2020年1月16日木曜日

阪神淡路大震災から四半世紀

あの日のことは一生忘れません。

1月17日に私は基礎研究室から週に一回だけ午前中派遣という形で行われていたバイト先で、朝から慌ただしくニュースが伝え続ける巨大地震の被害状況と燃え続ける神戸長田町の様子を仕事を忘れて見いっていました。

あり得ないように歪み、倒れ、剪断、寸断された構造物の数々に、この地震準備が相当整っていたはずの日本でさえこれほどまでに破壊し尽くされるということを見せつけられた日でした。それがもう25年も経つなんて時が経つのは本当に信じられないほど早いものです。

当時、神戸に住んでいた義理の弟は当時まだ大学で学生をしていたのですが、朝の一瞬の巨大な揺れで瞬間的に叩き起こされたと言います。その瞬間「死んだと思った」そうです。いつもちょっとやそっとじゃ起きない感じの義理の弟なんですが、この時ばかりはその鈍感風の弟がそういう感触を持ったのですから、いかにその衝撃が強烈だったのかということでしょう。

耐震構造、免震構造を謳っていたビル群でさえも、驚くほど壁にヒビが入ったり中身はボロボロになったりという状況でしたから、自然災害の前では人間の力など決して過信してはいけないものであるということでしょう。

wikiで調べてみると、圧死が圧倒的に多くそのうち15分以内に無くなった方が(多分即死のレベル)多かった事が後に司法解剖の集計等で判っているという事ですので、構造物の圧潰はやはり恐ろしい敵だということでしょう。

6000人以上の罪なき人々があの時の15秒の揺れで亡くなり、その無くなった人々の家族、類縁や友人達。直接的に間接的に心を殺された人達まで含めたらどれほどの人々があの揺れで被害を被ったのか想像も尽きません。

あれから結局東北大震災が起こりました、その規模、もしくはそれを超える大地震が関東、東海、四国、九州で何時起こるのか誰にもわかりません。
この日、来たるべき災害にどれほどの準備ができているのかを見直すのは、あの時亡くなってしまった方々のことを思うのであれば、我々が当然行うべき作業だと思います。

非常食、非常時のトイレ、非常時の食べ物、非常時の電源・・・どこにどれほどあるか理解されていますか?


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