2021年2月19日金曜日

死んでもいいから食べたいと言う患者さんを前にして

嚥下能力のみならず肺にももともとある珍しい疾患を持っている患者さんが入院されています。

この方、今の時代の感覚で言うとまだ超高齢と言う方ではないのですが、それでも80台。繰り返された肺の炎症で肺は酷く器質化し、ボロボロの状態。CT画像で見ると、正直なところ「人間はこんな肺でもまだ生きていられるんだ」と考えさせられるほどの肺の状態です。しかし、常時酸素は手放せない状態。

前医からの診療情報提供書でも「今後は誤嚥性肺炎を繰り返しながら最終的には免疫力の均衡が破られた時点でお亡くなりになられるのではないかと推測いたします。」というような記述が記された状況で当院に転入院となられた方です。

しかし、認知能力には何の問題もなく普通にお話をされて普通に御自分の考えを述べられる方で寝たきりになっているベッドの上で、体を方向転換させることも出来ずに淡々と人生の来し方を話されます。奥様も既に寝たきりになられているのですが、御主人の入院のことは理解できない状況で認知機能も低下されているとのこと。お子さんも居られるはずなのですが既に音信不通で長いこと所在不明で、もし万一の事が発生しても連絡を取るべき相手が居られないのです。

この方は誤嚥を頻発されるので、現時点では高カロリー輸液でその命を保たれているのですが、実際には自己排痰も上手く出来ない上に自分の唾液なども誤嚥されていますので、実際には常に肺は炎症で戦い続けているような状況です。

この方が私や看護師さん達に繰り返し懇願されるのが「頼む。死んでもいいから食べ物を食べたい。」というもの。

私の方からは、順を追って患者さん御自身の呼吸器の状態や嚥下能力の低下のレベルなどを細かく説明するのですが、上述のように認知能力は充分で、それを全て理解した上で上のような懇願を私にされるのです。

これは実際のところこの方だけに限らず、時々この様な誤嚥性肺炎を繰り返す方から聞かれるリクエストで、これに対して機械的に「法に従う医療従事者としてそれは出来ない。」というのは人として生きるという哲学的意味を無視したあまりに単純かつ無責任な話で、そこには私なりの強い葛藤が存在します。しかし、例えばそれを実現させてあげるのはまさに花火の製造工場でタバコを吸わせるようなもので、下手をせずとも患者さんに死線を彷徨わせる可能性があるわけです。

こういう時に家族さんが居る時には家族さんと患者さん、そして我々が十分納得した上で患者さんの口元にその味を染み込ませた綿棒などを含んでもらうことも有るのですが、患者さんの家族さんの中には当然のごとく「先生、父の思うようにしてあげていただけませんか。」というように話をされる方も居るわけです。

私にとっては一筋縄ではいかない難しい問題なんですが、それはあくまでも私のような人としての成熟と思考をしていない人間だからだろうと思います。「こんな事で悩むお前はバカ医者だ」と言われても甘んじてその誹りを受けたいと思います。


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