2021年2月28日日曜日

自閉症の息子と成年後見人制度

自閉症の息子の未来を「可能な限り」安定的なものにしてあげるというのは親の努めです。

息子には息子の通帳というものが別に作ってあり、息子が通う作業所からのいくばくかの給料の振り込みや作業所で入用なお金の引き出し、年金の受け取り等は全てこの通帳で見える化されています。

息子はそこにあるお金を使って将来に備えるためのお金の貯蓄をする権利があります。無論、我々の方からは息子の貯金から彼のために何かを買うためにお金を引き出すようなことは1円たりとてありませんが、息子の為にベストと思われる長期的な投資をしてあげることは出来ます。

ところが、これを法的に公式にしてあげるためにはそういう判断能力のない息子のために成年後見人制度を使って彼の資産・財産に関する意思決定をしてあげる権利を確立しないといけないのです。

これは普通であれば息子が通常の判断能力がある成年で、かつ彼が金銭の管理は通常は己の力で意思決定を行うという前提があり、親といえどもそれに手を付けることは罷りならぬものであることがそもそもの前提である為。しかし、金銭管理者に留まらず障害の存在のためにその「普通のこと」が出来ぬ息子の為に種々の意思決定を後見人の名の下に正しく行う事を法的に担保する選んでおくということが必要という大前提のもとにこういう制度があるわけです。(これを悪用するクズ野郎や組織が全国には無数にありますが!)

親であろうと成人である息子のお金を触って抜き取ったりするのは本質的に違法ですけれども、彼の将来をより安定したものにするためにはやはり「経済的な安定」は最も近道かつ正解だと思われます。

この成年後見人になるための第一歩は名古屋においては「名古屋市成年後見安心センター」と言うところに行くことから始まります。

ところが実際に動こうとするとこの場所がわれわれにとってはとんでもなく不便。随分遠いんですよね・・・。名古屋みたいな大都市でたった一箇所。しかし、やらなければならない第一歩であることは間違いないので、時間を見つけて役所の空いている日中に息子自身を連れて手続きを行おうと思っています。

私の病院にこの手のことに詳しい人間がおりますので、詳細をもう少し詰めて淡々と進めていきたいと思います。親のお金自身ではなく息子のために何とかセットアップを行い、堅実な投資スキームで「親がこの世から消えていく前に」額はそれほどでなくともお金がお金を生み出すシステムを作ってあげたいものです。

2021年2月27日土曜日

中国の最新ブラック・ジョーク

日経のニュースを見ていると、目を剥くような記事が短信として飛び込んできました。

曰く・・・。
中国政府が「貧困撲滅」の記念式典 中国政府は2月25日、「脱貧困」の記念式典を開催した。習近平国家主席が農村部の貧困撲滅において「完全な勝利」を収めたと宣言し、貢献した共産党関係者などを表彰した。中国国営の新華社などが伝えた。

一頻りニヤニヤした後、今度は思わず考える人の様なポーズをとってしまいました。
字面通りに読んだところでそんな事が万が一にも起きているわけはないので、逆に深読みしてしまって、この国の指導者達が何らかのアドバルーンでも揚げて各方面からの反応を待っているのかな?等と考えてしまうのでした。

しかし、実際のところは自分が設定した脱貧困の期限設定に対する自縄自縛状態からこんな漫談のような表彰式をやらかしてしまったんだろうなというのが想像するところ。そもそも少数の全体主義者とその御追従の者達がが統括する似非社会主義国の自画自賛の官製報道を聞かされても鼻白むばかりです。

ちょっと前、プーさんの対抗馬である李克強首相は月収1000元(約1万6000円)の中国人は6億人いると発言して中国全土で大きなニュースになったばかりです。本当にここの国のトップと言われてる習オジサンは見たくないものから目を背け、聞きたくないことには己の耳を塞ぐか相手の口を塞ぎ、臭いものには蓋をするようなことしかしませんネ。

例え惨めに感じようと事実をじっと見つめてそれを改善し続ける努力を払うトップの存在があればこそ国家は前進するというもの。この国は表面的には良いように見えても実際には残念そのものなんだろうと考えるのは容易です。

こんな国と心中しようとするドイツは大丈夫なんでしょうか?毒食わば諸共とは言えその毒は強毒性、他人事ながら心配です。



2021年2月26日金曜日

新型コロナ・ワクチン1回打ちと2回打ち

今、政府の中からワクチンを先ずは1回打ちでも良しと言う形で出発しないかという議論があります。

では1回打ちと2回打ちがどう異なるかという事をデータで見てみると、Pfeizer/BioNTechのmRNAワクチンを打った人々のデータでみてみましょう。
Vaccine efficacy – After dose 1 or 2 overall, and after dose 2 overall and by age groups
Efficacy endpointVaccine efficacy (95% confidence interval) [%]
After dose 1 to before dose 252.4 (29.5, 68.4)
≥10 days after dose 1 to before dose 286.7 (68.6, 95.4)
Dose 2 to 7 days after dose 290.5 (61.0, 98.9)
≥7 days after dose 2 (subjects without evidence of infection prior to 7 days after dose 2)
Overall95.0 (90.0, 97.9)
16–55 years95.6 (89.4, 98.6)
≥55 years93.7 (80.6, 98.8)
≥65 years94.7 (66.7, 99.9)
※上のリポートのオリジナルはここにあります

要するに、上のリポートからすると1回ワクチンを打って10日を過ぎた人達であれば既に86.7%のワクチン効果が期体されるということで、その後2回めを打って7日以上経過した人の全体平均値である95%には勝てないものの、そのさの8%ちょっとという差にどれほどの意味を見いだせるかということです。

拡散方程式を用いて「その差」の新型コロナウイルスの姿勢における拡散への影響を私自身が精密に導き出すことは到底出来ませんが、政府レベルの専門家会議の中にはその程度のことならアッと言う間に報告を出せる人が少なからず居るはずで、そういった計算を終えた後の提言であれば国民も皆納得してまずは一回は打ちましょうよ!ということになるのではないかと思うのです。

それに二回目のほうが通常大きいとされる副反応のリスクも「恐れる人々」にとっては減らせますしね。
無論、このワクチンショットはワクチン悪玉論に塗れた可哀想な人達に対してさえ我々打たれた側の人間が恩恵を施す事ができる訳ですからワクチンを恐れ憎む彼等にとってさえ良いことなんです。w

