2021年11月4日木曜日

止まらない虐待死

想像を超えた世界のことを想像することがあります。

しかし、それはあくまでも超えることは出来ない世界。自分がニュースやネットで見聞きする幼児虐待とその結果としての死の報せは毎度毎度強い嫌悪感と怒りを私に呼び起こします。しかし、実際に報道されるような苛烈な、俄には信じられないような虐待を3つや5つの子供達が今もこの日本のどこかで受けているのかと思うと胸が詰まりそうです。

自分で生んだ子であろうと、他人の子であろうと私はどうにもこうにもならないくらいみんな「可愛いな~!」「頑張っとるな~!」という気持ちが盛り上がって愛おしさが溢れ出てくるんですが、そういう気持ちが少しも生まれてこない一定数の人間がこの世には存在するようです。

世の中では子供を愛せない人は親から虐待を受けてきたとか、辛い育成環境を生き抜いてきたとか言いますが、私はそれを言い訳にする事には強い抵抗を覚えます。理由は自分自身も実は若い頃の親父からはかなり厳しい体罰を受けてきたから。親父が仕事を終わって家に帰ってくるのが嫌で嫌で堪らなかったし、それを人に訴えることも出来なかった過去があるからです。

張り飛ばされる、蹴られる、壁に突き飛ばされるなどという事は私にとって日常でした。今だったら恐らく周囲の人が気づいたら警察に通報するだろうし、児童相談所が頻回に訪れることになっているような家庭でしょう。しかし、私自身はそういって育てられたからと言って自分の子も含めて世間の子供達も、一瞬たりとて愛情を感じない瞬間はありません。

それでも。それでも、皮膚が焼けただれるような熱湯をかけられたことはないし、寒空の下で何度も何度も震えながら夜を過ごしたことはありません。そういうlife threatningな状況で過ごしたり、neglectで全く飯を食べさして貰えずに骨と皮になって殺されるような状況も経験していません。

それは私の想像を超えた世界。しかもその地獄を経験させられているのはまさに本来はあふれるほどの愛情を受けるべき、そして我儘を言いながら親子で絆を築き上げていくべき幼子。生き地獄という言葉はまさにそういう状況に置かれた子供こそが経験しているものでしょう。愛情をかけてくれるはずの親が己を殺しに来る。あり得ないことが起きているのがその地獄です。

先に進むことのできない人手不足の児童相談所に代わって若年者対応に専従する警察とスムースな令状発行を可能にする司法によるレスキュー部隊と、震え上がるような苛烈な刑罰をペアにして素早いレスキューをしてほしいなと思います。

だからと言って問題は恐らくほぼ何も解決しないでしょうね。それでも、「より良い方向」と言う意味では先ずは絆創膏以上の働きはすると思えるのですが、どうにかなりませんかね。もっともっと議員などを使った種々の制度の改革を進めていかないと思います。

今度議員と話す機会あったら他のことは一切抜きにして言ってみようかな。


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