享受していた英国がついにEUから出ていきました。今でもセンサスを実施すると英国がEUを脱退するほうが良いとする人自体の数はしないほうが良いという人よりも少数派という状況ですが、結局の所「選挙」での結果が全てですから国家自体は己の出した選挙の結果に従うほかはありません。

スコッチウイスキーの輸出もしているスコットランドは関税率の上昇に対して早くも英国からの脱出を狙っているなどというBBCニュースもありましたが、イギリスと我々が呼ぶ国は実は互いに愛憎入り交じった、歴史の様々なしがらみをもつ四カ国の連合王国ですから、その国々で今回のブレグジットに関して反応が大きく異なるのは当然といえば当然です。

一年以内にEUから貿易に関する好条件を引き出せるなどという夢想に近い条件を引き出せるなどと思って離脱したのであれば、それはボリスの大甘予想というかやはり夢想だと思います。

今まで数年にわたって離脱する・しないで国内世論を真っ二つにした上に、ヨーロッパ全体からお前らときたら・・・という感じで見られ続けていたイギリス連合王国はこれから10年後に今日の結果をどう回顧するのでしょうか、大変興味深いです。結局、経済さえ良ければ結果オーリというのが現代の最も安直な結論なんでしょうが、残された傷跡は可視、不可視のものも含めてかなりたくさんあると思います。

選挙対策の為に取り敢えずブレグジットを世に問うた挙げ句、「思いもよらぬ結果」に自ら戸惑ったキャメロンはこれから歴史にどう評価されるのか。実に興味深いです。


2020年1月30日木曜日

昔の大学病院のナース

私は日本に帰国して私立の病院勤めです。

看護師さん達は若手を中心に確実によく働きますね。年取ってる人達の中には私から見ても「歳食ってるだけで全然勉強もできてないしまるで駄目だな」と思える人も確実にチラホラおりますが、敢えてその手の人達には接触しないようにしています。

私の仕事は若かろうが、歳食っていようが、勉強をして前向きに看護に当たる患者さんに対して優しい人達を教えていくことだと思っています。
病院というところは巨大な組織であって、患者さんのケアを本筋としてそこに集まる数百人の医療職、事務職などの人達とそこで働く人を頼って生活をしている家族達の為にも存在することを忘れてはなりません。

そもそもチームプレーヤーとしての役割を果たせない人は組織では生き残っていけませんし、存在してもらっては組織にとって迷惑です。分子生物学で言うところのドミナント・ネガティブというものですね。

今独立行政法人になっている大学病院というところがどうなったのかは全く知りませんが、私が大学生だった頃の医学部附属病院というのはおそらく全国どこでもだったのでしょうが、恐ろしいほど看護師が働かないところとして悪名高いところでした。

当時はあそこの組織というのは基本的に看護師が日誌を書きに来るところでして、カルテという芳名録にその日の記事を書くことが御本人様達のメイン業務となっていたのでした。で、結局のところ注射のセットアップ、採血、血型チェックから研修医やその上のオーベンの先生方が率先して仕事をしていたのが印象的でしたが、大学病院のいわゆる国家公務員の看護師で長く勤めていた人間達の中には当然のように医師より給料が高いものまで居たと言います。w

しかも、国家公務員ですから余程の無能でも「やらかし」をしない限りは馘首にはならずという世界。そこは外から見間違えている聖職者ではなく労働者の世界でした。
それが月日も流れて独立行政法人になってからというもの、外の世界を知らないバカ猿は今ではかなりの絶滅危惧種らしいのです。要するにサービサーとして生きていけなくなったにいんげんは去らざるを得なくなったという話。どこまで本当なんでしょうかね。

まず電カル導入で、それを使えないおばさん達がサーッと辞めていったと言います。そのあと、結局、サービス産業という自覚のない人たちが次に櫛の歯が落ちる如く抜けていったという時期があったらしいのですが、その時期に私は日本には居りませんでしたので、友人たちの話を聞いて識るしか無いわけなんですが。

一番印象的だった先輩の話は、大学病院が停電になって小児科病棟の呼吸器の電源に問題があって動かなかったマシンが発生した時に、ドクターたちが大慌てで病棟を走り回って対応していたとき看護日誌をかき続けていた馬鹿に「あんた何してるんだ!」と言ったところ、「日誌を書くのが私達の仕事です!」と緊急対応中のドクターに言い放ってそのドクターが激怒。ボコッと尻を蹴りつけたと言います。今だったらかなりの問題となるんでしょうが、私がそのマシンに繋がれている子の親だったらバットで殴っていたでしょうから先生はまだ優しかったのかな?

時代は変わったんでしょうね。どこに行ってもその組織内で使える・役に立つ人間でありたいものです。


2020年1月29日水曜日

長女の語るDCの人間達

今回の長女の帰国でもう一つ聞いたことがNY好きかい?という質問でした。

まあ、あまりにベタな質問ですが、お父さんとしては数多ある聞きたいことの中の一つには相違有りません。こんな事書いてますけど、じゃあ実際何を聞きたいんだと言われたら「元気でやっとる?生活は安全?勉強は充実しとるかい?」というような、誰でも聞きそうなことくらいしか思い浮かばないんですけどね。w

長女いわく「最初はNYの生活にドキドキ、ワクワクしていたけどなんか慣れた」というものでした。まあ、そんなもんでしょう。そもそも彼女がボルチモアやDCに住んでいた頃から何度も自分や友達とNYには遊びに行っていて、どんな感じの街かとわかっていたはずですけど、観光客として遊びに行くのと実際に住んでみるのとでは大きく違うでしょうから当然の感想。取り敢えずは地に足が着いたということでしょうね。

私自身がNYのMemorial Sloan Kettering Cancer Centerに一ヶ月研究者として滞在したときには、まずNYという街に漂うニオイというものに街を感じました。次に思ったのは街を歩く人達の歩く速さに驚いたこと。少し慣れてきたと思った頃に街のデリーの美味さにハマりました。

娘の学校はSoHo界隈にありますから、私の記憶するNYがそれほど変わっているとも思えませんので、「あの雰囲気」の中で日常を過ごしているのか・・・と思うと「若い頃にあそこに居るっていうのは良いよね~」って思ってしまいます。慣れればどうって言うことはない日常なんでしょうが、ありとあらゆる展示物と興行、人種が集まる街で若い頃を過ごす意味は大きいと思います。

彼女の語るニューヨーカーに関する感想はまだまだ固定していないんですが、DCで関わった人間たちにはかなり否定的だったのが印象的でした。

娘が仕事をDCで二年間仕事をした中で典型的だったのは、彼らの関心事が相手の「仕事」「ポジション」「給料」「学歴」そしてその後に続く「ネットワーキング」ばっかりというものでした。実力もないのに学歴だけでマウンティングをしてくる嫌味な輩というのは洋の東西を問わず居るようで、話を聞いていると思わずナルホドというような話のオンパレードでしたが、実際には逆にハーバード卒でも実力を出すだけでその卒業であることを隠す人間も少ないけどいたとの事。

娘が本人に「なんで言わんかったん?」と聞くといわゆるハーバード卒というカラーで一様に色眼鏡で見られたくなかったとのこと。確かにこれは有名校ならではの一つの対処法ではありますが・・・。

娘には言ったのですが、DCという街の特殊性を考えれば、米国においてキャリアの階段を登ろうとする人間達が最も集まってくるであろう街だと思われるし、仕方ないんじゃないの?と言うと、「わかるけど住みたくはない。」との一言。あいつらしい、にべもない感想でした。

VAの田舎で、高校の同級生の殆どのキャリアの終着点がhouse wife or nurseというような所から出てきた人間である娘にとっては大都会はいろいろと今までになかったことを否が応でも考えさせる場所みたいですね。


2020年1月28日火曜日

やはり車は怖い

知り合いの方の40代の姪御さんが車に巻き込まれてお亡くなりになったそうです。

交差点で右折車に巻き込まれてお亡くなりになったとのこと。外見は美しいままで、転倒時に打った時の頭蓋内の損傷が致命傷だったとのことで、一週間後に生命維持装置を切ったということでした。

愛知県だけでなく、日本中で毎日毎日亡くなる必要の無い人達が車、バイク、自転車等との事故に巻き込まれて亡くなっています。

愛知県警も必死で事故防止に取り組んでいますがやはり車の走行台数が多いことも有り、毎年毎年全国でワーストXと言われるような不名誉なランキングに甘んじています。
各社がそれこそ血眼になって安全の追求による事故を起こさない車、例え起こしても対人、対向車、そして自車内の人員などの安全が最大限になるようなシステムを追求され続けていますが、それでも事故がなくなるレベルまで車が進歩したわけでもなく、人も毎日亡くなり続けています。

例えば家族の中で一家の中の成人が一人亡くなるだけで、その方の親、配偶者、そしてその子達に限りない悲劇と悲哀がその人生を覆ってしまうわけで、対人事故を起こした人も起こされた家族も止むことのない悲しみに一生苛まれるわけです。

たとえ生きていても、精神的ショックによるPTSDがその人を苦しめたり、肉体的に目に見える障害が残ったり、表には目立たなくとも一生痛みが残るような不可視の障害が残ったり、意識が戻らないような状況であったりすれば一瞬の事故で何十年も多くの人を巻き込み苦しめるわけです。

近年、運転者にとっては安全性が大幅に改善された自動車がたくさん現れ、それが世界の人達にとって十分にその車を選ぶ理由となる時代になりました。しかし、その安全性の進歩が歩行者にまで敷衍されたかと言うと正直まだまだ全然というレベルだと思います。

認知症を持つ人の激増にともなう事故の増加も、子供達の飛び出しに対する事故の防止能力も全然まだまだ駄目だと思います。この度亡くなられた知人の姪御さんのお話を聞くにつけ、「有ってはならない」出来事だと改めて思うとともに、己がその加害・被害何れの当事者にならぬように祈るばかりです。