政府にブヒブヒ言うのは簡単。しかし、今回のワクチン製造では日本にカードが無い分だけ猛烈に分が悪い勝負。それでも金の力とG7の間の力関係のおかげでまだ金の力を使ってワクチンを手に入れることができる幸せな国の一つです。

縁もゆかりもございませんが、こういう国家の一大事である時くらいは河野太郎に協力してもいいと考えるのでした。


2021年2月25日木曜日

生と死が隣り合わせにあるところ

名古屋駅から少し走って千種区界隈に入ってくると平和公園があります。

ここは基本的にお墓であることは名古屋の住人ならほぼ誰でも知っていますが、それに連なるように広大な敷地でお墓を連ねているのは日泰寺周辺のお墓の群れです。このお墓は本当に拡がりが網の目のようになっていて、道や家を挟んで飛び飛びになりながらもどこまでもお墓がひろがっています。

こういうエリアでは家の壁の真裏がお墓だというのは全く普通で、家の窓越しに卒塔婆が見えています。(実際に中から見たわけではないのですが、お墓側から見ると間違いなくそういう位置関係です。)

無数の墓石が立ち並んでいるわけですが、こういった石の群れを眺めて日常を送るというのはどんな気分なんだろうと時々考えてしまいます。無論、小さい頃からそういう家に住んでいて、何の意識もせずにそのまま大人になっていくというパターンも幾らでもあるでしょうが、よくみていると時々お墓の隣に新しい分譲住宅が数件ずつ売られていることも多いのです。そういうのって一体どんな人が新たに住むんだろうか?等と再び考えてしまいます。自分だったら強制的に「人の死」を意識せざるを得ないようなシチュエーションに自らを置きたくはないなと思ってしまうところで、少しくらい安くとも決して買うことはないかな~等と想像してしまいますが、そんな事は全く気にしない人も居られる訳で。

まあ、私の仕事も人の死と日常的に隣り合わせ状態ですから「お前なんか仕事自体がそうじゃないか?」などと言われれば「かもしれぬ」と答えるしか無いわけですが・・・。

そう言えば、昔行っていたバイト先の病院の真裏はいわゆるラブ・ホテルでしたが、仕事をしながら考えていたのは「よくまあ、病気や老いと闘う人達が集う場所の真裏にラブホを建ててその中で宜しくやるもんだな~」と思っていました。

しかし、そういう施設はそこまで想像力を働かせる前に性欲のほうが勝る人達が利用するところでしょうから利用者の皆様にとってはどうでも良い事なのでしょうが、改めて人間って逞しいよなと思うわけです。結局のところ生と死は常に背中合わせ。死など無視してその性(生)を繁殖に結びつける者の遺伝子だけが生き残るわけですから、私の言える結論は「ガンバレ」と言う一言のみでしょうか。w

今日もまた墓の周りでポケモンを収集するおじさんの雑念開陳でした。


2021年2月24日水曜日

職場にいる働かない人

日本の臨床の現場に戻ってきて「基礎研究と関係ない仕事」が始まりました。

既に7年も経った訳ですが、職場では働く人と働かない人がいる事が実に明確です。アメリカに居た頃も確かに働かない人はいましたが、基本的にそれは職位の低い人達が中心で、教授陣を含めその多くは「結果を得る」という目標のために必死で働いていました。

運があろうとなかろうと、頑張ろうと、知性が高かろうと低かろうと結果が出ない事には最終的には生き残れないのが研究者の世界でした。やって当たり前、出来なければそれまででしたから、素晴らしいと思う結果でも残念ながら先を越されたとかも始終ありましたし、世界でもこんなことをやってる人間がいるんだろうか?と思うようなことも間違いなく私のような凡人が考えつく範囲のことはみんな誰かがやっています。そういう何時どっちの方向からやられるか判らない緊張感の中で過ごした緊張と喜びの日々も随分と遠くの日々の中に霞んでしまいました。

しかし、今は大量の患者さん達と連続して向き合う日々ですから、違った種類の緊張に向き合わなければならないわけです。しかし、どういった職場でも同じなのでしょうがこの病院にも明らかに「働かない」人間がいます。それは看護師のみならず医師の中にも同様に存在しており、余り年齢や性別は関係ないと思えます。

こういう人達に対してどう振る舞えばいいかということですが、まあそれは人それぞれでしょうけども私の場合は基本的に「無視」ですね。関わっても何かを得ることもないですし、こういう人達とリズムを合わせることこそが最も自分の生産性を落としますので、関わらないと言うのが最善の選択だと思っています。

現場の他の人達は「誰が働いている・誰が働いていない」というのはよく理解していますので、少なくとも体と頭が働く間は「働きアリ」として患者さん達から頼られる存在でありたいと思っています。

幸いなことに私の働いているディビジョンでは同僚の先生方は皆効率的かつ良く働いてくださいますので逆に自分が足を引っ張ったりしないようにする事を気をつけています。ところが精神科の病棟では・・・と言う感じなんですけど、まあこれは精神科には結構「変わった先生方」が多いので、いろいろと効率や勤勉などとは縁の無い殿上人が居られるのかもしれません。

日本全国、どういった職場であろうとこういった人達はどこにでも居るのでしょうが基本的には20:80の法則みたいな感じで動いているんでしょうか。

それにしても、やっぱり私には精神科診療はムリです。w

2021年2月23日火曜日

天皇陛下61歳の誕生日

この方が天皇で良かったと改めて思いました。

宮内庁での陛下の61歳の祝賀にあたっての会見が執り行われましたが、一般参賀などの例年のものはなし。当然といえば当然です。上のリンクに記者との遣り取りがまとめて書き込まれていますが、その内容を読ませていただいた限り「国民の現状に常に視線を投げかけ、立場の弱い人々を常に守る」という太く一本筋の通ったお考えが伝わる内容でした。

皇位継承や皇室内でのお年頃の娘さん方に対する記者の蒸し返し様の質問も上手にいなされておられ、その応答にも盤石の安定感が出ておりました。
そもそも、天皇の皇位継承その他の制度を巡る法制等に関して陛下御自身がお答えになられることは出来ない事は憲法を学んだものであれば明白なことであるのに敢えてそれを質問としてぶつける点などは記者のいやらしさと言うかアホぶりが垣間見えて残念でした。こういうのはいわゆる「為にする質問」というやつですね。分別の有る大人がしてはいけない事ですね。

若い頃から長男然とされてまさに帝王学を授けられた現代のエンペラーですが、現代の善意(Good will)を人の形にしたらこんな感じになりましたというのが今上天皇だと感じます。父君も素晴らしい方ですが、その期待を裏切らぬ素晴らしい人物だと思います。

