2023年1月15日日曜日

恩師の死

三重県の津市まで行ってきました。

生まれて初めての津市訪問だったのですが、目的は昨年秋に亡くなられた私の大学院時代の最初の恩師を偲んでの名古屋大学、三重大学、長崎大学という三大学の合同でのお別れ会が開かれました。

故人の名は伏せたいと思いますが(この分野の方なら直ぐに誰だか判るので、この分野の研究者にとっては隠す意味も無い訳ですが…)、全国の各分野に数多くの教授を輩出した実に頭の切れる人物でした。「腫瘍免疫学」と言う、当時の日本では多くの医学者達からキワモノ扱いをされていた分野でしたが、アメリカでガッチリその基礎を固めてから日本に帰ってこられた先生は己の信念を貫き通し、最後にはその概念実証が患者さんの治癒と言う形で形を著した稀有の研究者でした。

以前、自分の所属した大学院でも滔々と自説を語り、データで議論をするのが大好きな先生で、精力的と言う言葉はこの人物の為に有るのだろうなと思えるような語りに魅力がある先生でした。持っていた講義は学生に人気で、当時の最新の免疫学の知識を叩き込まれた学生達はその遠くの星から来たような先生の該博な知識に只々感心するばかりでした。

その先生も既に79歳だったと知ったのは今日の事でしたが、実際に開かれた今日のミーティングの日が「もし御存命であれば」80歳の誕生日だったとのことで、運命のようなものを感じました。

ロシア人の教え子がロシアで新しい研究所を立ち上げられるからその設立準備のために忙しくロシア国内を動き回っていた先生に大きなブレーキをかけたのは糞プーチンの侵略戦争でした。ロシアへの移動をドーハ経由で行っていたとのことでしたが、亡くなる4時間ほど前まで奥様とFace Timeでお話をされていたとのこと。恐らくは心不全であったと思われる最後のエピソードを伺いましたが、ロシアで客死されるなどという事自体が、最後まで前向きに進み続けられ前のめりに倒れられた国際派らしい先生の最後のエピソードでした。

先生を偲ぶ会では若いころから今までの先生に関するあらゆるエピソードが登場して皆を和ませました。おかしなものから真面目なものまで今まで見たことのなかったいろいろな写真が登場して、いろいろな先生が語られた亡くなられた先生の数えきれないような数と種類の思い出は予定の時間を2時間も超えてまだ尽きぬもので、そのエピソードの多彩さと人生最後まで続いた医薬品のアプリケーション開発には頭の下がる思いでした。

今回の偲ぶ会では数多くの懐かしい面々と再会できましたが、みな最後は亡くなられた先生の素敵な笑顔の写真を囲んで笑顔で集合写真を撮りました。

素敵な人物には多くの素晴らしい人達が自然に引き寄せられるのだなと納得できた午後の一日でした。


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