2020年1月27日月曜日

年齢とリタイアメント

引退に適した年齢というのがあるのでしょうか。

政治の世界や商売の世界を見ていると化け物みたいな年齢までシャキッとした脳味噌で各種の問題に鋭い指南を行う人達が居られますが、見たところそれは例外的な一群。実際には災いをもたらしている人々のほうがよっぽど多くて、最終的には組織を潰しかねない所まで災厄を全体に広げている人達も多々であることが、あちこちのニュースや歴史的文章からわかります。

やはり、引退においてはその住む世界に特有の引退の年齢というものがあるのは周知の事実で、スポーツ選手の中でもはや20代が勝負師としての全てみたいな競技もあれば、50くらいまで(一部の人であれば)頑張れる競技もあります。

頭脳労働でも数学者などは30代までにその萌芽が見られなければ超一流にはなれないというようなのもあるようなんですが、他の学問ではそこまでの年齢制限は無い感じですよね。50代前後に花開く人も結構おられますし。ただ、そういう学問領域でも、そこに至るまでの段階で十分に積み上げてきたものがある人限定って感じですけどね。

我々医師のフォーラムでもよく話題になっているのが「先生方、お幾つまで働き続けられますか?」というものです。w

日本における医師という職業は、他の国の様に定期的にthresholdをみるテストを行って、そのレベルに達していなければ免許を使えない~というようなシステムになっておりませんので、基本、やりたければ何歳まででもやっていて良いわけです。下手をすると、勉強をしない現在70歳前後の先生が極端な話1980年代のままの知識で2020年に診療をやるということもあるでしょうし、もう十分金を稼いだからといって、50そこそこでearly retirementを決め込む人だっているでしょう。(アメリカでは思いの外、多かったです!)

しかし、実際のところその引退における実年齢は多くの企業戦士などよりかは10年は長いと思います。2020年の現代日本における大多数の組織の定年は60歳。しかし、大学でのポスト終了ならいざしらず、実際に医師としての仕事終了を潔く60で切る人などほぼ周りで見たことが有りません。

多くは結構なオジイチャンになってもそれなりにアルバイトで趣味+アルファレベルで働く人をたくさん見ています。無論、60代でもそれこそバリバリの現役以上なんて言う人は掃いて捨てるほど居るのはこの世界でも変わらないんですけどね。
聖マリアンヌには100歳超えの超有名医師日野原重明先生という方も居られましたが、それは例外ってことで・・・。

いざ自分がそういうのが気になる年令になってくると周りの人ってどうなんだろうと言うことが気になってくるもんですね。


2020年1月26日日曜日

ついに愛知にも中国からのコロナ・ウイルス感染者出ましたが・・・

昨日両親をセントレアに送っていった折に、中国人観光客と思われる大量の集団と遭遇しました。

春節ですから当然ですよね。日本の十倍の人口を持つ国、かつ彼の国において最も海外の旅行先として人気が高いのが日本ですから、日本に彼らが大挙してやってくるのはごく自然の成り行きです。

彼の国で新型のコロナ・ウイルス由来の呼吸器感染症が急速な拡がりを見せてることは種々のニュースで入ってきていますが、飛行場で中国人達の一団を見た時に考えたのは「絶対、この中に感染者は居るよな~」って事でした。

と思ってた翌日の今日になって報道で「愛知県内の医療機関で感染者を1名収容」ということで、日本国内4例目?になったようです。やはり日本の玄関口の一つとしては大きなところですから単純に確率論的な問題ですよね。

自分からすると、医療機関としては多分、愛知ではあそこ辺りかな?と推測できる場所はありますけれど、だからどうした?って感じでして、日本だったらそこまで拡がらんだろうなって言う感じで冷静に見ています。きちんと専門家が対応していますから、フォローは任せて大丈夫。

そもそも感染と発症、そして致死というのはそれぞれに大きくthresholdがあって、まさにその人の持つ免疫力の個性や強さがその人がどの様にウイルスに対して反応するかという差・個性を生み出すわけです。

例えば、AIDSなんかでも感染に至るまでの第一ステップでそもそもウイルスの細胞内侵入(トロピズム)においてその受容体として働くケモカイン分子の変異を持つ人が居て、感染自体に物凄い抵抗性を持つ人がいるわけです。同じようなことはターゲットとなる細胞腫の差や受容体をもつ個人のそれぞれの差異というものがある可能性が高く、あれほど金と時間をかけられてやっとわかったAIDSの感染性・トロピズムの差に対する理解がやっとこの程度(といっては失礼ですが、実際にそう思います。)です。

同じようなことはHCVなんかでも起きるわけで、感染したからと言って慢性化する人としない人という2つの集団があります。無論、持続的な感染源との濃厚な接触が有ればあるほど、そのリスクは高まるのでしょうが、今度は慢性的感染者になった7割の人たちの間で発症する人としない人というまた二山に分かれていくわけで、個人のライフスタイルやまだ解明されていないと思われる何らかの理由で、慢性化から肝硬変、肝癌に進む人とそうでない人の間に何らかの発症スピード差を産む分子生物学的な機構が存在するのでしょう。

今回のコロナ・ウイルスの件では、通常のインフルエンザ・ウイルスの致死率が0.05%程度と言われているのに比して、スペイン風邪2%(wikiでは10%程度)、SARSが10%程度ですから、報道を見聞きしている範囲でその数字にある程度の信頼性が置けるという希望的観測を行うと、現時点では世界全体で2-3000人、死者数4-50人の間だとすると致死率はスペイン風邪の感覚でしょうか。まだまだわかりませんが。

(今の所)SARSほどの致死率はなさそうなんですが、私的には今後、人・人感の感染でその感染力と病原性がどう変異していくかが一つの注目点だと思っています。点変異を含む変化がどの程度で起きてくるのか、各地の各サンプルのシークエンスがバンバン論文ととともにデータベースにあげられてくると思いますので、要注目です。

ここは一つパニックに陥ること無く、冷静に観察対応していくべきでしょう。
我々がやるべきことは限定的ですが、インフルエンザ対策と全く同じ
  • 人混みに意味なく近づかない。
  • マスクをする。
  • 手洗いとうがいの励行。
  • 疲れた状態であちこちで仕事して免疫力が低下した状態に自分を置かない。(要するに休息をよく取れってことです。w)
  • 体液がついたら十分に70%アルコールで拭き取る。
この程度で十分だと思います。(と言うか今のところこれしか無いでしょう。)

ウイルス自体より、これで狼狽えた末に起こるパニックのほうがよっぽど恐ろしいです。
正しく冷静に注意していくことこそが公衆衛生観念の発達した21世紀の文明国・日本の対処法です。煽られた情報に更に煽られないように冷静に判断対応していきましょう。

あ、最後に・・・書き忘れそうになりましたけれどもコロナ・ウイルスによるかぜ症候群なんていうのは多くの人に毎年「咽頭症状などの出現」として起きていることです。今回はその重症度、致死率がどうやらまた高そうなタイプだというのが大きな問題点という訳です。


2020年1月25日土曜日

親父との別れしなに正直に話したこと

両親が田舎に帰る日となりました。

セントレアを発つのは5時過ぎの便ですから、時間に余裕があります。昨日のうちから親父には一言「明日、古着屋行くかい?」と尋ねていたので、朝起きてゆっくりとした時間に再び両親を誘ったところ親父は二つ返事で「行く」と返答し母親は「行ってらっしゃい」とのことでした。親父は名古屋に来るようになってからというもの、ブックオフの古着屋が大好きになったみたいです。もともと高校の頃は(今の親父からは信じられませんが!)いわゆる”軟派”で通っていたらしいのです。ですから服を選ぶ時の親父は真剣そのもの。w

一方、母親の一日を見ていると、本当に寝て起きて飯食べて、また寝てテレビ見て時間つぶして寝て食べて、起きて・・・の無限ループで、もう人間として何の生産的な活動も行っていないことが良く判りました。残念ながら親父の言うとおりで、田舎でもこれと寸分違わぬ生活をしているんですね。

口先ばかりは昔から達者だけど、もう記憶も出来ない、論理的な討論も出来ない、細部を理解しようという意欲もそもそもない、というないない尽くしに明確な拍車がかかってしまったようです。それでも親父を顎の先で使うんですからね。息子としてはイラッと来るんですが、親父も諦めているせいで、怒りながらもハイハイと言っていろいろ世話を焼いてあげております。根拠もないプライドだけ高い高齢者は本当に厄介です。

若い頃は鬼のように怒鳴りまくって喧嘩ばかりしていた二人ですが、人生最後のシーンではまさに割れ鍋に綴じ蓋状態で支え合っている様子。私にはこういった絵面が自分の将来に関しては思い浮かびません。死ぬ時はさっさと死にたいもんです。

さて、今回おやじ達が田舎に帰る直前、飛行場で親父に話したことがありました。それは、通帳や土地登記簿の場所を記した一覧表を作ってある場所に隠しておいて欲しいということ。最近、身近な友人先輩で両親ともに亡くなって銀行からの資産引き出しや土地の登記などの事でいろいろと大変だったというようなことを聞くに及んで「俺もそろそろ親父には頼んどかなあかんな」と考えた次第。

親父には「俺はもうオヤジの金も資産も一切いらんけど、訳のわからん状態で俺に負の資産が降りかかるのだけは勘弁して頂きたい」との趣旨の話をしたところ。「借金は一切ないし、母さんも一切銀行、信用系各社等に一切金の貸し借りは出来ないように手は打ってある」と言うではないですか。

昔から持っていた土地のことやその他の件に関しても、既に売却し税金も支払い済みとのこと。金銭に関してはもうバカ以外の何者でも無くなってしまったボケた母親に関しては心配はなさそうです。親父がしっかりしているうちはまだ大丈夫そうですが、それも何時まで続くのか。親父が先に逝くようなことがあったら、有無を言わさずすぐに母親を施設に入れなければなりません。母親の日常を見ている親父いわく「絶対に一人暮らしは無理!」とのこと。既に鍋の空焚きなど何度もやらかしているのですから、親父の逝ったその日から無理です。

両親とも生きているうちに、両親の家の部屋の大掃除と物減らしを行いに田舎に一回帰るとともに、いろいろと把握しておかなければならないことが多そうです。親の長生き問題も次第に目の前の解決しなければならない己の現実となってまいりました。

親父達と飯を食べた後、早めに別れ、息子と一緒に飛行場の「風の湯」に一時間ほど浸かって外の飛行機を眺めておりました。


2020年1月24日金曜日

MRJ組立工場へ!