私自身は今後も陛下などとお側で接することなどは金輪際ありえませんし想像の向こう側の世界ですが、今後も表では全く目立たない、弱い立場の人々を日々守っている市井の人々に対する言葉による語りかけを続けてくださったら嬉しいなと考えます。

そもそも、なんとか県議会議長とかなんとか市議会勤続何年とかいう殆どの場合「しょうもない下衆」よりも、表には出ないけれども日本を文字通り「下支え」している無数の縁の下の人々にお声がけをしてくださることを期待しております。まあ、表に出てこないだけなかなか見つけられないしそもそも目立つことを嫌う人々こそ、日々淡々とその「下支え」をしておられる訳なんですが・・・。

ともあれ弥栄!です。


2021年2月22日月曜日

病院全体での新型コロナワクチン接種希望者

勤めている病院での新型コロナウイルスに対するワクチンに対する希望者数が出ました。

驚いたことに8割強。病棟毎の集計という感じで看護師のみならずヘルパーさん等も含めて集計しているのですが、当初予想した以上の比率で接種希望者が出てきました。私自身はまずは半分以上出てくれることを希望し、6割程度いてくれればまずは十分でしょうという腹づもりだったのですが、予想を遥かに上回りました。

十分に丁寧な説明を行ったのは医師と看護師長達のそれぞれ一回づつというごく限定的なものだったのですが、最初は打たないと言っていた医局のたった一人の医師も最終的には打つことにしたとの事でした。

病棟毎の集計表を一瞥したところ、全員受ける病棟や半分程度しか受けない病棟など、かなり病棟ごとにバリエーションに富んだものとなっていました。私自身は接種を行う中心人物そのものですので、ワクチン接種の有無に関しては「一切」押し付けがましいことは言いませんし、言えません。

あくまで淡々と現時点までで論文やCDC速報などで報告されているcertifyされた情報をまとめて報告するという作業を行うだけです。
ワクチンの既接種国で報告されている副反応や予想される反応発生のパーセンテージ、日本において使われることとなっているそれぞれのワクチンの内容に関する解説などをしていくことで理解を得たと思っています。

我々のほうでは妊娠している人、近々妊娠する可能性のある人や今までにインフルエンザ・ワクチンなどで何らかの強い副反応を起こした経験の有る方などは積極的に接種を受ける必要はありませんとうことを繰り返し話しており、その上でなお受けたいという方にはショック対応等もきちんと準備をして接種を行うことを説明しています。

何にしろ初めてのタイプのワクチン・ショット。淡々としかし慎重に進めたいと思っています。ただ一つ心配なことは日本政府が考えているワクチン接種の為の登録ソフトがギリギリ間に合わないせいで、まずは紙ベースでの接種記録になるのではないかという恐れがあることくらいでしょうかね。日本政府、いつでもITとの相性は最悪です。まあ、前から悪名高いのはよく知られていますが。w


2021年2月21日日曜日

かなり減っている新規感染者数ですが

愛知県においても発動された緊急事態宣言。

当初は1月14日から2月7日までの暫定的な予定で愛知県に発出された緊急事態宣言が、3月7日まで延長されることになりました。私自身は前回の緊急事態宣言での効果の程のデカさを「凄い」と感じていた人間ですので、今回も確実にその効果を発揮させるためにはキッチリと前回の宣言時に低下した数を下回るレベルまで下げてから解除したほうが良いと思っていました。

前回の宣言では日々のコロナ陽性患者の検出者数が十数人前後にまで低下した辺りで解除して結局それが燻り続けるような状態が長く継続され、寒い季節の到来とともに大爆発と言う感じでより高い波がやってきたのが今回の第4波でした。
実際に上のグラフのように今回の緊急事態宣言発出と前後するように急速に新規感染者数が減ってきています。しかしながら、ネット等を見ていて感じるのは前回の宣言時と違って東京などの密になっている都市での人の移動というのが「有る一定数以下」にはなっていないような印象。これだと、またまた東京が火種となって再度のバラマキのもとになってしまわんかなと・・・。

仕事の関係で名古屋駅を毎日通過する人の話では名古屋は随分と駅前は人手が少ないよ~とのこと。実際にNTTドコモのデータで人での比較をしたものを見てみると、地域によって大きな差が有るようで、どうしても時間の経過とともに人の心も緩んでくるというのがは自然な流れかと思われました。

さて、少なくとも3月7日まで延長となっている今回の緊急事態宣言。飲食業その他の接客業界の人々にとっては恐ろしいほどの厳しい時期かとは思いますが、ガチッと抑え込んで前回以上に新規感染者数が減った時点で解除すると同時にワクチン接種をガンガンしていくべきかと思うのでした。

なお、名古屋のインフルエンザの方はどうかと言うと以下のように歴史的な水準でフラットです!

2021年2月20日土曜日

タダより高いものはなし

ナルホドね!と思うことしきりでした。

今日は久し振りに髪を切りにいつもの床屋さんに行ったのですが、またいつもの理容師さんにいつもの如く同じ髪型にしてもらいました。これに関しては十年一日と言う感じで何かを変えようという意義を見出せませんのでそのままです。

さて、今日髪を切ってもらいながらおずおずと私の髪を切ってくれる理容師さんに質問したことがありました。「あの~、理容師さん達って自分の髪はどこで誰に切ってもらってるんですか?」と。

私の頭にバリカンをあてながら話し始めた理容師さんの話は冒頭の如き反応を私にもたらしました。簡単に言うと人によっては(特になりたての人などの中には)勉強のために自分の働いていないところで自分の髪を切って貰う人や、自分のところでいろいろと同僚に注文をつけながらあれこれと試す人(多くの場合は材料費だけとか格安とか、お金は全く取らなかったりとかなんだそうですが)も居ると言います。更には自分で自分の髪を切るような器用な御仁も居られるとのこと。

笑ってしまったのは夫婦で経営している美容室などでお互いにお互いの髪を切り合う場合だそうで、結構な頻度で夫婦喧嘩になってしまうんだそうです。お客さんとの間だったら我慢をしたりいろいろと忖度するところをお互いが遠慮なくリクエストを出し合うし、面倒臭いと思ったところをショートカットしたりするもんで、お互いにちょっとした事が感情爆発の原因になったりするんだそうです。特に切りすぎた時!

