2021年2月7日日曜日

恥ずかしいけどこの歳で知らないことばかり

昨日墓の事を書いた折に興味本位で色々なことをしらべてみました。

恥を忍んで言いますと、知っていそうで知らない事ばかりでした。私の年代のものなら知っていて当然というような事を、いざ「説明しろ」と言われたら責任を持って出来ないことばかり。改めて自分のモノの識らなさを確認する儀式になってしまいました。

例えば「散骨」。そもそもこれが現代の日本で認められているか否かというと簡単な答えはYESです。もっと言えば「完全に合法」、但し周囲に対する配慮があることという条件が満たされる限り、海・山・川、果ては宇宙まで全く問題ないのだそうです。

ただし、最近は悪質な散骨代行業者が居てそこらあたりへ纏めてポイというような怪しからん奴らも少なからずいるということでむしろこんな連中には頼まず、家族の手で特定の木のもとに散骨するうような樹木葬のようなものが良いのかもしれません。自分の好きな木の根元で土に還って養分になり木に取り込まれるなんて中なきいではないですか。(^^)

また「永代供養」というのも最初に高額の金を払えばあとはずっと供養してもらえるのかと思っていたら去に非ず!あくまで借地権としての感覚と同じで、次の子孫、親族が居なくなれば墓は荒れ放題。そうなると告示、公示が出て一定期間が過ぎると墓は区画整理の対象になったり、合葬墓に纏められて実質的な無縁仏になってしまうとのこと。

墓に拘り立派なものを造って一世紀も経たないうちに子孫、親族とも散り散りになって無念の無縁仏と化す墓の中の人々の何と多いことよ・・・と言うのが令和の日本のようなんです。特に分譲して長くなればなるほど、その親族も本家と言えるものが中心軸としての存在が無くなれば無縁仏化するのはごく自然の悲しい流れ。立派だったはずのXX家もアッと言う間に「どこぞの方よ?」となってしまうのでした。

ハッキリ言うと私自身は完全な戒名不要、墓不要派なんですが、自分の両親は以前名古屋に来た時にそれとなく「こんな墓が良い」みたいな案を出してきましたので、それなりのことは考えてやらないかんのかな~などと思ったりもしますが、まずはその前に介護ですわな。w

私の場合、XX家なんていうものの維持には全く何の興味もなくて、遺伝子が子供を通じて誰かの中に部分的に残りさえすればO.K.更に誰か私のことを心のなかで覚えてくれている人が居なくなった時点で私の存在は消えると思っていますので、その時点で墓の存在などというものは無用の長物です。むしろ、子孫には考えたことや経験をデジタルの映像や文章で残すことのほうが良いななどと考えるのですが、それも無理ですわな。

こういうブログもやがては消えるわけで。それもまた良しです。形あるものは全て土に還る。素晴らしいではないですか。


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