今日、ある患者さんがお亡くなりになりました。
御高齢の方で、もう数ヶ月前から病勢が徐々にこの方の命を蝕んでいくのが見えるような状態でした。コロナの一旦の収束後に御家族に病院に来て頂くようになり始めてからというものこのようなエンディングが近い患者さんにきちんと御家族を合わせることが出来るようになって会うことも出来ない碌でもない最後の別れと言うような事は本当に無くなりました。
実はこの患者さんの最後に息子さんがぎりぎり間に合う形で来られたのですが、私が死亡確認をした後に葬儀社のお迎えが来るまでの間、亡くなられたお母さんのお話や御自身の今までの来し方をお話してくださったのですが、今までこの方がどんな方なのかと言うことを社会福祉士等の記録で手短には理解していたのですが、そんな記録を遥かに超えて深くダイナミックな個人史がありました。
亡くなられたお母さんとの若い頃からの関係、そしてお母さん自身の若い頃のお話、更にずっと昔に亡くなられた父君のお話など、次から次へと溢れるように語る内容が出てくるのですが、その内容が「え~!」と声を上げてしまうような事ばかり。
この方自身の今の外見は本当に大人しそうで保守的、どこから見ても紳士然とされている方なのですがその若い頃の暴れぶりと人生の転機の話、そしてお母さんの苦労・苦闘に満ちた若い頃からの闘いの話を聞いて、今までベッド上で「こんにちは!ありがとう!」と大声で応えるばかりだった寝たきりのお婆さんが実はこんな豊かな山あり谷ありの人生を送ってきていたのかと胸が熱くなりました。
頭の中で「人は見かけによらない」と理解は出来ていてもやはり眼の前のその人達がその話の主人公かと思うと信じられない事があります。
人は語らないだけで、普通に見える人達が実はダイナミックな人生を生きているということなど極普通なんだという事を改めて肝に銘じた自分でした。
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