髪を切るプロの人達にとって髪型は微妙な色や長さなどの仕上げの差を含め素人以上に厳しく判別する対象でしょうから、そういった手抜きは直ぐに見えるわけです。結局そういった感情の行き違いを繰り返すうちにお互いの髪は切らないと言う感じで、中にいる同僚の従業員(いわゆるお弟子さん?)にお願いをしたりする夫婦も居るんだそうです。ただ、そういった喧嘩を間近で見ているため「いや~、ちょっと私には出来ません。」と言って敢えて断わるんだそうです。w

そういう意味ではお金を払ってその代価として自分のリクエスト通りに仕上げを要求できるというのは精神衛生上良いことなのかもしれませんね。(私自身は仕上げも含めて何もリクエストは出しませんが・・・。)

タダより高いものは無いというのはどの業界でも同じなのかもしれません。


2021年2月19日金曜日

死んでもいいから食べたいと言う患者さんを前にして

嚥下能力のみならず肺にももともとある珍しい疾患を持っている患者さんが入院されています。

この方、今の時代の感覚で言うとまだ超高齢と言う方ではないのですが、それでも80台。繰り返された肺の炎症で肺は酷く器質化し、ボロボロの状態。CT画像で見ると、正直なところ「人間はこんな肺でもまだ生きていられるんだ」と考えさせられるほどの肺の状態です。しかし、常時酸素は手放せない状態。

前医からの診療情報提供書でも「今後は誤嚥性肺炎を繰り返しながら最終的には免疫力の均衡が破られた時点でお亡くなりになられるのではないかと推測いたします。」というような記述が記された状況で当院に転入院となられた方です。

しかし、認知能力には何の問題もなく普通にお話をされて普通に御自分の考えを述べられる方で寝たきりになっているベッドの上で、体を方向転換させることも出来ずに淡々と人生の来し方を話されます。奥様も既に寝たきりになられているのですが、御主人の入院のことは理解できない状況で認知機能も低下されているとのこと。お子さんも居られるはずなのですが既に音信不通で長いこと所在不明で、もし万一の事が発生しても連絡を取るべき相手が居られないのです。

この方は誤嚥を頻発されるので、現時点では高カロリー輸液でその命を保たれているのですが、実際には自己排痰も上手く出来ない上に自分の唾液なども誤嚥されていますので、実際には常に肺は炎症で戦い続けているような状況です。

この方が私や看護師さん達に繰り返し懇願されるのが「頼む。死んでもいいから食べ物を食べたい。」というもの。

私の方からは、順を追って患者さん御自身の呼吸器の状態や嚥下能力の低下のレベルなどを細かく説明するのですが、上述のように認知能力は充分で、それを全て理解した上で上のような懇願を私にされるのです。

これは実際のところこの方だけに限らず、時々この様な誤嚥性肺炎を繰り返す方から聞かれるリクエストで、これに対して機械的に「法に従う医療従事者としてそれは出来ない。」というのは人として生きるという哲学的意味を無視したあまりに単純かつ無責任な話で、そこには私なりの強い葛藤が存在します。しかし、例えばそれを実現させてあげるのはまさに花火の製造工場でタバコを吸わせるようなもので、下手をせずとも患者さんに死線を彷徨わせる可能性があるわけです。

こういう時に家族さんが居る時には家族さんと患者さん、そして我々が十分納得した上で患者さんの口元にその味を染み込ませた綿棒などを含んでもらうことも有るのですが、患者さんの家族さんの中には当然のごとく「先生、父の思うようにしてあげていただけませんか。」というように話をされる方も居るわけです。

私にとっては一筋縄ではいかない難しい問題なんですが、それはあくまでも私のような人としての成熟と思考をしていない人間だからだろうと思います。「こんな事で悩むお前はバカ医者だ」と言われても甘んじてその誹りを受けたいと思います。


2021年2月18日木曜日

遂に日本でも接種開始

各県の幾つかの基幹病院にあたる施設でワクチンの先行接種が開始されました。

アメリカ在住でアメリカでワクチンを打った日本人医師達による日本語での発信が数週間前から徐々に日本でもネット経由のニュースとして拡散していましたが、遂にこれで日本国内の医師達による客観的な日本語での発信が可能となりました。

日本で始まった少人数による初日の練習、というかイメージ・リーダーとも言うべき人達に対する接種の様子はネットやテレビで繰り返し繰り返し流されていましたが、実際その様子を見て個人的に印象的だったのは「筋注の徹底」でしたね。

英国製と思われる緑のシリンジ・ポンプに取り付けられた意外に太めの長い針で、ドクターと思しき方々が取材のカメラを意識しながら次々に被接種者の方々の利き腕でない腕の上腕三角筋に垂直にしかもその根本まで指していたことです。刺した後、ポンプを一旦引いて血管内に刺し込んでいるかどうか確認しているドクターと、そんなのにお構い無しでドコッと一発刺ししているドクターとがおられるようでしたが、まあ、人によるようですね。

日本の医師は昭和の中頃に多く発生した大腿四頭筋萎縮症などのワクチン接種による集団訴訟に対応することを行政の対応として完全に間違ったことがトラウマになっていて、皮下注に拘ってきました。世界的には禁中が殆どでしたが、今回のファイザー等の標準的な指示が筋注となったことで、今後日本のスタンダードに影響を及ぼす可能性がありますね。

彼等は副反応の記録を日誌形式で付け続けることを義務付けられているようですが、その貴重な記録は日本人標準の副反応の客観的な貴重な記録となっていくことでしょう。口さがない連中はモルモットなどと言っておりますが、そんな意見を持つ人があっても科学は時間とともに進歩していくのです。

成功しようと失敗しようと、想定される理論に沿って確率と戦いながら勝ちの方に賭け続けることしか出来ません。それが我々人類の出来るベストの方法論ではないかと考えます。

2021年2月17日水曜日

お一人様で一生を・・・

世の中出会いがあるから面白い。

思いもよらぬところで思いもよらぬ人と運命的な出会いを繰り返すのが我々の人生。その中で異性と出会ったりしてその延長線上で配偶者になったりならなかったり。なった後も別れたりなんて言うのは世の常ですが、私の娘達も随分前から彼氏が現れては消えてみたいなことを繰り返していますが、学校が変わったり仕事で離れたりすることで結構くっついたり別れたりしているようですが。

まあ、娘達が誰か配偶者をオフィシャルに得て孫を連れてくるようなことが起きるのかどうかは別として、親としては娘達が比較的用意に同棲異性の友人や恋人と言える相手を選んでいるのはとても良いことだと感じます。

