2021年8月28日土曜日

親父の誕生日・第83回!

昨日27日は私の父の83回目!の誕生日でした。

昭和13年に九州は宮崎で生まれ、当時の大宮高校ではほとんど授業には行かず映画ばかり見て居たために、今は亡き祖父が心配して授業中に「本当に授業に行っているのか」窓から眺めに来たという実(まこと)しやか(先ず間違いなく真実でしょう!w)な昔語りを死んだ爺さんから直に聞いたことがあります。

弁当だけ持って高校に行く素振りを見せほとんど朝から晩まで映画館に入り浸る日々だったようで、夕方になると柔道をする為だけに高校へ行っていたようです。どんな奴やねん!と言いたいところですが、そんな親父を親に持った私ですから高校進学も大学進学も全く何も指針となるアドバイスはなく、ひたすら己で進む方向を考えるのみ。

勿論、親に勉強を教えてもらおうにも、小学校の頃から親父に一言釘を刺れていたのは「俺たちの頃と違ったことを教えてるから教えきらん!」というもので、親父がやっていた算盤以外は一秒も教えてもらったことがりませんでした。しかも、その算盤では私の計算が遅いと言って小学生の俺の頭を算盤が砕け散るまで殴った酷い親父でした。あり得ん!w

親父によれば、そもそも高校を卒業した後は大型トラックの運転手になって気ままに仕事をしようと思っていたのに、高卒後にバイトをしていた大学図書館の仕事でそのまま国家公務員として「無試験で!」召し上げられるという昭和のいい加減な制度(そもそも当時はその手の国家公務員なんて誰もなりたがらなかったそうです。)のおかげで、国家公務員に潜り込んだ親父でした。

その後、淡々と生きてきたわけですがそもそも己が80過ぎて生きるなんてこと自体全く想像さえして居なかったと言うことで、死にそうになった時に「絶対余計な事はするな」と今からしっかり釘を刺されています。

アメリカに留学に発つ直前に両親を還暦記念ということで高山に連れて行った時の事を昨日のように覚えていますが、もうあれから四半世紀ほど経ったんですよね。信じられませんが、それを祝った私自身が既に後数年で祝われる側になる歳になってしまいました。

人生なんてまさにアッという間ですよね。後何回、こうやって親父の誕生日の記事を書くことが出来るのか。90までは生きるつもりの母親と競争して欲しいものです。


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