昭和は遠くなりにけり。
昭和の頃は中村草田男の有名な俳句「降る雪や明治は遠くなりにけり」が、時代の移り変わりを表す有名なフレーズでしたが、今や平成も終わり令和。当時の草田男と同じ気持ちで温暖化の進む地球で同じ言葉を呟く私です。(既に昭和換算では今年は昭和96年ですぞ!)
さて、昭和20年のこの日に敗戦の日を迎えたのわけですが、仕事の終わりにFMラジオを車で聞きながら駐車場に着く寸前、DJが「戦後に生を授かった人々が既に80%を超えた現在、どうやって戦争体験を伝えていくのかが課題です。」と言っているのが耳に入ってきました。
確かにこれは大変な問題で、戦争を知らないボンボン宰相達や知っていても記憶の中に殆ど何も戦争の記憶など残っていないサメの脳味噌を持っている男が宰相として戦後の日本で偉そうな顔をして、日本がそして日本人がどんな負け方をしたか忘れさせてしまったのではないでしょうか。国家のトップでさえこれですからね、終戦直後の絶対に二度と己からは戦争をすまいという実体験に基づいた絶対の信念のもとに国家を運営していた戦後暫くの人々とはやはり違います。
原爆を2発も落とされ、全国が機銃掃射と焼夷弾の的になり多くの国民の命、財産、文化的史跡が消えていきました。国外に残された人々も、体は生きていても心が死んでしまう様な過酷な経験をして日本に還ってきました。そして何よりも最大の犠牲者は女性と子供達。勇ましく出ていって散った男性のみならず、遺って悲惨な日々を送った戦争未亡人や親が居なくなって駅の周辺で生活を始めた浮浪児達の悲惨な記憶は今も多くの本で無数に語られています。(国を超えてどの国でもその様な本はあります。)
しかし、今の日本人はアメリカと戦争した事自体を知らない子供達も普通にいるのですから忘却とは恐ろしいものです。
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