しかし、私個人の、ごく狭い世界での経験を話すと私の住む世界である医学の世界はちょっと様子が違う感じ。率直に言ってそもそも医師というのは変なのが多いです。(私を知る人なら「お前が言うか!」と即言われそうです。w)どう変なのかは書き出すときりが無いのですが、お前本当に医師免許持っとるんか?と言う意味でアホ系の医師からホンマに精神科の診断名がきちんと付くような人間もチラホラ。

医師というのは日本においては比較的難し目の勉強をしてきて難し目の受験をしてそれなりの国家試験を受けて資格をとってきた人間の集まりですから、いろんな意味でいろんな事柄が更に偏りがちな人々の集団です。(東大や京大にASDの人が多いと東大の人などに言われるのと似ているかもしれません。)

ですから、表には出てこないような「本格的におかしな人」というのが医局の力で医局内で責任を持ってねじ伏せられていた様な時代があったことも以前、私の大学ではありました。今は医局の力も随分と無くなってしまっていますからそういう人は今は大学には残らずに自滅するか日本のどこかに流れに流れて消えていく事も多いのでしょう。(中にはアメリカに出ていって一回履歴をLaunderingして戻ってきた人もおりましたが!)

最近も身近で優秀な成績である有名大学に入られた女性医師と「ある件」で医局内で関わることがありましたが、その件が進行するにつれて周りの医師や関係者の皆さんが思わず大笑いするほどのこの女性医師の思考のズレ具合とエゴ丸出しの幼さに皆が改めて驚いていました。

具体的には書けませんが、見えているものが自分の利害関係のみで、本当にtunnel visionと呼べる視界の狭さ。他者に対する思いやりや許容、そしてそういう行いをすることによって自分が第三者からどう思われるのかという鳥瞰図的視点が完全に欠落しているのでした。(全く無視しているとしたらそれはそれで恐ろしいことではありますが!)

この女性医師、既に40歳オーバーなのですが、年齢と知能に全くそぐわない幼稚な対人行動。これでは男性も女性も友人を持つのはもちろん、伴侶を持つことは更に難しいのではないのかと、その身綺麗かつ美し目の御尊顔を見てこの方の人生には今後何が残るのだろうと「余計な心配」をちょこっとだけしてしまうのでした。

お医者様であるらしい御尊父は、時間とお金をかけて育てた賢い娘に対して勉強以外の面での人生に大切な教育は行わなかったのでしょうか。金銭的な余裕や愛情を学校の科目の学習のみに投入するとか・・・似た様な悲劇を日本のあちこちで見聞きする事が多いのは実に残念な気がします。

ここにまた残念なお一人様がお金を貯めるだけの人生を送られるのかと考えてしまうのです


2021年2月16日火曜日

大塚家具の最後はドラマでしたな~

大塚家具の凋落に関するニュースはここ数年ずっとネットを賑わせていました。

しかし、今回ゲンダイWEBにあげられた一連の大塚家具に関する物語は周りからみた比較的踏み込んだ「事実と思われる話」を繋いだものですが、改めて続けて一気読みすると二世経営者を社長や会長に据えることの難しさに眉間にシワが寄る思いです。

まあ、私はこのような経営に関するイザコザには巻き込まれようにも巻き込まれるような物語さえバックグラウンドに欠片もない人間ですが、親や爺さん、もしくは親族から期待をかけられて事業を否応なく継承させられる定めにある人達は本当に大変ですね。

親が何をしてどの様な事業を起こしたかということとその子供達の持っている向き不向きというポテンシャルの大小やベクトルの向きはその経営者の子供達が「常に」持っているわけでもありませんし、子供自身にとってもいろいろと期待されてそちらの方向に勝手に人生を決められるのも迷惑な話だと私の場合は考えますので、自分の子供達には一切進路に関する「仕向け」のようなことを行ったことは一度もありませんし、そういう方向づけや押しつけが無かったこと自体に対しては子供達に今でも感謝されています。

親の背中を見せてその仕事が魅力的だと感じさせることはそれなりに素敵なことだとは思いますが、それはあくまでもその子供の選択の一例を示しているだけで、

大塚久美子という人物が親父さんとのゴタゴタが続いた挙げ句最終的に巨額の現金も消えて第三者に会社を渡して終わりという「絵に描いたような」転落と収縮劇を観るにつけ、どんな経済学部を出ても、どんな大学院を出ても、どんなにオヤジのバックアップがあっても、船長が駄目だとこれほどまでに劇的に会社を駄目にするんだなという意味では、経済学者の良い研究材料になっただけという気がします。

御本人はいまでもtwitterで「事実とは異なることが云々」などと弁明を繰り返しておりますが、経営は結果が全て。社員達を路頭に迷わせたダメ人間という烙印がこの人から消えることは残りの余生では起き得ないでしょうね。

弁明のチャンスは既に永遠に失われたということが理解できないその一点を見ただけでも長介の言う「駄目だこりゃ」ですわな。w


2021年2月15日月曜日

憂鬱なバレンタイン・デイ

小さな頃から毎年この日は何となく憂鬱でした。

もちろん、小さな頃からそういうっものとは縁のない、その他大勢の男子の一人として学校に行くと意味なく「ちょっとだけ」緊張。小学校の頃は何故か朝から教室の前と後ろに男子と女子が別れているという意味不明の状況。

中学の頃などは流石にそういうのは無かったのですが、定番として靴箱の中に手紙とともにチョコの入っているモテ御仁も居りました。中学の頃なんかは実に残酷なくらいモテと非モテは分画されていて、学年の中のモテ男数人が全学年女子のモテ具合を全て寡占する状態という現実をみることが「世の中の現実を知る鳥羽口」だったのではないかと今でも思うくらいです。w

さて、今年も各病棟から義理チョコ集合。ただし、一人向けですから高級そうなチョコであっても実に一つ一つは小ぶりです。それでも家に持って帰るとそれなりに減っていきます。

問題は毎度毎度「お返しは何にするか」という事ですね。もし高級品でお返しをするとなると看護師さんの数を満たすだけの高級品返しをする事になって財布がペチャンコになってしまいますのでこれは却下。そもそもお義理で頂くのですからこちらもブラック・サンダーの巨大袋で返すというのが本筋なのかもしれませんが、毎年それなりのお菓子の巨大詰め合わせみたいな感じで返すことにしています。