娘達と朝に別れた後、実は親父と息子を連れてのミニ旅行をしました。

旅行と言っても北区・豊山の名古屋空港の方に行っただけなんですけどね。今回訪れたのはMRJ(Mitsubishi Regional Jet)の最終組立工場である巨大な三菱の工場です。
最近読み方が変わってMitusubishi Space Jetと呼んでいるみたいなんですけれども、アジアの自由主義圏で唯一旅客機の組立工場を観ることが出来る場所が地元名古屋にあるのですから行かない訳にはいきません。

二月ほど前から今日のこの瞬間を!という感じでネットで予約していたので、仕事を午前中休むということを一週間ほど前から病棟に宣告して他のドクターにも宣伝してからの決行となりました。

車に三人で乗って朝の都市高速をスーッと走るとアッと言う間に名古屋空港まで来ました。予約は10:40のツアーでしたので、AICHI航空ミュージアムに行っていつもの入り口の左脇にある工場見学者専用の特別な小部屋でツアー見学者用のバスのお迎えを待ちました。

しばらく本を読んだりしていると呼び出しが有り、私達のグループの番でしたが、いつもは15人ほど居るという1グループらしいんですが、我々の時は我々三人と若い女性一人、あとは初老の男性が一人という5人グループの小さなユニットでした。

マイクロバスに乗り込み組立工場へ向かうこと数分。エントランスに女性が待ち構えてくれていました。耳にレシーバーを取り付けて上着を脱いで、スマホをロッカーに仕舞い込んでツアー開始。

滑走路風の廊下を歩きながら丁寧に始まったツアーは扉を開けられた先にはその製造工程をパネルやビジュアル、実物大模型、実機の部品などを見せながら進んでいきました。最終的には、この工場はまさにこの場所で50年前に作られたYS-11の一旦切れた血統を蘇らせるステップなのだということが理解できた気がしました。

エレベータを使って登ったあと、最後に開けられた扉の向こうには待ちに待ったMRJの最終組立工場の中でした!現場では7号機、8号機、9号機が次々と最後の仕上げを受けているところでしたが、遠くの方にはまだまだシリンダー状の胴体部分だけの機体もまだまだ置いてあるだけでした。機体番号はJA2XMJで、X部分にその機体の製造記番号がつくみたいですね。

フロアには「当たり前」ですが、翼の部分の各種部品や治具などが整然と並べられえいましたし、プラット・アンド・ホイットニー社製の高効率エンジンも箱に詰められた状態で置かれていたのが現場っぽくて良かったですね。

組み立て現場の技術者さん達はザットと見たところ100人程度。男女まぜまぜですがフロアには日本字っぽい人が多かったです。多分社内には外国人も沢山。忙しくあちこちみんなが歩き回っていました。

取り敢えずは全ての見学を終えて、最後に戻った出発場所で記念写真を撮って親切なお姉さんに別れを告げて航空ミュージアムへと帰ってきました。

家に帰る前にエアポートwalkのフードコートで食事をしたのですが、なんか南米のバンドみたいなのが平日なのに演奏をしていて、アンデス音楽みたいなのを演じてました。
お昼には三菱から来たと思われる大量の技術者たちの一団がマックやその他の昼食をとっていたのが印象的でした。

最後に思ったのはこの飛行機が一刻も早く市場に出回ってほしいということ。飛行機の部品は一機約100万点!。車のおよそ30倍?らしいですから、これらの高度製造技術を要する製品が毎月10機ずつローンチされることを夢見ているヒトは多いはずです。技術の裾野の広がりは大きいと思います。(残念ながら翌日のニュースで更に延期の6度目の延期になったとか・・・orz)

さて、前々から考えていた今回のツアー。親父の足腰がまだ丈夫なうちに案内できて良かったです。飛行機好きの息子も満足してくれたかな?


2020年1月23日木曜日

長女の帰国・聞いた話

というわけで今朝早く長女がアメリカに帰っていきました。

中部国際空港からちょうど新型コロナ・ウイルス肺炎を持ち込んで来るであろう春節が始まった中国人の日本入国集団と入れ替わるようなタイミングとでも言うべきでしょうか。今回の肺炎は多分中部国際空港経由でも「全く入ってこない」というようなことにはならないと思うんですけどね。なんてったって数が膨大ですから。

7時過ぎの便で中部を発って 東京にもアッと言う間に到着したことがLINEでわかります。シカゴ行に乗る直前に涙マークの返事がありました。w
それでも半日ほどで「いまシカゴ」更にしばらくして「家着いた」とお疲れマークと共に連絡が入りました。無事で何より。再び日々勉強の日々が始まるわけです。

今回、面白いなと思ったのは娘達の勉強法をきいたときの話です。
アメリカの大学生はよく勉強をして日本人の大学生はそんな事はないというように言いますけど、私は今どきの学生はそうでもないと思います。アメリカに居た時は私自身もそういった日本で言われているような先入観を持ってアメリカの大学の学生の勉強を見つめていましたが、彼らの勉強の様子を見ていて思ったのは「効率よく」勉強しているな~ってことでした。

勿論、トップ中のトップの猛烈な勉強の話を聞き始めたら日米ともに猛烈なものなのでしょうし、優秀な学生は洋の東西を問わず目から鼻に抜ける様なスマートさを示すのでしょう。しかし、私が見た多くの学生達、確かによく勉強をするにはするのですが、オフの時は結構「全く」というレベルで力を抜いているという感じでした。
その力加減こそが、卒業後にやってくる彼ら自身のこれからの人生の主だった行動様式なんだろうなとは思うんですけどね。

ではどうやって・・・となると、長女と話をしたところでは分担して宿題をしたりするんだそうです。例えば一週間に300ページとかの読了を求められるような課題では100ページずつにわけてチャプターを読み込んでサマライズし、それを持ちよって教授に対峙するんだそうです。まあ、この手のこともやはり現代の標準的学生気質でしょうね。

ところが、教授は教授でそれにきちんと対抗していて、例えば上記のような分割分担を当然の様に予想していて、文章全体のなかで幅広く読んでいなければ答えられないような質問をガンガンと混ぜ込んでくるんだそうです。私でもそうしますが。w

しかし、この手の週単位での読み物」分担サマリーは多くの場合人文系寄りにできることで、数学や物理なんかでは孤独なコツコツとしたセットアップこそが殆どの場合、王道だと思います。無論、理系であろうと文系であろうと出来る輩を中心として勉強会等はするんでしょうが、最後のツメの「ああ、そうだったのか!」という瞬間は苦しみながらも自分の頭で考え抜くしか有りませんよね。(あと、教えることが出来るという状況こそがより深くする肝であることは昔から鉄板ですので、ミニレクチャで自分がその分担のミニ講師になるのは素晴らしい勉強法だと思います。)

結局の所、学生と教授側はどの時代でもどの様な授業、テストでも、お互いの出してくる手管を読み合いながらの”化かしあい”なんでしょうな。とはいえ、理解できそ、れが自分の中に血や肉となって残るのであれば道筋はどうでも良いんですけどね。


2020年1月22日水曜日

長女の帰国準備

いよいよ明日長女がNYに戻る日となりました。

毎度のことなのですが、前日から泣き女モード。ほぼ三週間の一時帰国などというのは長いようであっという間です。久しぶりの全員でのfamily reunionでしたが、なにか特別に旅することもなく、ただ一緒にいる時間を「実感」するだけの三週間だったような気がします。

その間も、娘達は母親とどこかに出かけたり、娘二人で名古屋の繁華街へ出かけたり、娘一人でどこかに出向いていったりしていたようですが、オヤジの私はというと相変わらず仕事ばっかりで、あまり関わる時間の無いままでした。

とは言え、親としては娘のいる間にちょこっとずつ質問をして、娘がどんな暮らしぶりなのか、どんな学校生活を送っているのか、そしてどんな仕事をしているのかというよいな、他の人にとってはどうでもいいような事をほんのちょこっとだけ聞くだけでも十分に満足なのでした。それこそが家族って言うもんなんでしょうが・・・。

帰国直前ということで、爺さん、婆さんたちと「私が仕事に行っている間に」近所のイオンに買い物に出かけて明日の出発前に新しく追加のスーツケースも買ってもらったみたいで、日本で買い込んだ服やその他諸々のアイテムを山のように詰め込んで重量制限と格闘したみたいです。爺さん銀行なかなか毎度やってくれます。w

後は安全な帰米の旅路あるのみ。

親としては本当に子供達に望むことは唯一つ。健康で幸せであってくれというその一言です。無論、その幸せの中には今頑張っている仕事や勉強の成功も含まれますが、とにかく体と心が元気であってくれればあとは全てオマケ。元気な体と心さえあれば何回失敗しようと人間なんでもまたやり直せますし。

若い間はこうしたいと思うことを、結果の失敗や成功に関係なく思いっきりやり遂げて欲しいと心の底から願うのでした。

また暇な時間を見つけて帰っておいで!

