平成が始まった日のことは今でもハッキリ覚えています。
テレビのニュースで平成(へなり)さんという人がインタビューを受けていたんですが、「ワシ昨日飲みすぎてアッタマ痛いんですわ〜〜」という感じのとぼけた感じでした。w
あれから31年、あのオジサン今も生きているんでしょうか。月日の経つのは本当に早いですね・・・。
それにしても、平成は本当に災害の連発した時代だったということは誰も否定することの出来ない残念な事実だったと思います。本当に心が折れてしまうような酷い災害が次から次に起きて日本を砕こうとしました。私にとって個人的に最も関わりがあったのは雲仙普賢岳での火砕流でした。研修医になる前年でしたが、先輩達が毎日徹夜徹夜で必死になって全身の重症火傷で水分を失い続ける被災者達の救済にあたっていましたが、数日おきに一人また一人とお亡くなりなっていくのを伝え聞き本当に無念な気持ちになったのを覚えています。
とは言え、日本が関わる戦争が起きることなく平和に過ごせたのは災害の頻発はあったにせよそれをかなり打ち消してくれるほど良かった。本当に。
国際貢献という形で日本が外へ積極的に出て平和維持に大きな貢献をしてきたことも疑いようのない事実で、派遣先でも日本から来た自衛隊はその派遣地の道路建設、その他の基本的インフラ整備に大きな貢献をしてきました。
またシーレーンでは海賊に対する巨大な抑止力として種々の物資の安定的な輸送に関して大役を果たしてきたことも事実です。
平成という時代の日本、は間違いなく、国民に寄り添って過ごしてこられた平成天皇と皇后陛下のが平和を希求し続けた時代として末永く記憶されることでしょう。
さて、私個人はというと平成最後の日は特に何をすることもなく息子を連れてイオンモールにちょこっと行った後、孤独のグルメで気になっていた粉物を制覇するために二人でお好み焼き屋にいってデラックス焼きそばやお好み焼きをバクバクと食べてきました。これも、国家が平和だからこそ出来る生活のスタイルの一つ。事故と病気と加齢以外で自分や家族の命の心配をしなくて良いことがどれほど素晴らしいことか、無くなってみて初めて解る素晴らしいものなのだと思います。
イオンモールの中にちょこっと置いてあった立方体です。 |
令和が災害の少ない(少なくとも日本の関わる)戦争の無い平和な時代でありますように!