結局、看護師さん達のお口を甘いもので満たせばそれで充分みたいな「質より量」方式でお返しをしてお茶を濁しています。結局、このお返しを病院に持っていくのが毎年面倒なんですね。しかも年配の看護師さんの中には「こんな良いの送ったから期待しとこ~」とか笑いながら言う人もおります。が、こういうのもガン無視です。w

私の場合、この手のことには一切金をかけないのが基本線ですが、心のこもったものには心のこもったもので返すだけの話。義理だけのものには義理で。義理を欠くことはしませんが、この形式だけは今後もずっと守っていくことに致します。

そう言えばアメリカにいた頃はバレンタイン・デイは男から女に愛を告白する日でしたね。アメリカも遠くになりました。


2021年2月14日日曜日

新型コロナ・ワクチンに対する接種準備の講義

名古屋市からいよいよワクチン接種の直前段階を迎える各病院に対するzoomでの講義配信が開始されました。

内容は「Pfeizerのワクチンが近々各医療機関に実際に配布されますが、実際にどういう形で近隣の医療機関が受け取り、どういう形のものが到着し、どういった手順で届いたものを溶かしていって、どういったタイミングで実際に使用するのかというものでした。

大まかなことはBritish Newsその他で実際に知ってはいたものの、更に一段と名古屋の中で何が起こるのかがしっかりと説明されており、「なるほどなるほど」と配られたPDFに少しメモを書き加えながら既知情報に追加情報を加えていく作業に専念しました。

以前ここにちょこっと書いたかもしれませんが、私の勤める病院には巨大な実験室用のDeep Freezerがもともとありますので、ここにドカッと配られたバイアルをしまい込んで後は必要に応じて必要量のバイアルを溶かしては「余った分は」最長5日間の間、冷蔵庫の中にしまい込んでおけばよいわけです。

そもそも、基本的には余りを出さないようにショットを行う日毎に5の倍数の人間に打っていけばよいわけです。この前ニュースにもなっていましたが、日本で使うvaccination用のシリンジは今の所は6人用のvaccine vialから5人分を吸い出してしまうスタイルになっているようで、その余計な死腔にあたる部分を消すようなシリンジを日本でも愛知の企業などが作っているようですが、間に合うか否か?

とにかく、我々受け入れ側としてはどの部屋でどのように人の移動する動線を作って、どの部屋で待たせて副作用の確認をするか、といった最終的な実務上のセットアップを行う段階に来ました。勿論、副作用の出現率はインフルエンザ・ワクチンの1/20と言われていますが、こういう事を行うことでワクチンを打つ人々の「心理的負担」を軽減することは大変重要ですので、抜かりなく準備していこうと思います。

多分我々の病院で実施出来るのは3月半ばではないかと思われます。要するに実質1ヶ月を切ったと考えられるわけですね。

まだまだ準備とシュミレーションをしっかりやる時間がありますので助かります。


2021年2月13日土曜日

久しぶりの揺れ

夜に当直室で調べ物をするためにノートブックの画面を眺めていたところ何か不思議な感覚に襲われました。

座っていた椅子の下の方でバネがギシギシと鳴り始めるし、眼の前の画面がなんとなく揺れているのを感じました。「なになに?脳内の血管がどこか破綻したかな?」というめまい感が出現したと思いました。時計を見ると針は11時10分前後。

もしかして久し振りの地震かも?と思って左側の窓を見るとカーテンが左右に10センチ程度揺れていましたので、初めて地震と判りました。直後にスマホを見てみると、NERV防災とYahoo防災が東北での大地震発生を伝えていました。しかも福島や宮城での震度6強なんていう出鱈目なレベルの震度。十年前の東北大震災の嫌な思いが脳裏を過りました。

当時はバージニアにいた為に揺れを感じることはありませんでしたが、病棟に上がって看護師さん達に状況を聞くとみな同じように最初は自分の「めまい」だと思っていたようですが、結構話が弾んでいました。まあ、軽い興奮状態ですね。幸いにして病院の電源やマシンに何の問題も無さそうで、全ては順調でした。

直後からtwitterは囀りまくる状態でしたが、問題は人的被害があったかという一点。人の怪我と命に比べれば物的被害は二の次です。もう一つは津波の発生の心配でしたが、それはないとの一報。

それでも、時間の経過とともに100件を超える人的被害の報告が入ってきました。おまけに物的被害の方も巨大な土砂崩れでサーキットが埋まったり、高速道路への巨石の崩落とか、東北各地での塀の倒壊などボロボロ。テレビ画面でみる限りでは多くの方々の家庭では家の中のものがメチャクチャに散乱しているし、酒屋さんも例によって例の如し。公立図書館の開架式の棚の本数万冊もほぼ全て床に落下散乱している始末で、これらの整理整頓には物凄い時間がかかると思われました。

これからの余震が大したものでない事を心から祈るとともに、場所を変えての大地震が連動して起きないことを心から祈っています。


2021年2月12日金曜日

周りはレクサスばっかり。w

病院の医師用駐車場はレクサス、しかもRXばっかりです。

私自身の車歴の始まりはは医学部の学生だったころ歴代の自動車部の先輩の乗り継いできたぼろっぼろのギャランGTOやランサー・ターボ、あとはこれまたぼろっぼろのカリーナGT等という今もし逆に売りに出したら高く売れるかも?というようなクルマ達からです。

本学の自動車部に持っていっては車の整備をして再びクルマを走らせに夜の山道を走っていたのですが、兎にも角にもカネがないので、バイトをしてはガソリンを継ぎ足して走らせ、またガソリンが無くなってはバイトをしてガソリンを継ぎ足すような中でラリーに出場するための練習をしておりました。

その頃の「速い」車といえばスターレット・ターボやAE86なんかの時代でしたが、ナンパな野郎は親に買ってもらったプレリュードにのったり、Art forceと言われた新シルビアの時代。当時、金持ちの親から買ってもらったという友人のカローラFXを運転させて貰った事がありますが、何とシュンシュンエンジンの回る運転しやすい車だと感じたことがありました。

時代はあれから30年経ったわけですが、クルマは本当に色々と安全になりかつ高くなりました。我々の頃と物価の感覚はむしろ逆になっているような令和の時代なのに、クルマばかりは安全装置や色々なギミックの装備で感覚的には倍の値段という感じ。これでは若い諸君が車を買える訳など無いです。自分が今学生だとしても「新車を買おう!」と言う気はそもそも起こらないと思います。普通の学生には購入が無理なレベルまで日本の新車は高くなってしまったと思います。安全性向上の名目で色々と改善に金がかかるのは解りますけどね・・・。