2020年1月21日火曜日

更に老いた両親

80過ぎると一年一年の変化が大きいですね。

私は人間の成長と老化と言うのは比較的正規分布のような形で機能を獲得していって最後にはそれらを失っていくものというふうに考えています。

赤ちゃんが笑いを覚えて言葉を喋り、お座りからハイハイをしてつかまり立ち、そして歩く、おむつが外れる、話す、走る、高度なコンテンツを計算したり考えたり・・・・やがてそれが逆向きに動き出し、多くの人は難しいことが考えられなくなり、走ることができなくなり、やがては歩くこともできなくなり、話も辿々しくなるなかで、寝たきりで失禁をしたり便を漏らしたりするなかでおむつのお世話になることに。

お父さんお母さんの手を煩わせていた赤ちゃんがやがては自分の子供達の年令の人達にお世話になって余生を送ることになる訳ですが、どれも順繰りだと思っています。
今までの時代は精々のところ親は6、70代で昇天していたわけですが、今どき70代で亡くなるなんてことがあると、逆になんか病気でも?と思ってしまうくらい皆が平均して長命になったわけです。

その結果として、子がリタイヤするような歳になっても親はまだ生きているなんてことが普通になってきて、そこに大きな社会構造の変化が生まれる事になったわけですが、日本は本当に急速に老いていってますね。日本が一番元気で伸びていってた人口ボーナスの頃にその伸びを体全体で経験しながら歳月を経てきた両親達。

今回、今週の火曜日からから名古屋に遊びに来ているのですが、(若い頃から潜水時の事故で耳の悪かった)親父はますます耳が遠くなり白髪が目立つようになり、母親は変形性膝関節症による跛行と血管性認知症がまた少し進んだようで、孫の名前を本当によく取り違える。

親父がしっかりしているからまだ大丈夫ですが、正直なところ親父が倒れるよなことがあったら、近所の施設にスコッと移送しないといけないなと考えています。まあ、別の特別な方法も考えていないわけではないんですが・・・。

長生きする親を見ていると、何れ我々自身もこうなるのかとちょっとため息も出ますが、仏教で言うところの四苦八苦から人間が逃れる術は有りません。

淡々と現実を受け容れて前向きに進むのみです!

2020年1月20日月曜日

大学入試センター試験終了

昨日今日、我々大人の多くが淡々と日常の仕事をしているとき、全国の受験生の皆さんは我々の時は共通一次と言われたものを受けていたわけです。

既に私自身が、そのむかし受験生という生き物であった時代は遠い時代の出来事になってしまいました。娘達も日本の受験制度とは全く無縁のままアメリカで大人になってしまいました。まあ、娘達は大学のトランスファーを行ったり、修士や博士になるための再修学を行っているわけですが、それでも日本の受験とは全く無縁。

オヤジである私がアメリカで長く過ごしていたのですから仕方なく巻き込まれた形になりますかね・・・。

さて、子供達のことは別として今回の受験では私の昔の同級生でいまは広島の方に住んでいる女医さんの次女さんが医学部受験をするということで、今回のセンター試験を受けたみたいです。志望校は広島と愛媛の医学部らしいのですが今回の試験では85%しか取れなかったと言って少し残念がっているんだそうです。目標は9割だったんだそうですが・・・。

しかし、まあ二次試験が出来れば何の問題もないし、逆の事も十分起こりうるわけですから、一旦ヤルと決めたら突っ込んでいくしか無いわけです。特に二次の比率が高い大学、学部であれば一次が高くても足をすくわれるし、一次がだめでも二次が良ければ余裕で抜き返すわけですから。

実際、そのお嬢さんもこの程度なら「行く」と決めたらしく、既に二次試験に向けての勉強を淡々と行っているとのこと。それでいいと思います。何をしたいかをハッキリと決めた時点で勝負の半分はついたようなもの。

全国の皆さん、それぞれに頑張って栄冠を掴み取ってほしいと思います。


2020年1月19日日曜日

新しいブラウザは「今の所」なんか良いと思う

オープンソースの力は凄いもんです。

Google主導のChromiumがベースとは言え、こんな時代が来るとは想像もしていませんでした。
既クロムの登場から既にに10年以上にもなってしまったのかという感慨のある今ですが、私自身が書き残している登場したての頃のクロム(Google chrome)に関して書いた記事が2009年のものとして残してあります。中を読むと、全くもって隔世の感があります。

そもそも当時はグーグル自身がブラウザというものを世に送り出したばかりの頃でしたし、まだまだ当時のGoogleはDon't be evilという標語が社是として残っていた頃でした。(今は消えてしまいました。恐ろしいことですが。)

IEというバグだらけセキュリティ・ホールだらけのJAVAが走りまくるブラウザが社会の中で標準として幅を利かせていた頃、静かに船出をしたブラウザが他のブラウザの息の根を止めんばかりに拡大しているというのは本当に10~15年前のマイクロソフトの覇権を思わせる勢いです。

マイクロソフトはソフトで金を稼ぐ会社でしたから、そこにはそういう当然の対価としての課金が有りました。それがマイクロソフトの収益構造。しかし、今の時代は広告をベースとした会社が、長い長い時間をかけて個人のすべての情報を思いのままにかき集めて解析する会社になってしまいました。もともと資本主義の権化みたいな収益構造ですから、それは当初からミエミエだったんですけどね。
それを受け入れた上でのFREEの世界として我々はその便利さを甘受してきたわけです。

しかし、FREEはFREEDOMには非ず。お金を使わない、個人情報を見ず知らずの相手に預けるというのはどういう意味かということを今、21世紀の我々はいろいろな事例で理解し始めています。

今、私の最大の目標は情報の非グーグル化。どれほどこの組織から離れられるのか実験しているところです。勿論、このBlogger自体がグーグルのものなので私がどんな人間でどこに住んでいる誰なのかはグーグルはとうの昔に御存知ではあるのですが・・・。

最初はサーチエンジンをDuckDUckGoに変えてみました。特に大きな問題はなし。それでもBrowserをクロムにしている限りは検索情報は抜かれてるだろうと推測して、ブラウザ自身を変えてみることにしたのが今回のアクション。

前からFireFoxも良く使っていたんですが、ネットで見ると動画再生時の電力消費効率があまりにも悪い。モバイルには致命的です。その検証結果でのチャンピオンはEdgeでしたので、素直にかえてみました。何の問題もなし。そもそもがChromiumべーすなので、Google webstoreのソフトが何の支障もなくインストール可能です。拡張性にも差がなくてプライバシーが守られれば、これで十分。

次はメインのメールをGmailから移してしまうこと。とはいえ、最近は本当にメールを連絡の手段としては使わなくなってきましたね。これもネットの使い方の進化なんでしょうけども。

Edgeが進化を続け、かつプライバシーへの配慮を怠らない努力を継続するようであれば、PC用にはEdgeで行こうかなと思い始めている今現在の私です。
(因みにモバイルはほぼ全てアップルのソフトで足りるようにセットアップを変えました。これがなかなかシンプルで快適。デフォルトの力はやはり最適化という意味でよく考えられていて、良いもんです。)


2020年1月18日土曜日

タバコをやめさせる一番の方法

禁酒法時代に酒をやめさせようとするピューリタン的発想の元施行されましたが、実際は御存知のようにマフィアの興隆を含めた悲惨な結果に終わりました。

病院でも患者さんや職員の一部は今でも普通に喫煙者です。
患者さんに話を聞いてみると、実際のところお金がなくてピーピーしていて、ご飯を食べるのを1食抜くような状況であっても、タバコにはどうしてもお金をかけたいというのです。

先日のアンケートの結果、最近は一日一箱数ような患者さんは相当減っていて、一日10本、あるいは三日で一箱、あるいは一日5本!等という涙ぐましい状況なのですが、それでも「やめる」というところまではいかないんですね。w

そこで本音を聞いてみると多くの患者さんが「お金があればもっと買うけどね~、最近は高くって!」という一言を漏らします。そこで私が何気に「じゃあ幾らになったらタバコ買うのやめる?」と聞いてみると、一番安いタバコが一箱500になったら相当厳しいと言いましたので、「千円ならどうしますか」と尋ねたら「無理。止めるしか無い。w」との一言。

吸ってる連中の多くの皆さんは「誰にも迷惑をかけとらん」と言うのですが、結局将来投入される医療費は税金からのもの。タバコを買って投入し続けた金などは、その時の治療に使われる種々の医療費に比べれば正直ハシタガネでございます。

どうでしょうね。政府の皆様。一箱1000円で手を打ちませんか?

