2018年11月26日月曜日

嫁さんと子供が生活の中にいる一生

結婚しても子供を作りたくない、欲しくない夫婦という人達が居ることを知って若い頃は驚いたことがありますが、いまでは「そりゃそんな人もおって当然だわな」と思えるようになりました。

私の周りでは結婚して子供を作ろうとしても出来ない友人も沢山いて、それからすると三人授かった我々夫婦は授かった事自体だけでも幸せだと思えたのですが、授かれば授かったで苦労も喜びも家族の中を出たり入ったり。(本当に人間の記憶って不思議だと思うんですが、子供が大きくなってしまうと育児の途中で辛かったことは綺麗サッパリ忘れるもんですな~。)

まさに子供が生まれた後は夫婦だけのものではなく社会の皆さんに育ててもらうことを実感する日々でした。そう言う意味では大切な社会からの授かりものでもあることを夫婦の成長、子供の成長とともに知ったわけで、大きくなって育った子供を社会の中にその要員としてまずは一人でもお返し出来たことは家族にとって大きな喜びです。

しかし、互いに中の良い夫婦だけで恋人同士として一生をすごしたいと考える一団もいると言う事実も実際に周囲におりますので、事実として納得せざるを得ません。
こういったことは良いとか悪いということではなくてそう言う「選択」ですので、在るものは在るのです。

子供が出来ないのではなくて作らない人は本当に私の周りに沢山いて、御主人側が欲しくない例、奥さん側が欲しくない例、共に欲しくない例など様々。
私などは自分が高校生の頃から好きな人との間に出来た子供のいる生活って良いな~などと考えるどちらかと言うと変な子でしたから、医学部を卒業した後医師免許を取ったことが確認できた日に嫁さんのお父さんに娘さんと結婚をさせてください、と言ってゴーサインを戴きに行った人ですので、早く子供を作ることに何の疑問も感じておりませんでした。

よく「自分が育った環境が不幸だったので子供をもってそんな辛い目に合わせたくない」などということを言う人がおりますが、私だって子供の頃は両親が毎日喧嘩する、暴力的な親父が家に帰ってくるのが嫌で嫌で嫌で嫌でたまらないような家に育っておりますが、それでも自分はこんな家庭は作らないと心に決めていましたので、そういった言葉は“私には”関係のないことなのでした。

子供が居るせいでお金は全くと言って良い程貯まらないし、結婚しなければ控除云々は別として今どきマンションの賃貸用の個室を幾つも持っていたのかも!等と嫁さんに冗談で話すことがありますが、子供も嫁さんも居ないまま、ただ病院と家を往復するような生活なんて私にとってみればほとんど絶望と言う名の牢獄のようなもので、個としての強さを持ち合わせない自分にはそういった生活は到底無理だと思えるのです。

アメリカと日本で家族で離れて生活していた三年半の間もお互いに支えなければならない相手が居ればこそという気持ちで頑張った訳で、もう一度やれと言われたらそれは「嫌です」と即答してしまうのです。w

それだからこそ、離婚して子供と嫁さんが(特に小さい子供さん)家族の中から離れていくという離婚を選択する世の男性で更に再婚もしない人というのは何と強いのだろうと私は感じてしまうんですよね。(非がどちらにあろうとも、結果としてそうなったという時)
一度ゲットした自分の遺伝子の可愛らしいコピーを守り育てる充実感を奪われた男というのは俺的には・・・無理だなと感じるのでした。

まあ、これだけ書いても今日のタイトルに関しては半分も書けてないなと思いながらちょっと長すぎと感じるのでこの辺りで終わります。

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