話変わって今の私。アメリカなどに比べて確実に日本でボッているドイツ車には乗らないと決めていますが、日本ではレクサス(特に名古屋は多いんじゃないかと思うんですけど?)が誰もが選ぶ高級車という感じなんでしょうが、周りのレクサス乗りの医師達を見ても、車のことなんて特に好きでもなんでもないし良くわからないけど~と言う人が選んでるクルマのような気がします。本当に駐車場は絵に描いたようにレクサスRXばっか。これって一体何なんでしょうか?(私はレクサスには乗って(乗れ?)ません。)

小金持ちの中小企業のファミリーの人間が「経費で落とせる高額車」と言う印象を持ってるんですけどね。日常的に乗ってる人ごめんなさい。w

過日、バイト先の理事長の乗っているまさに経費で買ってる一番高いレクサスLSに載せてもらったんですけど、本当にギミック満載の車でエンジンもパワフル、しかし、しかしです。先生には言いませんでしたが、内装はいろいろと革を使って手が込んでいるし飾りもそれなりにゴテゴテ付いているんですが、高級感という意味では「・・・」と言う感じで、申し訳ないくらい何の感動もありませんでした。走っている感覚もこれで1000万超の車かい?と言う感じ。いろいろと落ち着かないっていうのが正直な感想。

そもそもLSという車のスタイルが好きではなくて、なんかBMWの一つ前の4シリーズを強引にデカくしたセダンらしからぬスタイル。スピンドルグリルが好きか嫌いかという事以前にこの車に1000万以上を使うかと問われれば即答で「否」です。間違いなく素材には高いものを使っている高車なんでしょうが、高車と言う感じは受けません。車のマークとか会社というシンボルに何らかの意味をもたせてる人々にとっては「とりあえず」これにしとけばまあ、良いかなと言う選択なんじゃないでしょうか。ウン十年前の「いつかはクラウン」的な。

実際、この理事長さんが運転しながら私には正直に語ってくれました「僕は車には何の興味もないんだよね。銀行に行くときとかに金回りが悪そうと思われるのが癪に障るからこういう感じで病院の人間に車を選ぶのを任せてると、経緯で落とせる国産の高い車を買ってくるんですわ。」との身も蓋もない話。

初代のセルシオのような「他国の高級車産業の世界」を震撼とさせた車を日本が作れていないのは残念です。


2021年2月11日木曜日

トレーニングに看護師さん達が入ってきた

私が院内でこっそり最低週三回のフィジカル・トレーニングをしていることが結構バレてきています。

まあ、怪しい格好をしてリハビリ室の中に消えていく姿、汗だくでリハ室から出てくる姿を各方面の方々から度々見られておりますので、それも時間の問題というのが正直なところだったのでしょうが。

そんな中で、ちょっとポッチャリの私の娘と同じ位の年齢の看護師さん達がダイエットをしたいという目的を持って一緒にトレーニングをしたいと申し出てきました。私としては断る理由は全くありませんし、嫁入り前の自分の娘達と同じ年頃の娘さん達が「痩せたい!」と真剣に言ってくるのであれば、それを断るのは野暮天というものでしょう。

まあ、お父さんとしてはいつも病棟で私のリクエストを淡々とこなしてくれた上に、患者さんの特異なデータをきちんと報告してくれる娘さん達なので、私にとっては病棟で働く宝物というか天使達です。

ところが、実際にトレーニングをするとなると私が自分用にと購入したrowing machineは一台ですから数が足らなくなるわけです。リハ室にある道具というのは基本的に有酸素運動用の道具群ではありませんので、ここは私がなんとかしなければということで、トレーニング道具の追加購入をいたしました。

それは同じconcept2の造っているエルゴ・バイクです。
これをrowing machineの真横に置いてトレーニングを追加することにしました。これで1年きちんとスケジュールをこなしてくれれば容易に10キログラム程減らしてくれることと思います。

無論私自身もガチっと使いますが!週明けぐらいににはメルカリで注文したこのバイク、届いてくれることと思います。


2021年2月10日水曜日

水道代300万円・・・

2/6に産経新聞初発とのニュースですが、その解決法には疑問を感じました。

兵庫で県の職員が、清掃業者による貯水槽の清掃後に業者を返した上に、己で貯水槽の排水弁を締め忘れたために余計に9000トンもの水が流れてしまったとのこと。この50代の職員に対して兵庫県は通常月より余計に払うことになった水道代600万の内その半額に当たる300万を弁済させたという事でした。

しかし、その根拠となったのが6年前に東京の都立高校で起きた事例だった。学校のプールの排水弁を閉め忘れて水道料金116万円の損害が出た折、教職員7人で半額の58万円を弁償していたというものらしいのですが、これだと一人あたりの弁済額は10万円以下。うっかりミスで人が死んだわけでもないのに、いくら半額を県が税金から払うって言ったところで実質的に全責任をこの金額で被せていくというのはやりすぎだと思います。

東京都の件は法的に手本となる判例でもないわけでしょうし、いわゆる前例。戒告や訓告、減給など他にいくらでも手はあったでしょう?もしそうするんなら総責任者の知事がドカンと残り半額払えばよいし、県職員の様々なミスの案件を細かく県知事も折半して追っていけば良いと思いますが。

こういった時こそ常識を働かせいや!って感じで、トップなら300万という金額がこのオジサンに与えるダメージを想えってことです。東京都の時のような10万前後じゃないわけでしょ。

兵庫県民の人口調べたら約550万人。まさに一人に付き一円余計に払うことで補填されるものなのですが、兵庫県民の大方はこのオッサンのこの処分をホンマに望んどるかね?って思います。

ネットで声を大にしてこのオッサンを責めて「全額払わせろ」って言ってる奴に限って、多分家族や子供持ってないし、税金も大して払ってないんじゃねーか?って勘ぐります。俺ならこれで県民税一円増税って言っても、井戸知事じゃなくてミスったオジサンが心のなかで「スンマセンでした~!」って思ってくれてたらそれで終わりで良いです。仮に以前から何度も大きなミスしてるオジサンだとしたら、それはそれで、監督責任者が部署を移動させて県民に実害の出にくいような部署に配転させればいいでしょうに。

