2021年2月25日木曜日

生と死が隣り合わせにあるところ

名古屋駅から少し走って千種区界隈に入ってくると平和公園があります。

ここは基本的にお墓であることは名古屋の住人ならほぼ誰でも知っていますが、それに連なるように広大な敷地でお墓を連ねているのは日泰寺周辺のお墓の群れです。このお墓は本当に拡がりが網の目のようになっていて、道や家を挟んで飛び飛びになりながらもどこまでもお墓がひろがっています。

こういうエリアでは家の壁の真裏がお墓だというのは全く普通で、家の窓越しに卒塔婆が見えています。(実際に中から見たわけではないのですが、お墓側から見ると間違いなくそういう位置関係です。)

無数の墓石が立ち並んでいるわけですが、こういった石の群れを眺めて日常を送るというのはどんな気分なんだろうと時々考えてしまいます。無論、小さい頃からそういう家に住んでいて、何の意識もせずにそのまま大人になっていくというパターンも幾らでもあるでしょうが、よくみていると時々お墓の隣に新しい分譲住宅が数件ずつ売られていることも多いのです。そういうのって一体どんな人が新たに住むんだろうか?等と再び考えてしまいます。自分だったら強制的に「人の死」を意識せざるを得ないようなシチュエーションに自らを置きたくはないなと思ってしまうところで、少しくらい安くとも決して買うことはないかな~等と想像してしまいますが、そんな事は全く気にしない人も居られる訳で。

まあ、私の仕事も人の死と日常的に隣り合わせ状態ですから「お前なんか仕事自体がそうじゃないか?」などと言われれば「かもしれぬ」と答えるしか無いわけですが・・・。

そう言えば、昔行っていたバイト先の病院の真裏はいわゆるラブ・ホテルでしたが、仕事をしながら考えていたのは「よくまあ、病気や老いと闘う人達が集う場所の真裏にラブホを建ててその中で宜しくやるもんだな~」と思っていました。

しかし、そういう施設はそこまで想像力を働かせる前に性欲のほうが勝る人達が利用するところでしょうから利用者の皆様にとってはどうでも良い事なのでしょうが、改めて人間って逞しいよなと思うわけです。結局のところ生と死は常に背中合わせ。死など無視してその性(生)を繁殖に結びつける者の遺伝子だけが生き残るわけですから、私の言える結論は「ガンバレ」と言う一言のみでしょうか。w

今日もまた墓の周りでポケモンを収集するおじさんの雑念開陳でした。


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