2020年1月23日木曜日

長女の帰国・聞いた話

というわけで今朝早く長女がアメリカに帰っていきました。

中部国際空港からちょうど新型コロナ・ウイルス肺炎を持ち込んで来るであろう春節が始まった中国人の日本入国集団と入れ替わるようなタイミングとでも言うべきでしょうか。今回の肺炎は多分中部国際空港経由でも「全く入ってこない」というようなことにはならないと思うんですけどね。なんてったって数が膨大ですから。

7時過ぎの便で中部を発って 東京にもアッと言う間に到着したことがLINEでわかります。シカゴ行に乗る直前に涙マークの返事がありました。w
それでも半日ほどで「いまシカゴ」更にしばらくして「家着いた」とお疲れマークと共に連絡が入りました。無事で何より。再び日々勉強の日々が始まるわけです。

今回、面白いなと思ったのは娘達の勉強法をきいたときの話です。
アメリカの大学生はよく勉強をして日本人の大学生はそんな事はないというように言いますけど、私は今どきの学生はそうでもないと思います。アメリカに居た時は私自身もそういった日本で言われているような先入観を持ってアメリカの大学の学生の勉強を見つめていましたが、彼らの勉強の様子を見ていて思ったのは「効率よく」勉強しているな~ってことでした。

勿論、トップ中のトップの猛烈な勉強の話を聞き始めたら日米ともに猛烈なものなのでしょうし、優秀な学生は洋の東西を問わず目から鼻に抜ける様なスマートさを示すのでしょう。しかし、私が見た多くの学生達、確かによく勉強をするにはするのですが、オフの時は結構「全く」というレベルで力を抜いているという感じでした。
その力加減こそが、卒業後にやってくる彼ら自身のこれからの人生の主だった行動様式なんだろうなとは思うんですけどね。

ではどうやって・・・となると、長女と話をしたところでは分担して宿題をしたりするんだそうです。例えば一週間に300ページとかの読了を求められるような課題では100ページずつにわけてチャプターを読み込んでサマライズし、それを持ちよって教授に対峙するんだそうです。まあ、この手のこともやはり現代の標準的学生気質でしょうね。

ところが、教授は教授でそれにきちんと対抗していて、例えば上記のような分割分担を当然の様に予想していて、文章全体のなかで幅広く読んでいなければ答えられないような質問をガンガンと混ぜ込んでくるんだそうです。私でもそうしますが。w

しかし、この手の週単位での読み物」分担サマリーは多くの場合人文系寄りにできることで、数学や物理なんかでは孤独なコツコツとしたセットアップこそが殆どの場合、王道だと思います。無論、理系であろうと文系であろうと出来る輩を中心として勉強会等はするんでしょうが、最後のツメの「ああ、そうだったのか!」という瞬間は苦しみながらも自分の頭で考え抜くしか有りませんよね。(あと、教えることが出来るという状況こそがより深くする肝であることは昔から鉄板ですので、ミニレクチャで自分がその分担のミニ講師になるのは素晴らしい勉強法だと思います。)

結局の所、学生と教授側はどの時代でもどの様な授業、テストでも、お互いの出してくる手管を読み合いながらの”化かしあい”なんでしょうな。とはいえ、理解できそ、れが自分の中に血や肉となって残るのであれば道筋はどうでも良いんですけどね。


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