2021年6月12日土曜日

偉大なエッセイスト達

改めて文章の達人というものは居るものだということが痛いほど理解できました。

練達の文章には時折出会うことがありますが、だからと言ってそれを継続的に出し続けられるわけでもありません。要するに出されるもの出されるものほぼ全てが素晴らしい読み物となっているもので、それを記した人の知的バックグラウンドや想像力、人生経験などが静謐な筆致の中からまさに「溢れ出す」ようなものは私の狭い知識の中ではやはり十人程度でしょうか。

無論、自分が識る「人」の範囲は狭く、読書の量にも当然限界はありますが、この100年の中で万人に愛され質、量ともに抜きん出た現代的エッセイストを三人挙げるとすれば私的には寺田寅彦、向田邦子、星新一の三人となるでしょうか。

軽妙洒脱という表現が俗に思えるほどの熟れた文章はどの一文を読んでも読んだあとに「・・・」と言う感覚が残ります。「・・・」の部分には驚嘆、安堵、畏怖、感心などがよく入るかと思うのですが何れの文章も本当に自然にこんな素晴らしい文章がペン先から流れ出してくるのだろうかと思えるほどの読み易さを備えています。

恐らくはその明晰な頭脳の力によって、書こうとする内容の選択や起承転結の構成などが凡人とは違うレベルで自然に湧き出てくるのでしょう。しかし、よく周辺のお話を調べると例えば向田邦子は遅筆で有名であったことも記されていますし、周りの凡人には気取られぬ範囲で達人なりの格闘が夫々にあったのでしょう。

寺田先生は物理学者としても著名でしたし、一般の随筆のみならず科学随筆などでも超がつく一流の文章を認めているのは誰もが知る所。星新一はその恐るべきSFの数々を通して万人を畏怖させるレベルの発想の柔軟さで知られています。また、向田邦子は女性の視点を少し超越したような、しかし女性ならではの柔らかな視線で世相や自分の周辺の何気ない出来事をサラリと綴ることで多くの我々世代から少し上の読者をはじめとして幅広い年齢層にファンを抱えていました。

最近、人から頼まれて種々の文章を書いたり構成を頼まれたりする事が増えてきたのですが、最近読み直しているこれらの人々の文章に触れるにつけ、その隠された技巧の高さとそれを見せない自然さに慄き、はるか上空を飛ぶこれらの人々の洗練の度合いに強かに打ちのめされる自分を感じています。


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