2021年5月9日日曜日

新型コロナの時代の差別

医療従事者であれば、新型コロナ感染症の患者さんが院内で発生したり、院内に入院してきた時に看護や治療という形でこの新型感染症に向き合うことになります。

基本的に我々医療従事者はこういった入院患者さんの治療に対して「拒否」というスタンスは取れません。患者さんにとっては病院というのは治療のための最後の砦ですから、そこで拒否されるということは基本的にはあってはならないことです。

ところが、医療従事者も立場は同じで、向き合うと一旦決まったら難治感染症であろうが何であろうが、その対策に駆り出されることになるわけです。今回の場合は全国と言わず、全世界で同じことが起きているわけで、我々はまさに戦争の全面に兵士として押し出されるわけですが、いま日本ではその医療従事者に対するいわれなき差別と感謝が綯い交ぜになって表現されています。

マクロのレベルでは感謝、実生活のミクロのレベルでは差別というようなことがよく報道されていますが、子供が学校で差別を受けるとか、近所の店に買い物や食事に行った時にネガティブな視線や言葉を上げかけられるなどという話もちらほら。

考えてみると実に単純な話なのですが、自分の家族がそのオリジンも判らず何らかの感染症になった時にその人を助けるのは一体誰でしょうか。自分は、自分の他の家族はそういった感染症にはならないと令和のこの時代に一体誰が言い切れるのでしょうか?実に単純な話ですよね。そんな簡単なことも理解できない脳味噌の持ち主達にさえ座となったら優しく対応するのが我々医療従事者。自分で言うのもなんですが、我々は大したものです。笑

どんな波が来ようと病気に関してその波を一緒に受けて共に努力して跳ね返していくのが日常の仕事。出来ることであれば、快く仕事をさせてもらうだけでも嬉しいのですが。

周りの看護師さんたちは私に聞きます。「感染症になっても帰る家は一つ。たとえ家の中に返ってもどうやって過ごせば良いんですかね?」と。私は「リスクの高い状況になったら、家でもマスクを外さない。距離は保つ。例えば寝る時も別部屋とかね。」等と言ってあげるしかありません。いわゆる第三者としての普通の三密回避ですね。

そういった事が普通になってしまいがちな嫌な時代ですが、そのリスクの遥かに高い我々の仲間にせめて温かい言葉くらいはかけてあげてもバチは当たらんでしょう。

差別をしたその近所の看護師さんにいつ助けてもらうことになるのか誰にも近未来の事はわかりません。


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