元首相の国葬をするか否かで世の中の賛否がいろいろと分かれています。
オマエはどうなんだ?と問われれば「正直どうでもいい」というのが自分の答えです。国の税金から2億も使うなという声もありますが、国家の経済効果としての行事、また国葬によって諸外国からくる要人達との首脳外交の経済的効果を勘案すれば2億なんて瞬間的にペイする数字だとは思っています。
ただし、今回問題になっているのはその国葬のバックにある理念であって、その理由が元首としての在位期間の最長不倒距離がメインのものであるとすれば私自身は「それが理由で国葬は無いと思うよ?」と感じるし、恣意的に国葬をセットアップできるシステムが出来上がってしまう前例を作ってしまえば、アレヤコレヤと理由をつけてはその時の政権党が亡くなった元首相を祭り上げて国葬を執り行うことが理論上常にできる訳です。
この人が関わったモリカケ問題で人が死んでいる問題も「何も」解決していないし、個人的には彼がやって来た政策も取り立てて効果のあった印象的なものあったっけ?と言う程度の元首くらいにしか思っていません。クソ左翼が何でも反対の立場から国葬に反対するのと結論が一緒になるのが嫌で国葬を頭から否定するのは嫌なのですが、少なくとも「悲劇的な死を遂げた最長不倒距離の元元首」だからと言うのは国葬の理由にはなってないと思います。法的明確な根拠は何処にもないわけで、自民党・内閣合同葬くらいが人物的には丁度よいのではと考えます。
無くなってしまえば皆ホトケ。ホトケになった人を悪く言うものではないというのは極めて日本的な発想だとは思いますが、暗殺に至るまでの道筋には票獲得の為に新興宗教団体に「も」依存した多くの政治家達の一人であった事実自体は堅い事実としてしっかりと見つめ直しておかなければならないと思います。いかなる時も事実は事実と言うお話。
日本人は一旦「何かに・誰かに」肩入れすると、それまでの冷静な思考経路を全て叩き捨てて一元的でレミングス的な行動を取るところを「非常に怖い性質」として未だにその奥底に根深く持っています。
どんな時にも「それアリか?」という事を覚めた目で自分に他人に常に問い続け、その意見を封殺しない時代を保持していかなければならないと思います。時間を経ても正しく評価される結語を今この時点からしっかりと視点として持っておきたいと思うのです。
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