2021年6月5日土曜日

テスラが危なそうで試乗する気が起きない

イーロン・マスクのような野心と才能と気力に溢れ、ビジネスを起こす人が創ったのがテスラという車だと認識しています。

先日、長久手のモリコロパークに犬の散歩に行ったときに、あるカーメンテ会社の展示でテスラが二台展示されていました。モデルSとモデル3だったのですが、やっぱり印象は高級なチョロQというもの。

実際にそのオーナーである方にお話を伺っていろいろと「へ~」というような話が出てきて、最初に思っていた「印象」というものがあながち間違ったものでもないことを確認できました。それは基本的に「俊敏に動き回るPC」というもの。

大きな一枚パネルにすべての情報を表示し、そこで全てのコントロールを行っていくのは確かに斬新ですし、プログラムを更新する事でアッと言う間に車の機能を変えていくとうことが出来るというprogrammableなかなりのレベルの自動運転車なのでしょう。

ところが、ここが実際に私にとっての怖い所でして、人と車の関係が「自動運転」と言いうキーワードを通じて人をアシストする運転支援システムが、実際には人の運転能力を奪う方向へ向かっているのではないかというように思えるのです。それはやがてそうなっていくのは致し方ないのでしょうし、爺さんや婆さんになって車をスマホで呼び出して、そこに乗り込んであとは行き先を告げておけば1,000キロ先でも起きたときにはもう着いているというような時代は来るでしょう。そのうちですが・・・。

ところが、今の時点ではあまりにも色々なシステムが過渡期、かつ実験的なものが導入されていて、それを購入した人間がまさに「モデル」として金を払って実験のモデルにさせられているような気がするのです。
運転手のみならず同乗者の命をも預ける高速移動手段であるだけに、実験的な手段はやはり家族や自分が乗るにはその生命を「賭け」の対象にはとても出来ないという気持ちがあります。

そもそも、今まで載せていたPanasonicの電池を中華製の電池に載せ替えるというのが一つ恐ろしいということ。最近、中国ではバスに乗せている電池が立て続けに爆発していますし、以前のアメリカでの自身の経験でも中華製乾電池は液漏れが酷くて、自分の電気機器を護るためには「いくら安くとも決して手を出してゃならない」という私の中の決まりができています。

しかも、今度からテスラは車載カメラのみの対象検知システムで安全走行を目指すということで、いろいろと問題のあったレーダーとの併用を止めるということで、アメリカの運輸局はこれに対して安全性のランキング評価をググっと下げるとのこと。まあ、取り敢えずはそれは当然だと思われます。w

バッテリーの置き場所が低い位置にあることからくる低重心の安定感と、モーター出力さえ上げて言えばどこまでも脳内麻薬が出そうなブッ飛んだ加速と速度が出てくる手軽さ。まさにプログラムと電気モータの組み合わせで何でもできる世界で素晴らしいともうのですが、まだまだ命を預けるほどの信頼性は今の時点では無いと私自身は思います。

それよりも、徐々にデジタル技術の融合度を上げてきている普通のメーカーの安全装置付きの車のほうがやはり安全に思えます。人間が作る安全技術は保守的なくらいが丁度いいのではないでしょうか。


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