2019年のタバコ価格一覧はこちらのリンク


2020年1月17日金曜日

精神科救急外来

他の県のことトンと知らないのですが、愛知県(名古屋市?)の「精神科」における救急外来は当番制になっているようです。

あくまで伝聞風にしているのは、私自身が精神科医ではないということで、隣で奮闘される精神科の先生の働きを観察する機会に恵まれているという理由からなんですが、ある程度の規模を超える病院というのは多くの場合医師一人で単科の対応をするわけではなく、内科や外科、そして当院の場合のごとくメインの科である精神科の専門医が当直をしていて、その月の割当てられた日にやってきた緊急対応を要する患者さんを診察し、場合によっては入院措置をとる事になるわけです。

私は内科外来の日常であれば、経験に関しては語れるのですが精神科の先生の当直対応をじっと観察させてもらっている数限りのない経験からすると、それはそれで大変みたいでです。

当番日によくあるのは、病院の緊急外来出入り口にパトカーが1、2台停まっていて、そこから慌ただしく警官が1-3名、多いときには5-6名一緒に病院に来ているという状況。
事件性が大きいときとか、暴れた程度、関与した人員が多いときなどにはどうも大所帯になるようです。

実際には家族さんが沢山一緒に来られて、一方では警察に状況説明をし、また一方では診察を受けている患者さんの横に寄り添い、他方では疲れた顔をしてソファに腰を落としている人々の一団が居たりして、交通事故を起こして担ぎ込まれた時の患者さんをめぐる外科とあまり見かけ上の状況は変わりません。

ただし、精神科の緊急外来では患者さん御自身が興奮して絶叫していたり、塞ぎ込んで両脇を警察や院内の屈強な看護師に囲まれていると行った状況も往々にしてあるわけで、身体的には内科医が飛び出していかなければならないというような状況はあまりないわけです。

それでも、一つの案件に長い長い問診や家族への聞き取り、警官等との遣り取り、精神保健衛生法に則った、精神科独特の判断能力が低下している個人に対して一段と深く配慮された人権上の手続きや最終的な患者さんに対する宣告と同意の取り付け後の入院など、我々内科医にはない種々のステップを踏んでの入院手続きを行っているようです。

統合失調や自殺企図だけではなく、薬やアルコール由来の問題の後に連れて来られた人々を見ていると、内科や外科とは違う知識や対応法をとることが求められる精神科医というのはそれはそれでみていて「大変そうだな・・・」と思うこと多々です。

内科等と違って治療の程度が数値化や画像化によって明確に改善や悪化の程度がそれほど定量的に描出される事のあまり無い精神科は精神科で、独特の世界があるもんだと感じる内科医の私でした。


2020年1月16日木曜日

阪神淡路大震災から四半世紀

あの日のことは一生忘れません。

1月17日に私は基礎研究室から週に一回だけ午前中派遣という形で行われていたバイト先で、朝から慌ただしくニュースが伝え続ける巨大地震の被害状況と燃え続ける神戸長田町の様子を仕事を忘れて見いっていました。

あり得ないように歪み、倒れ、剪断、寸断された構造物の数々に、この地震準備が相当整っていたはずの日本でさえこれほどまでに破壊し尽くされるということを見せつけられた日でした。それがもう25年も経つなんて時が経つのは本当に信じられないほど早いものです。

当時、神戸に住んでいた義理の弟は当時まだ大学で学生をしていたのですが、朝の一瞬の巨大な揺れで瞬間的に叩き起こされたと言います。その瞬間「死んだと思った」そうです。いつもちょっとやそっとじゃ起きない感じの義理の弟なんですが、この時ばかりはその鈍感風の弟がそういう感触を持ったのですから、いかにその衝撃が強烈だったのかということでしょう。

耐震構造、免震構造を謳っていたビル群でさえも、驚くほど壁にヒビが入ったり中身はボロボロになったりという状況でしたから、自然災害の前では人間の力など決して過信してはいけないものであるということでしょう。

wikiで調べてみると、圧死が圧倒的に多くそのうち15分以内に無くなった方が(多分即死のレベル)多かった事が後に司法解剖の集計等で判っているという事ですので、構造物の圧潰はやはり恐ろしい敵だということでしょう。

6000人以上の罪なき人々があの時の15秒の揺れで亡くなり、その無くなった人々の家族、類縁や友人達。直接的に間接的に心を殺された人達まで含めたらどれほどの人々があの揺れで被害を被ったのか想像も尽きません。

あれから結局東北大震災が起こりました、その規模、もしくはそれを超える大地震が関東、東海、四国、九州で何時起こるのか誰にもわかりません。
この日、来たるべき災害にどれほどの準備ができているのかを見直すのは、あの時亡くなってしまった方々のことを思うのであれば、我々が当然行うべき作業だと思います。

非常食、非常時のトイレ、非常時の食べ物、非常時の電源・・・どこにどれほどあるか理解されていますか?


2020年1月15日水曜日

一杯飲み屋

もう一軒立ち飲み屋を開拓しました。

今日は伏見の長者町問屋街の地下にある「ちろり家」に行ってきました。
名古屋に来ても一人で飲みに行くということがあんまりない私でしたが、最近はフラリーマン気分に拍車がかかってきて、勝手に地下鉄に乗ってウロウロしたいというソロ・キャンパー的な気分が盛り上がってきています。

こうやってコッソリと開拓しておけば、なごやにちじんがあそびに来た折に「良いとこ知ってるね~!」と旧知の友人に言われるのもなかなか良いではないですか!w

ちろり屋を知ったのは名古屋の名酒紹介のムックだったんですが、各ページごとにいろいろと癖の強そうな店が並べてあるので、そのうちの一つをターゲッティングして行ってみようと前々から考えていたのをついに実行に移したわけです。

行ってみたら本当に思っていた以上に小さな店で、若いお姉さんが今日は二人で切り盛りしていました。(本によればいつもは女性三人らしいのですが)
中に入っていきなり日本酒と烏賊の塩辛を注文。円頓寺商店街のお酒の神様以来の立呑でしたが、美味しい日本酒をいろいろと注文しながら突き出しを3つ頼んでもたったの2000円。入れ代わり立ち代わり近所で働いているのであろう俺前後の年齢のおっさん達が出たり入ったり。

まさに立ち飲み屋のあるべき姿です。

サクッっと呑んで、チョロっと食べて酔う前に地下鉄に飛び乗って家まで一直線と言う「理想の」飲み方が出来る名古屋ならではの良い感じ。勿論、東京や大阪も同じような波長のお店は無数にあるのでしょうが、九州に居たら福岡以外では出来ない飲み方です。

名古屋って適度に田舎で適度に都会。観光評には表出しないいいところってまだまだあります!今度は他の店を連続アタックしようと思っています。


2020年1月14日火曜日

介護に疲れたら・・・

レスパイトという言葉を御存知でしょうか。

在宅で患者さんや障害のある人を一生懸命ケアしている人が、時折利用するサービスに大きく分けてショートステイとこのレスパイトというシステムがあります。(デイケアはまた別!)ショートステイという言葉はよく聞く言葉の一つだと思うのですが、レスパイトというのはあんまり聞いたことのない方も居られるのではないでしょうか。

簡単に言うとその違いはケアの程度の違い。ショートステイでは通常、介護保険が使用されます。また、ショートステイを受け入れてくれる施設というのは通常、ある程度の障害までしか受け入れることが出来ず、重症の度合いが強い患者さんや障害者に対しては提供できないようなレベルのサービスが要求される時はこのサービスが実務上使えません。

そこを補ってくれるのがレスパイトと言われる入院の形式です。使われるのは医療保険です。実際のところ私がバイトで行っている病院でも、これを利用して御家族が心と体の休憩をとられる事も多々あります。短いと一日で、長いと二週間と思ってください。

毎日毎日、休むこと無く家族の一員をケアし続ける日々の中ではごく一部の人を除けばどうしても自然に「心と体の疲れ」が見えない澱のように溜まるものです。
褥瘡予防のための数時間毎の体位変換や爪の処置、排便、排尿の処置、食事の介助、CVポートの清潔保持、排痰のための吸引、体の清拭など数え上げるだけでも大変。実際はこれに薬の手配や万一のときの病院との連絡、デイケアとの連絡役所の書類セットアップなども加わりますから、一人で寝たきりの人を完全にケアしようとすると実際は「少なくとも」そのケアに集中するもうひとりの人間の人生も部屋に閉じ込められたものとなってしまうのです。

そういう意味ではこういう一生懸命頑張っている人を少しでも息抜きしてもらってリフレッシュ休暇を与えるのは社会を健康に維持するためにも、介護する人を社会が応援するシステムとしても「超」が付くほど大切なのです。

ずっと入院というふうには通常ならず、長くても上に書いたように普通は2週間。状態が悪化して入院延長となるようなことがなきにしも非ずですが、それでもこういったシステムを使ってその間に家族の大切な行事や旅行などを楽しまれる方も沢山おられます。

最近では娘の結婚式にこれを利用されて、大変喜ばれた家族さんが居られました。真に正しいレスパイトの使い方だと思います。ただ単に数日「お願いね」と言って預けられる方も良くおられます。

人間は所詮人間。最初から「疲れたら」どうやって休憩を取るかということを当然の前提として介護を行うことが、淡々と家庭での介護を続ける秘訣だと思います。

このシステムのことをご存じない方がもし居られるようであれば、一言これらのシステムの存在を近隣の入院施設のある病院にチョコっとでも御相談されることを強くお勧めします!1つ目が駄目でも2つ目、それでも駄目なら役所の福祉課もしくはケアマネなどに御相談されると良いと思いますよ。


2020年1月13日月曜日

娘二人がやかましい

アメリカから帰ってきた娘達二人。

20代の二人が揃って日本の家の中にいると「かしましい」です。
囂しい(くち4つの真ん中にページ)と書いて「かまびすしい」とも書きますし、姦しい(女3つ)で「かしましい」とも読ませるようですが、一言で言えば「やかましい」です。w

日本に居るとは言え、姉妹で家の中で話すのは99%が英語。横にいる母親の事を意識して話を聞いてもらいたい時だけ日本語に切り替えているようです。
ただ、脇で聞くともなく聞いていると入ってくる話は本当にもう下らないバカ話でして、二人でエンドレスにゲラゲラゲラゲラと楽しそうに笑って話し合っています。

正直まったく中身のない話を横で聞いていると基本的に親父としては「・・・・」という感じでして、時には思わず"Language!"と言いたくなるような話をしているんですが、まあ、この年代の姉妹が集まるとこんな感じなんですかね。

そもそもこういった女性陣に囲まれて育った経験が自身にないので、他の家庭ではどうなっているのか想像することさえ出来ません。
家の中にガイジンさんが居るという感じで、話している内容も勿論のことアメリカしてるんですが、日本にいて観光気分になる訳でもなく・・・。

この二人がそれぞれ家庭を作ってアメリカから配偶者を連れてくることになったら、ヤッパリ当然のようにEnglish Speakersを連れてきて、当然のようにその連中とも英語か他の言語で話すという形になるんですかね?ですよね。w

その先にあるのは日本語の物凄~く下手な孫と一緒に遊ぶ生活が始まるのでしょうか。
その場合はアメリカの長い夏休みを使って日本に長めに滞在して言葉を強引に学習させるという方法でスパルタ言語教育を行いましょうか、、、って、まずは結婚するんでしょうか?

聞かないことにしてます。


2020年1月12日日曜日

バカ女に騙されたがる男もいるっていう話

世の中には露悪的な人間が居るもんです。

最近ネット上で加藤サルとか言う不気味な顔立ちの女性の写真が流れていたので、ナヌナヌという感じでクリックしてみたら付き合ってた男性と三ヶ月で別れたけれど、その理由が「相手に1億使わせて事業が傾いたから」とか言うものらしいんですね。
まあ、この手の輩の話ですから話10%としても、めちゃくちゃに荒々しく金を使ったことには間違いないんでしょうな。庶民の感覚からして。

そもそもこんなのに1億使わせる、もしくは貢ぐ男の精神構造も凄いなと思うんですが、この手の女のどこが良いんでしょうね?パーなところが可愛いのか?取り敢えず芸能界に入っていると言うか相手にはされていないけど引っかかっているという所で自分も有名人に関与している、連なっているという気分を味わいたかったのか・・・。謎ですが。

親の顔が見てみたいというと言うのはまさにこの手の輩なんですけど、突然変異でおかしな娘ができたというのも考えられるし、親は極めて真っ当で兄弟姉妹も普通の人だけど極道になっちゃった一人息子なんてのも世の中には普通におりますので、こればっかりはわかりません。ま、探す時間が一秒ならばその一秒が勿体ないし、サーチする意味すら見いだせないのでしませんが。今日のブログネタにはなってくれたので良しとしましょう!ってここまで書いてやはり探しませんが。

本人曰く、既に次の男と付き合っているというところが驚きですが、この手の女には男の側からもある程度の需要があるんだということはよくわかりました。勉強になりました。
破れ鍋に綴じ蓋。昔の人は粋な表現でこの手の「輩」達も優しく表現してあげてます。

世の中には不思議とダメ男に連続して引っかかっては貢ぎ続ける「私がいなきゃ、この人は駄目になる」系の女性が太古の昔から居るものですが、男の側にも居るんですね。
しかし、ここまで書いてきてよく思い出してみると私の研修医時代にも居りました。

某自治医大卒の同期研修医でガリガリに痩せた背の高い(性格最悪)と影で言われていた看護師に騙されて結婚し、アッと言う間に別れた初(うぶ)な奴が。周りから何度も「止めとけ」と言われたのですが、愛は盲目なのかチXチXが女性に負けたのか・・・。
そもそも、女子会とかでは「私は医者と結婚するんであって、XXXさんと結婚するわけじゃない!」と嘯いて、周りの同僚から総スカンを喰らっていたような輩なんですが、その事を当時の私の先輩が結婚前に飲み会でそれとなく伝えても意思を曲げずに自爆したんですから、実に強靭な意志の持ち主です!頑張る方向は完全に間違ってますが。

世の中に男と女がいる限り面白い話が無くなることはないんでしょうが、まあ、パターンはほぼ場所と時間が異なるだけで、愚かなことには変わりありませんな。


2020年1月11日土曜日

バカと共産主義

韓国の馬鹿なトップが毎度毎度のごとく北の黒電話頭にバカにされてますが、モンちゃんが社会主義思想のシンパであることは誰が見てもわかりやすい感じですよね。

なんか難しい人の思考回路の中では社会主義の最終的な進化系が共産主義でしたっけ?
共産主義の前段である社会主義でさえ全く人間社会では実効性がない酷いシステムだっていうのがこの100年弱の間にありとあらゆる場面で繰り返し繰り返し証明されてきたのに、資本主義国家のトップたるものが未だにこの考えに取り憑かれているのがお隣の盲腸半島。

こういう「悪」平等思想は、理屈と数字の上では成り立っても心を持った人間の世界では全く役に立たない、成立し得ないイズムであることは日本に生まれたまともな人間なら誰でも解るハズ。

怠けた人間も、身を粉にして働いた人間も同じく月給15万って言う世界で一体誰が一所懸命働くと思います?実際、こういった世界の行き着く先は当然のごとく「貧乏の平等」とそれに伴って当然のように起きてくる「科学技術等の進歩の速度の低下」、更には「貧乏人の頼母子講の上位に位置する特権階級による権力維持と究極の腐敗」です。

実際、どの社会主義国家も上記の3つを確実にトレースしてきたでしょ?
いくら偉そうな事を言ったって、紙の上で高尚な理論を説いたってそこに「ヒトの心・感情」というファクターが入ってきたら何が起こるかなんて火を見るよりも明らかなんですけど、大人になっても理解できないのは頭が悪いからです。w

いわゆる想像力の欠如。

私自身は20代の学生の時にヨーロッパを一人で旅行した折、当時のユーゴスラビア、東ドイツ、チェコ、ハンガリー、ポーランドなどに行って共産主義を理想とした、もしくは強制された国々の悲惨さを目の当たりにしていますし、その後にはまだソビエトの崩壊直後の新生ロシアに行ったことがありますが、共産主義や社会主義を褒めそやす連中は一年くらいああいった国で一般人に混じって生活してみれば良いんです。多分一生のぼせたことを口にする事は無くなるでしょう。

それほど共産主義という思想は実体験として悲惨なものなのです。


2020年1月10日金曜日

障害者がこの世から居なくなれば良いという愚かな愚かな発想

心神耗弱という名目で死刑や重罪を逃れるのはナシにしてもらいたい。

クスリをやっていた、酒を呑んでいたということで正常な判断力を喪失していた・・・。
冗談は止めてもらいたい。大麻をやっていたとかいうこの全身入れ墨のバカ男。植松聖というこのクズが津久井やまゆり園で19人もの入所者を次々殺していったという理由がまさに優生思想そのもの。

雇われた経緯はわかりませんが、入所者への酷い暴言や体の入れ墨などがもとでクビになったというようなネット上の記述もありますが、クスリをやっていようがいまいがこんな奴は本来入所の誰よりも実際は重度の思考障害が有ったという笑えないはなし。

園の職員を脅しながら「こいつは喋れるのか?」と言いながら喋れないと言われた人々を部屋を移動しながら一人ずつ殺していったというのですから、まさに日本に現れたメンゲレです。

こいつに何の弁護をするのかよく解らないのですが、まあ、弁護士というからには何かを話すんでしょうな。曰く心身耗弱、心神喪失とか。人を殺すような段階で既にこの社会では生きていく為の適応を失った人間なのですから、隔離後その存在を消去してもらいたいものです。

正当防衛以外の理由で人を殺す状況というのは考えてみるとあとは戦争だけですか・・・。戦争は始まった時点でもう国家の状況としては殺るにしろ殺られるにしろ、国民としては最低の選択を強制された状況なんですけどね。

優勢思想。戦前から続いた癩予防法にしても、障害者に対する強制的な優生手術にしても本当に何を根拠にしたらそれをする側は生きる権利が有って、それをされる側は生きる権利もないと言うように考えられるのでしょうか。

そうやって数百万人のユダヤ人が殺されたのはこういった馬鹿な男のような思想に共感する人間の数がある一定数を超えた時に起きること。あの時代はヒトラーでしたが、平成の最後には植松という男がミニ・ヒトラーとして出てきたことに嫌なものを感じます。

不満のはけ口を自分より弱いものを消すことで注目を浴びようとする異常者の存在。シンパシーを示すものの登場に気をつけて一人づつ潰していくしか有りません。

障害は精神にしろ肉体にしろ必ずヒトの社会が存在する限り、先天性にしても後天性にしても当然のようにあるもの。それが見えない見たくない人間はそもそもそういう人間自身が社会には居場所がないということを理解できないのでしょう。


2020年1月9日木曜日

オレオレ詐欺に超厳罰を!

ニュースに現れては消え、現れては消えるオレオレ詐欺。

この手の振り込み関連詐欺事件は本当に手を変え品を変え何度も何度も全国各地で被害者続出ですが、そのターゲットとなった多くの被害者が老人。
その老人達が時間をかけて溜め込んだなけなしの金を有象無象の悪党が寄ってたかって巻き上げていくわけです。親分格の連中は勿論、受け子や出し子も含めて腐臭を放つ生ゴミ共がうじゃうじゃとその金に寄ってくるわけです。

この手の犯罪被害に合った人達だけでなく、その犯罪者の親類縁者も大変な心理的な衝撃を受けることは間違いないでしょう。まさか私の親がとか、まさか私が!というような巧妙で手の混んだ二重三重のトリックがはられているわけですから、人数と手間暇をかければ、犯罪検証の情報に疎い爺さん婆さん、難しい事が考えられなくなっている年寄りなんていうのは残念ながらイチコロです。

甘い汁を吸う連中は多くの人の努力と我慢の成果を楽をして得るわけです。しかも対価無しに!この「対価無しに」という部分がまさに犯罪。経済行為には通常は当人同士の合意のもとにサービスと代価が一対にならなければ、金銭のやり取りとしては成立しようもありません。寄付行為なら別でしょうが!

ここで私思うんですが、他国の事情はいざ知らず、日本中に跳梁跋扈する日本人や外国人も含めた生ゴミ共を震え上がらせるだけの超強烈な罰則を作り上げれば、この手の犯罪は激減すると思います。

抑止力という意味では最高刑は死刑でもワタシ的には全然有り!
掠め取った日本円で一万円毎に懲役を一年ずつ積み重ねる方式にしてしまえば、人から50万も盗めば大体の成人犯罪者はその人生のほぼ一生を塀の中にブチ込まれる事となる訳。まずは金の受け子やATMからの出し子はその刑罰にしておいて、組織の中枢は命懸けの苛烈な刑罰にしておけば警察組織も真剣に放逐してくれると思いますけどね。

クソ弁護士が生ゴミをどう弁護するかは見ものですが、まあ、こういう私の頭の中だけで夢想された刑事罰なんて国会を通るわけ無いわな~とは言いつつも、署名を集めてこの手の経済犯罪には今の過料の10倍とか50倍くらいは重くする方向に持っていっても良いんじゃないでしょうかね。

アメリカのように巨額の粉飾をして一生刑務所にブチ込まれることになったワールドコムの爺さん経営者の例を上げるまでもなく、日本って経済犯に甘すぎると昔から思っているんですが、犯罪者以外に誰か困りますかね?悪いことには大体のことに首を突っ込んでるセンセイ連中的にはこの手の厳罰化は「たいへん」困るのかな?


