2023年1月28日土曜日

親戚づきあい

自分の身の回りでも叔父や叔母など己が子供だった頃にお年玉をくれていたような「おとな」の親族が順番に亡くなり始めています。

まあ、これは当然「順繰り」というもので順番を守っている限りは寿命が来たと言うだけの話で、やがてはその順繰りの中に己も組み込まれていたことに気づく瞬間がやって来る訳ですが。(気づいた時には普通もう棺桶の中なのでしょうが。)

次第に親族との付き合いも薄くなり、ごく稀に法事で出会うことがあると、これまで一度も見たこともなかった小さな生き物が「親戚」として私の周りをよちよちと走っていたりします。恐らくこれだけ歳の離れた子供達は地理的にも離れた遠い親戚のおじさん(お爺さん)が居ることも知らないまま一生を終えるのでしょうが、それは恐らくこちら側から見た距離も同じで、従兄弟の子供くらいになるともう親戚とは言えほぼ他人だな~と言う感覚となってしまいます。

令和の時代、こういう親戚づきあいというのは更に希薄になってきていると推測するのですが、それでも離れられない親戚が時におります。特に地理的に近い親戚。

その親戚が普通の人達であれば良いのですが、例えば親戚の輪が広がる中で従兄弟の嫁さんの親父が変な人とか犯罪に手を染めた人なんていうパターンが出てきたら困りますよね。幸いにして私の知る限りでは自分の親戚に困った人、おかしな人というのは私の基準では見当たりませんが、世の中には運の悪いことに世間の耳目を集めたような大事件の犯人を親戚に持ってしまうような不幸な人達も居るわけで、なんともお気の毒としか言いようがありません。

とは言え、明日は我が身。親戚に発生するどころか己がその犯罪者になって親族に迷惑をかけないように気をつけないとな~と考えてしまうのです。

対外的にどこにもお年玉を出すことがないままアメリカ暮らしをしているうちに、本当に親戚との付き合いが疎遠になってしまいましたが、令和に入って追い打ちをかけるようにコロナで皆の生活習慣や付き合い方が変わってしまった今、再び自分が親戚との付き合いを復活させるとも思えません。

リースマンの唱えたような孤独な群衆の最終段階の世界は既に平成の初めには登場し終わっていました。これからは更に一人一人が「粒」としての性格を強く持っていくようになって集団からは離れていくのだろうと強く思います。

病院で働いていても、親兄弟親族と関係性の切れた人達のなんと多いことか…。それがネガティブな事か否かは別として、事実としては人と人の距離はますます離れていくのでしょう。家族でさえ絆が切れていくこの時代「親戚」というのは何とも遠い関係の言葉として響いてくるのでした。


0 件のコメント: