2021年6月24日木曜日

究極の宗教組織嫌い

最近カナダのBritish Columbiaで、215人の身元不明の子供達の遺体が先住民寄宿舎の跡地から発見された事が大問題としてニュースになっていました。

ところがつい先日にもカトリック寄宿学校の跡地から751基の墓標なき遺体が発見されたというニュース。ground penetrating raderを使ってのサーチだったようですが、私が全く道だったのは「カナダでは1990年代までに、先住民の子ども約15万人が強制的に国内139か所の寄宿学校に送られ、家族や母語、先住民文化から引き離された。寄宿学校では子どもたちに対する劣悪な待遇や性的虐待が横行し、4000人以上が死亡したとされる。この問題に関する調査委員会は、カナダが「文化的ジェノサイド(大量虐殺)」を行ったと結論した。」とAFPBBで報道されています

結局の所、カナダであろうがアメリカであろうが南アメリカの諸国であろうが、後から来た連中が己の住む場所を拡大して安住するという生き物としての原理に基づいて、元から住んでいた人々を情け容赦無く陵辱し、殺し、追い出し、子供達を親から強引に引き剥がし言葉を奪い、文化を殺し続けていたということ。所詮は悲しき生物の性です。

どこかで聞いたような話?と言えば今中国がやっているウイグルでの大虐殺と弾圧そのもの。時を変え場所を変えみんなやってる事は何にも変わらんですな。中国の場合は体制を脅かす宗教と遺伝子を持った異民族を漢民族化しようとしているわけで、必ずや「時間」という裁判官がこの人類の恥を白日の下に引きずり出して汚名の烙印を深々と現代中国の為政者共の顔に焼き付けることでしょう。

カナダの場合は有効活用されたのはキリスト教。神の名の下にといういつもいつも使われる全てのクソ宗教のクソ台詞。協会のインチキ聖職者共は心の底から正しいことをしているとして彼らなりの仕事をやっていたのでしょうが。

カトリックのみならず、現代でも何度も何度も協会における子供の性的虐待が大問題になっているクズの巣窟である各協会ですから当時はそれらを責められる機会が遥かに低かったであろう寄宿舎に置いては間違いなくおおっぴらに目を覆いたくなるような子供への性的虐待は横行し、親の庇護から剥ぎ取られた罪なき子供達が己の悲しい定めも知ること無く非業のうちに死んでいったことでしょう。

ナチスも「純血維持とアーリア人の優越性の証明」のため、という彼らなりの信念を錦の御旗に刺繍してユダヤ人や障害者達をガスで殺して何百万人という人体を焼き続けていったわけですが、ナチスと今回のカナダの件や中国などの話も、仕事を終えた後の違いは数のみで、やっていることの質にはほぼなんの差もないという気がします。彼らも殆どは熱心なキリスト教徒でした。(中国政府の場合は社会主義という名の宗教家ですが。)

詰まるところその時代における「正義」などというものは全てが終わった後に既に取り返しがつかない事になったあとに唱えられる意味のない呪文。その汚らわしい正義を精神的に支え続けたのは常に彼らの唱える「神の名の下に」という文言でした。

100歩譲って彼らの信ずるそれぞれの神が正しかったとしても、その名を使って彼らが成し遂げたのは巨大な階層性権力構造を持つピラミッド型組織の構築。現代でもXX派(バプティスト、メソジスト、プレスビテリアン)等という名前で信徒から金を集め続けて種々のサイズのピラミッドを創っていますが、共産主義、社会主義等も愚かな人間が作り出した形を変えた宗教組織です。現代の北朝鮮や中国、ロシア等で起きている結果を見れば誰かそれを否定できますかね?

いかなる宗教も金を必要とし始めた段階で、彼らの唱えるお題目がなんであろうと全てはピラミッドのてっぺんに立つ権力者への献金機関と変質します。詰まるところいかなる宗教組織も本来の神による人々の魂の救済機関ではないのです。

カナダのケースを挙げるまでもなく、結局は人の唱える正義なんて言うのは時代や場所や立場が変われば、すぐに正しさがぐにゃりと変わる程度の性質を持つということを常に心の真ん中において謙虚に己の言うこと、人の言うことを疑い続けることが大事なことだと思うのでした。

やっぱり宗教、というか宗教組織が大嫌いです。

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