もう勘弁していただきたい。
同じ病院に勤める精神科医に80超えの爺さん医師がいます。沖縄から昔々の大昔に琉球政府からの学力下駄履き医学生として本土にやってきたという「謎の噂」先行の人物なのですが、医師になったのが私の生まれる前という事で今なお仕事をしているということに驚きを禁じ得ません。
長く健康に仕事を続けるという事に関しては、それはそれで素晴らしいことなのでしょうが、医師という仕事はやはり常に能力の研鑽で成り立つ仕事。精神科医と言えども時代に合わせた種々の能力の維持と知識のアップデートは必須です。
ところがどっこい御想像の通りで、このお爺さんは電カルのタイピングはもちろん、患者さんの語る話を理解する力も既にありません。手書きのカルテは全く誰も読めず、電カルはソーシャル・ワーカーが代打入力。何時も白衣を脇に抱えてサンダルで院内をペタペタと歩き回るのですが、この人が久し振りにやらかしてくれました。
昼に発生した絞扼性イレウス疑いの患者さんへの対応で私がこの爺さんに呼び出されたのですが、血液検査のデータや腹部単純写真、CTなどの結果から上の疾病を強く疑い他の病院に即時紹介しようとした時に先ずこのお爺さん先生は診療情報提供書が書けませんでした。更に私に「お願いします」と言ったきり医局に戻って茶飲み。(←別の先生に後に聞いた話です。もちろん私は医局に戻るような暇はありませんでした。)
内心、憤懣遣る方無い気持ちで次々と処置をしていったのですが、そういう姿を見ていて逆に改めて思ったことは「何時までも自分の低下した能力に気づかず医師のような患者さん相手の仕事をする危険性」でした。人の命に関わる仕事は知識と技能が追いつかなくなった時にはステップダウンしないと人命が消えるというシンプルな事実を決して忘れてはいけないと自分の心に改めて刻み込んだ一日でした。
己の能力の見極めができなくなった時にも医業を続けることで、その医師に命を差し出して割を食う患者さん達があまりにも可哀想です。
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