2020年1月8日水曜日

ゴーンってこんなに馬鹿だったんだ・・・

カルロス・ゴーンの会見、横目で見ていました。

しかし、もうなんというかヤッパリね。滔々と捲したてるこの早口で話し続けるオジサンって一体何者と思いました。話すのは何の証拠もない「自分の視点に立った言い訳」としての「日産の批判」「日本の司法制度の批判」が出てくるだけ。

話を煙に巻くという表現が全くピッタリ来るような会見でした。

所詮は不法に脱出した国際指名手配犯。金を使うことが出来る者だけができる手段を使って逃亡した「遵法意識の欠如した知性たっぷりの嫌味な金持ち」というスティッカーを貼られた男が数ヶ国語を使ってスマートに振る舞っても、なーんの説得力も持ち合わせていないのは明白。

レバノンのある階層の国民達にとっては頑張って国外で成功したレバノン人の一人なんでしょうが、方法論がとてもとても真っ当ではないところに犯罪者としての嫌疑がかかっているわけで、会社の金を私用に使い込んだり、違法な国際送金をその持ち前のスマートな知恵を使ってやっていたんですからアウトですわな。

観ていてワタシ的に終始一貫していた感想はスマートなオッサンは保身には忙しいけれど、中身は思った以上に人の心が読めないスッカラカンの輩だなというものでした。

日産の車が今、ノート以外ほぼ何も売れていないドツボ状況に陥っていますけど、今の状況が発生したのは結局の所、ゴーンの時代も含めて後半では全く準備がで出来ていなかったということではないでしょうか。

彼は所詮コストカッター。カットするものが無くなったあとに何かできるかというと、この手のポリテクには何も選択肢が残っていないと言うことを白日の下に晒してしまったということではなかったんでしょうか。要するに仕事が終わったあとも無用に長く居座りすぎたんですな・・・。

V字回復したあとで、さっさとやめれば今の裸の王様状態のような醜態は避けられたのにね~。自分を見失っているのがよく解る愚かな初老のオッサンの残念すぎる会見でした。


2020年1月7日火曜日

こんな事も起きるんですな

今日は少しびっくりしました。

バイト先の仕事が終わる間際に訪問診療が終わって帰るまでにしばらくのあいだ時間が空きました。近くのセブン・イレブンに行ってガムでも買って食べるべい、という感じで白衣を脱いで私服に着替えて道を歩いていたのですが、角を曲がった瞬間に異様な風景に出会いました。

それはバイクにしがみついてブルブルと震えているお婆ちゃんの姿でした。

前に進むこともできず、尻餅をついて後ろに座ることもできず、ただただブルブルと震えてそこにおいてある黒いバイクにしがみついているのでした。思わず駆け寄って話しかけ「お母さん大丈夫ですか?」と一言声をかけました。

人によってはいかなる状況でも手助けを拒否するような人達もおりますので、まずは声掛けで確認をしたのですが、もうそれにストレートに応える余裕さえない状況です。
体が後ろ向きにエビ反ったような形になったまま上を見上げて「歩けません。前に進みません。」と言っていました。

肩を貸して真っ直ぐに立たせようとするのですが、それも叶わない様子。話をそれとなく聞くと、もともと歩きづらい体だったのに昨日一度コケてしまい、それ以来歩くのがままならくなってしまったというのでした。なんでこんな所まで歩いてきたのかという疑問は残ったものの、まずは何とかしなければなりませんでした。

家はどこと聞くと、50メートルくらい向こうの家とのこと。ところがよく聞くと三階に家があって階段を登らなければならないという話。絶対に無理です。
そこで、お婆ちゃんに「絶対にここを動かないでね」と言って道を渡って30メートルほど先にある病院まで走り、院内に居た事務の女の子に手短に事情を説明しそこまで一緒に来てもらって私の車の後ろに乗せて病院まで運びました。運ぼうとする時にお婆ちゃんが「タクシーは使わないで~」と叫んでいたのが印象的でした。

車椅子に移乗させて即病院内へ搬送。幸い外科の女医さんがまだギリギリ居られたので、下肢その他の診察を依頼して私自身はその日の仕事を終えたのですが、病院についたお婆さんはホッとした様子で淡々と診察前問診票に記入を初めていました。私自身が医師であることは知る由もない状況でしたが、あんな状態で暗闇で変な姿勢で震えて立ち尽くすお婆ちゃんに誰も声をかけていなかったのは私自身逆にショックでした。

骨折その他のシリアスな状況が発生していなければ良いのですが・・・。明日電話をして確認してみようと思います。

ガムは買い忘れました。


2020年1月6日月曜日

外来で問題を起こす人々

内科外来でも私の勤務先のように精神科の外来が大きいところでは、精神科に"だけ"通院する代わりに私達内科医の担当する内科外来にも来られて種々の内科的疾患を診ることになるパターンも結構多いのです。

ところが、中には内科医としては正直「勘弁してくれ」と言いたくなるような患者もチラホラ。病院で問題を起こす患者なんて言うのは(医師専用のフォーラムなどを読む限りでは)全国津々浦々に満遍なく居ると思うのですが、実際のところ我々のところでも稀にやってきます。

内情を知らない方にとっては意外かもしれませんが、ヤーさんだったり、元ヤーさんだったり何ていうのは正直私の勤めている病院ではあんまり問題にはなりません。それこそ、外見上の凄みがある人は沢山おりますし、聴診のときなどに体の前後を埋めるように彫り物をしてる人なんて言うのが丸見えなんて言う人もよくありますが、折り目正しい感じの人のほうが多くて、アホな看護師が勘違いした口の聞き方をしない限りは、私の知る範囲で病棟でも外来でも問題を起こすような人はまずおりません。

問題を起こすことが多いのは、むしろアマチュアレベルのチンピラ。大声で吠える傍若無人ぶりをたしなめられると更に吠え、病院内部の「担当者」が出てくると捨て台詞を残して去る・・・。通りかかる警察官の前では本当に飼い猫のようにおとなしいのですが、弱い患者さんの前では再び横柄で威圧的な態度。病院にとってはただの迷惑ファクターそのものなので、いわゆる「出入り禁止」&「ブラックリスト入り」にて一件落着。

もう一度院内に入って問題を起こす事があれば「即座に警察コール」というセットアップを本人に伝えると、文句をブリブリ言いつつもまず次第に病院に来なくなります。w
こういうのは淡々と事務的に処置・処理していくのが肝だと言うのがよく解るのです。

さて、もう一つのワタシ的に困った人達は抗不安薬や眠剤を「出せ出せ」と言ってくる人達。最近この手の人達が来ることが「抗不安薬を使っている友達」の紹介で来たことが有ったので、問診をきちんと行ってみたところ「自動車学校での運転免許の試験で指導者が横になるとパニックになりそう」等という中国人女性でしたが・・・。(そもそも車の運転に向いてないんじゃないの?と言いたいところですが。w)

私は精神科医では有りませんので正直「このひと何いってんだ?」という感じなのですが、そんな理由で不安でたまらないから、なんて言う度にいちいち抗不安薬を使わないといけないなんて言う人はそもそも根本的になんかが大きく間違ってませんかね?と言ってやりたいのですが、そこは診察。長い時間をかけて本人希望の”一ヶ月分”とか言う処方を最大数回分の頓用として処方。それ以上は絶対に処方しないという確固たる意志を持って対応し、必要があれば他医へ行って頂きたいと告げました。(不満そうでしたが。)

そもそもこの方面は自分の専門ではない上に、保険審査機構のようなところから「向精神薬、眠剤」を各病院を廻ってかき集めている「自称」患者がいるという通知を受けているため、自然と用心せざるを得ません。

一体全体集めた薬を本当に使用しているのか誰にもわかりませんし、それを売り捌いている可能性も十二分にあるわけですからその片棒をかつぐわけにもいきません。w
本当にこの手の情報は全部電子化されて他院で処方されても電カル上に真っ赤な警告が出るようにオンライン化されないとほんとうの意味では防げませんよね。

病院に来る変な人達にもいろいろあるのです。


2020年1月5日日曜日

やっぱり出てくる問題の数々

あちらこちらで種々の実例が報告され始めている「働き方改革」導入後の副作用。

今回はある地方自治体のおせち料理2千数百人分のオーダーのうち300人前程度の準備ができないと、その調理を請け負った水産会社から直前に泣きが入ったというもの。
自治体側が注文を請け負った会社に対して理由を問うと「捌ききれず」とのことで、完全に予測の甘さが出たということになったみたいなんですが、その裏にもう一言あるようなんです。

それは「働き方改革」で労務時間の超過が不可能となったというもの。本来、経営者であればそこまで見越した上で人数をなんとしてでも確保するなり、受けきれる数をきちんと見積もってそれ以上は拒否するラインを正確に出しておくべきだったのでしょうが、それが出来ていなかったという事なのでしょう。

数的には10%以上の見積もりオーバーが有ったということですが、実際のところこの程度の数の差であれば以前なら頭を下げてバイトさん達に残ってもらうなり、正社員に超過で働いて貰ってその分余計に賃金弾んでプラス・アルファで何が何でも目標達成というように捩じ込んでいたんでしょうが、それも今はもうできない時代になってきたということなんでしょう。

