病院で仕事をしていると、対人関係能力というのが大変重要なことが嫌というほど理解できます。
私自身は人と話すことが大好きで、(医師としては三流ですが)診療の上では患者さんや家族さんと意思の疎通で問題が起きたことは先ずありません。医学部を見渡してみると、必ずしも対人関係やその調整能力というのが得意な人間ばかりではないというのは明白で、だからこそいろいろな分野にみな散っていって、それぞれに「ハマる」分野に別れていくわけです。
あまり人とはなさなくて良い診療科や分野はたくさんありまして、別に病理やガチガチの基礎関係でなくとも内視鏡室で胃カメラばっかりずっとやっている先生とか(だからと言って人嫌いなわけでもなく、この先生方の中にも全然素晴らしく気さくな方も沢山おられます。)、放射線の読影を一日中やっている先生もずっとおられるわけです。
中には子供が嫌いだけど小児科を目指して一流になった先輩も居りましたし、お前が?というような友人が気づけば別人のように話術の達人になって、立派に教室の運営をしているなんてこともごく普通にあります。
しかし、中にはどう見ても間違った医局に入っちゃったな~なんて言うのも居りまして、その後の消息を聞くと、全く異なるドラマチックな転身を見せた学友達も十本の指では足りません。
「転石苔を生ぜず」と言うことわざは仕事に関しては以前の日本ではどちらかと言うとネガティブに捉えられていましたが、実際のところは私自身はいい意味でアメリカ風の解釈が日本においても(特に若い世代では)、アクティブという意味で自分のスキルアップに伴ってより自分にあった分野に転進していくという解釈に変わってきたのではないかと思います。
しかし、病院全体を見渡してみると事務系の人たちの中には「向いてないな・・・」と言う人が数年間苦しんだ挙げ句に辞めていったり、同じように数年間しばらく格闘して、思い切って院内の別部門に転籍してまるで別人のように、本当に水を得た魚のように明るく仕事をしているのをみるにつけ、頑張ってみて駄目ならば何度でも衣替えをしてみるというのも「あり」やな~と私は最近富みに思います。
苦しさも極限まで言ったら息を抜く、辛すぎたら場所を変えるというのも別に逃げではなくて「良い選択」と思っておくのも長い人生では十分ありだと思います。ひと所にしがみつくのも選択、いろいろ変えてみるのも選択。人生一回きり、終わり間際にあれもやってみれば良かったなどと動かぬ体で考えるより、やってみればいいと思います。
失敗しても責任を取る覚悟で動けばいいだけの話であって、自分の運命の主人は自分であるべきだと考えます。
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