私は日本に帰国して私立の病院勤めです。
看護師さん達は若手を中心に確実によく働きますね。年取ってる人達の中には私から見ても「歳食ってるだけで全然勉強もできてないしまるで駄目だな」と思える人も確実にチラホラおりますが、敢えてその手の人達には接触しないようにしています。
私の仕事は若かろうが、歳食っていようが、勉強をして前向きに看護に当たる患者さんに対して優しい人達を教えていくことだと思っています。
病院というところは巨大な組織であって、患者さんのケアを本筋としてそこに集まる数百人の医療職、事務職などの人達とそこで働く人を頼って生活をしている家族達の為にも存在することを忘れてはなりません。
そもそもチームプレーヤーとしての役割を果たせない人は組織では生き残っていけませんし、存在してもらっては組織にとって迷惑です。分子生物学で言うところのドミナント・ネガティブというものですね。
今独立行政法人になっている大学病院というところがどうなったのかは全く知りませんが、私が大学生だった頃の医学部附属病院というのはおそらく全国どこでもだったのでしょうが、恐ろしいほど看護師が働かないところとして悪名高いところでした。
当時はあそこの組織というのは基本的に看護師が日誌を書きに来るところでして、カルテという芳名録にその日の記事を書くことが御本人様達のメイン業務となっていたのでした。で、結局のところ注射のセットアップ、採血、血型チェックから研修医やその上のオーベンの先生方が率先して仕事をしていたのが印象的でしたが、大学病院のいわゆる国家公務員の看護師で長く勤めていた人間達の中には当然のように医師より給料が高いものまで居たと言います。w
しかも、国家公務員ですから余程の無能でも「やらかし」をしない限りは馘首にはならずという世界。そこは外から見間違えている聖職者ではなく労働者の世界でした。
それが月日も流れて独立行政法人になってからというもの、外の世界を知らないバカ猿は今ではかなりの絶滅危惧種らしいのです。要するにサービサーとして生きていけなくなったにいんげんは去らざるを得なくなったという話。どこまで本当なんでしょうかね。
まず電カル導入で、それを使えないおばさん達がサーッと辞めていったと言います。そのあと、結局、サービス産業という自覚のない人たちが次に櫛の歯が落ちる如く抜けていったという時期があったらしいのですが、その時期に私は日本には居りませんでしたので、友人たちの話を聞いて識るしか無いわけなんですが。
一番印象的だった先輩の話は、大学病院が停電になって小児科病棟の呼吸器の電源に問題があって動かなかったマシンが発生した時に、ドクターたちが大慌てで病棟を走り回って対応していたとき看護日誌をかき続けていた馬鹿に「あんた何してるんだ!」と言ったところ、「日誌を書くのが私達の仕事です!」と緊急対応中のドクターに言い放ってそのドクターが激怒。ボコッと尻を蹴りつけたと言います。今だったらかなりの問題となるんでしょうが、私がそのマシンに繋がれている子の親だったらバットで殴っていたでしょうから先生はまだ優しかったのかな?
時代は変わったんでしょうね。どこに行ってもその組織内で使える・役に立つ人間でありたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