問題は、法で認められた(時間X労働力)という積が目標達成に到達しないレベルである時に、労働力に+nを付けるだけの人間がもう居ない国になっているという単純な事実が日本中の隅々にまであるという点でしょう。

実際に同じような話があった警察組織の前例もありますが、結局その残った仕事は家庭内残業の形になったりするといういわゆる隠れ残業。私が恐れるのは、こういった家での隠れ仕事がかろうじてまだ効くのは書類仕事の世界だけだという事実でして、実務対応が対人である医療の世界では厳密にこの法を適応できるだけの人の数は今の時点では絶対に、絶対に足りないという話。

という事は、サービスの質を保ち、働き方改革法案を遵守するためには確実に病院のベッド数をシュリンクさせていくしか無いはずなんですよね・・・。

これから先は適切と思われる病院に入りたくても入れない人が出てくる世界が日本に必ずやってくる期間が出てくると思います。その期間はこれからのいつかは正確には表せないものの(老人人口の推移と疾病の状況にもよると思われますが)数年から十数年の間続くのではないかと思っています。特に地域差は大きいと思います。


2020年1月4日土曜日

長女が長崎へ一時帰郷

NYから帰ってきている長女が長崎の嫁の実家に行きました。

目的は久しぶりに親族一同に合うことなのでしょうが、当然この時期に行けばお爺ちゃんからお年玉がいただけるわけで。まあ、たまにしか会うことはないのできっと喜んでくれるとは思うのですが、お爺ちゃん達にはちょっと申し訳ない感じです。

到着した娘を撮った写真が義理の妹から送られてきていましたが、早速、長崎空港から大歓迎を受けたみたいで有り難いです。
やはり、長崎の実家にとっての初孫ですし、まだ日本にて小さな頃からある程度(保育園に入る前くらいまで)大きくなるまでは見てくれていたので、長男、次女以上にコンタクトの記憶が濃密なわけです。

多分今日の夜から早速長崎の海の幸を味わうんじゃないかな?
我々が帰崎した際にもいつも長崎尽くし。ちゃんぽんや皿うどん、刺し身などが繰り返し出てきます。最後には必ず名古屋の知人に向けて福砂屋のカステラを買って帰るのが一つのパターンになっています。

本当のことを言うと長崎に帰っている間に自分が生まれたホームタウンである長崎という街を大人になった自分の目でキチンと巡って知って欲しいなと思うんですけど、なかなか短い時間では回りきらないかな?
まあ、NYなんかに比べると歴史の質が大幅に違うので、宗教自体にほぼ興味の無い長女にとっては長崎と言うところはあんまり興味のわかないエリアなのかもしれません。それでも、いつ行っても毎回長崎の食べ物には大満足しているみたいです!

大好きなお婆ちゃんとまた色々話してきっといつものように最後は二人とも大泣きで長崎空港で別れるんでしょう。ふたりとも本当にびっくりするほど涙もろいのでした。w


2020年1月3日金曜日

今年最も気になるのは東アジア

一党独裁なんて言うのは人間の発明したシステムの中で最も駄目なものの一つでしょうな。

完全な一党独裁の国というのは通常その民主主義の度合をアピールするために形ばかりの「完全に一党のコントロール下に置かれた」対立政党を作るもんですが、北の受話器頭の国も、西のどでかい赤い国を必死でコントロールしようとしている顔色の悪いプーさんもやってることは皆同じ。

50年前のソ連となんにも変わらないことを繰り返しているだけ。現代のテクノロジーでより効率的に個人の情報と自由を抑えつけているだけで、全くやっている内容自体には進歩が見られません。本当に政治家という人間は、トップに立つと自分の権力を正当化するためにはありとあらゆる美辞麗句を大声で繰り返し繰り返し国民に刷り込んで、可能な限り自分の醜態から国民の目を逸らすために外に敵を仕立てるという構図がやめられませんね~。

ヒトラーも北の豚もアフリカの独裁者共も、新旧の赤い国々のお歴々も、政治学や倫理学が何を言おうと、馬鹿なトップのやることとそれについていく愚民の構図は、国も人種も、何れの時代も関係無くほぼ同様ということで真に人間というのは進歩せんのですな。w

戦争と滅亡を各時代で何度繰り返そうと指導者も国民も何も学ばず。結局のところは人間というのはSF映画みたいに最後は絶滅するんだろうなって考えることもしばしばです。
絶滅の理由は核か生物兵器か資源の枯渇による最終的な局地戦の繰り返しなのか想像の枠の外ですが、絶滅というエンディングへのシナリオは形と長さこそ違えそう続くものではなさそうな今年の感触です。

一番イヤなのは北の豚が最後っ屁をかまして日本に「も」デッカイ花火を打ち込んでくる可能性です。沢山打ってくればそのうち数発は防御網を抜けてくるでしょうからね。

そん時は遠慮なく北の国を更地にしてあげたい気もしますが、豚とその少数の取り巻き以外に逝かなければならないような罪を背負った人々が彼の地に居る気もしないのです・・・。野郎の次の世代がまた黒電話みたいに育つ前にさっさと自然死してくれるのが最高のシナリオなんですけど、まだ少し先っぽいし。今年は無理そう。

それにしても、ロケット大好きな黒電話頭もフェイクとは言えあんまり吠え過ぎてるとやばくないかい?北のキチガイにはアメリカのトップに居るもうひとりのキチガイが、痺れを切らしてぶつかって来そうな気もするんだよね・・・。イランの軍の指導者みたいに。

新年早々、ニュースを読んでいてなんだか暗いな~と感じてしまったオジサンでした。


2020年1月2日木曜日

正月感無いな

正月二日目にして近所の景行天皇神社に初詣に行きました。

相変わらずそれなりの人出で、長久手の(多分近所の)人たちが歩いてこれる感じの神社としてここにやってくるのでしょう。今年も100メートル位の長さの距離の人の列を作って皆しずしずとお詣りしておりました。

そこには相変わらず純粋に日本人の顔かたちをした二人の娘が英語で話し合っている「日本的には」変わった景色が有りました。やっぱりここは日本だな~と思うのはこういう時です。周りは染めていない限り基本みな髪が黒くて背もそれほど高くない。極端なデブもいないし、肌もあまり色は極端に変わらず。

やっぱり人種のというか遺伝的多様性という意味では日本という国はまだまだ「ガイコクジン」というのが田舎では目立つ存在だなって思います。名古屋も街の中心部に行きさえすれば昨今話は全く変わってきますが、それ以外はやはり・・・ね。

家に帰る前にイオンモールへ家族で行きましたが、特にこれと言ったものを買うこともなくそれなりにブラブラ。娘達もあちこちウインドウ・ショッピングをしてはいましたが、アクセサリーをちょこっと買ったくらいで、フードコートで少しだけピザを食べたくらいで特に散財もせず家へ帰りました。

私自身はやはり家では勉強以外に特にすることもなく、今まで臨床の合間で抜け落ちていると思っていた種々の病状における血液の代謝と鉄に関するいろいろな疑問をもう一度おさらいして忘れていたことをノートに書き付けて記憶の整理をしました。

今年もまた淡々と毎日勉強をしながら生きていこうと思っています。それにしても本当に新年感がないです。

そう言えば、お伊勢さんに行ったという職場の同僚に聞いたら、お伊勢さん自体は凄い賑わいだけど、そこに行くまでの行き帰りの道は全然混んでなくてお薦めですよ~とのこと。来年は行ってみようかなとちょっと思ったのでした。想像では行きも帰りも大変な混雑で・・・と思っていたので、実際はそうでないと知り意外な感じです。


2020年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

という台詞を近所ですれ違う人々や病院の皆様に撒き散らしている日本の正月ですが、新年早々良くない知らせが田舎から入ってきました。

二月ほど前に母の姉の葬儀に九州に帰ったばかりですが、新年の挨拶をLINEで交換していた(病院で働いている)姪っ子から、母の妹にあたる私の叔母が消化器系の癌で既に末期であり、既にこの12月に診察即入院から一週間もしないうちに緊急手術を行っていたという報告を受けました。

この前の葬儀では元気そうにしていた叔母だったのですが・・・。既にその時点では体の中に大きな癌が広がりを見せていたのでしょうか。姪っ子によると、既に昇圧剤を使用している状況で、下肢は両側とも浮腫がひどく会話は通じるものの、認知機能が少し低下し始めており、ほんのこのまえ自ら出席したはずの自らの姉の葬式の事を覚えておらず、「なんでXXちゃんは見舞いに来んのかね?」と不思議がっていたとのこと。

姪っ子がゆっくりとその事に関して改めて説明をすると、涙をポロポロと流してベッド上で悲しんだという話を聞きました。orz

新年早々一体全体どういうこと・・・と思わず返事を返したのですが、よく聞くとその旦那さんであるわたしにとってのおじさんは、そのほんの少し前に脳梗塞を起こして一瞬入院していたとのこと。これも驚かされましたが、幸いにしておじさんのほうは今の所、後遺症もなく元気にしているとのこと。

数年前から内心では「両親達の兄弟姉妹も段々とそういった事が起き始めてもおかしくない歳になってきたな」とは思っていたのですが、まさにそういった状況になって来ているのではないかと強く思った今回の一件でした。

今月また一度は宮崎に戻らなければならないな、と思った新年の1日でした。

家族はというと、「銀のさら」で注文した大皿の寿司をペロリと平らげて満足そうでした。美味しいネタは三人の子供達に当然遠慮なく取られましたが。そんなもんです。子供達にはこの事をまだ教えていません。

何があっても、日々は遠慮なく過ぎていくのでした。生老病死。どのフェーズも必ずどの人にも訪れるもの。年の変わった元日に改めて思い知らされた厳然たる事実でした。