そもそも、このオッサンを組織として守ってあげていない時点で、組織としての兵庫県庁ってマズい寄り合い所帯じゃないんですかねっていうのが私の診断なんですけどね。

この件、オッサンが業者を先に帰らせた点もな納得は出来ないんですが、更に帰らせた上での締め忘れ自体も更に怪しいし、水道局としては遠隔からの監視で異様に増え続けている水道の増分とかコンピューターで異常値として当然監視できてておかしくないんですかね、今時?それに組織としてこのオッサンが守られていない点も重ねて実に怪しい。私自身はこの件の裏には間違いなく公式には表には出ていない「表立って報道されていないな何か」があると感じているんですけど、如何でしょうかな。

表に出ていないんじゃなくて表に出せない何かなのかな・・・。


2021年2月9日火曜日

トヨタのMIRAIには乗れない

トヨタから出てきている第2世代のMIRAI、第1世代に比べて格段にカッコよくなったと思います。

水素で走るなんて言うのは実にクリーンで、まさに次世代の車だよな~なんて思いますし。実際に電気だけで走る車だらけになったら「とてもとても今のインフラでは全車一斉充電は無理、無理」と思われる純粋な電気自動車よりかは随分とエコな車だと思います。

走れば走るほど大気を浄化する街の空気の清浄機とさえ思える素晴らしい機構を備えては居ますが、やはり問題はこの車の場合もインフラですね。

そもそも、水素ステーションなんてどこにあるの?というのが大疑問かつそれに尽きるわけです。下のマップはトヨタ側が提供している水素ステーションのマップの一部なんですが、補給できるステーションは本当に愛知県内であれば、まだ「ポツポツ」という感じで存在していますが、これがちょっと県外に出るとまさに圏外というレベルで大激減。
これでは恐ろしすぎて絶対に遠出などは出来ませんし、愛知県から出ることさえも恐ろしいレベルです。放電は出来るけれども充電はできないとの事ですので、これでは水素が周辺から調達できないエリアから外には出ることも出来ないわけです。

もう一つ付け足すならば、上のマップはトヨタのHP上では夜間は水素ステーションが閉鎖されることから、日本のどこであろうとある時間以降は水素の補充さえ出来ないのですから距離だけの問題ではなく時間帯による制限もかかるわけで、これでは趣味人と愛知県界隈に住むトヨタ関係者程度しか購入者は居ないんでないの?と勘ぐってしまいます。

確かに名古屋市内であれば「稀に」MIRAIの第1世代を見かけることはありますが、新型はまだ見たこともありませんし、幾ら150万円弱のトータルでの補助金が出ようとも選択肢としてはバンジージャンプで飛ぶよりも恐ろしい乗り物となってしまいます。w

水素を燃料として格安で詰め込む技術の大発展と今後の水素の低価格化が大きなネックにもなるでしょうから、これは実験車としてはコンセプトも商品も共にまさに「未来の為には」良いのかもしれませんが、市販車としてはトヨタがした初代プリウスのバッテリー永年無償交換レベルの何らかの提案をしない限りは誰も買わんぞ?と思ってしまうのです。

水素先進国として頑張ってほしいなと思う一方、電気自動車との戦いは「何らかのブレイクスルー」が何回か起きなければ難しかろうと暗い気持ちになってしまうのでした。

トヨタの人ってMIRAIをなんて言お客さんに説明しながら売ってるんでしょうか・・・?販売マニュアルをこっそり覗いてみたい気がします。


2021年2月8日月曜日

しばらく居ないと思ったら・・・

ここ一、二週の間どうも見ないな~と思っている若い職場の人間がいました。

いつもトレーニングが終わって当直司令室をちょこっと覗いてから、若い諸君と言葉をかわして帰るのがいつもの私的な習いなのですが、そろそろ今日くらいには当直であるはずのある人物の顔が再び見えませんでしたので、今晩の当直者に「XX君は当直してないの?」と尋ねたところ、「あ・・・ご存じなかったですか。」という一言が返ってきました。

一瞬で「なんかあったん!?」と聞き返すと「もう一週間以上経つんですけど、実は彼はお母さんと同居してるんです。その日の朝どうも起きてこないなと思ってお母さんが見に行ったら呂律も回っていないし腕の動きも変だということで救急車を呼んでA病院で治療を受けたらしいんです。」とのこと。

私には本当に寝耳に水という状況で、いつも笑顔の彼の顔が直ちに思い浮かびます。幸いなことに「XX君自身から数日前に電話がかかってきて極めて普通に話しているのを直接私自身が確かめました。」と、当直者の彼が説明してくれました。何という不幸中の幸い。出血のレベルや発見の時間、年齢その他諸々の条件がそのような素早い「復帰」を可能にしたのでしょうが、聞くところによると最近血圧のコントロールが不良だったとのこと。

しかし!そのような若年性の高血圧に至った理由は実は明々白々。彼は一切の過食を厭わない大のスーパー・グルメでして、如何に遠いところであろうとも美味いと記載された東海近辺の麺の店は「全て」制覇する胃袋の持ち主でして、いくら私が注意しても「行くところまで行きます!」と常に言葉を返してくる人物でした。

いくら若くても、あのBMIでは体が持たんと憂慮していたのですが、良くない形で予感が当たってしまいました。

今度職場に復帰してきたら外来で「厳格に」血圧のコントロールを導入しようと思っております。人柄もよく仕事のできる男。彼には長く健康で居てもらいたいと心より思います。


2021年2月7日日曜日

恥ずかしいけどこの歳で知らないことばかり

昨日墓の事を書いた折に興味本位で色々なことをしらべてみました。

恥を忍んで言いますと、知っていそうで知らない事ばかりでした。私の年代のものなら知っていて当然というような事を、いざ「説明しろ」と言われたら責任を持って出来ないことばかり。改めて自分のモノの識らなさを確認する儀式になってしまいました。

例えば「散骨」。そもそもこれが現代の日本で認められているか否かというと簡単な答えはYESです。もっと言えば「完全に合法」、但し周囲に対する配慮があることという条件が満たされる限り、海・山・川、果ては宇宙まで全く問題ないのだそうです。

ただし、最近は悪質な散骨代行業者が居てそこらあたりへ纏めてポイというような怪しからん奴らも少なからずいるということでむしろこんな連中には頼まず、家族の手で特定の木のもとに散骨するうような樹木葬のようなものが良いのかもしれません。自分の好きな木の根元で土に還って養分になり木に取り込まれるなんて中なきいではないですか。(^^)

また「永代供養」というのも最初に高額の金を払えばあとはずっと供養してもらえるのかと思っていたら去に非ず!あくまで借地権としての感覚と同じで、次の子孫、親族が居なくなれば墓は荒れ放題。そうなると告示、公示が出て一定期間が過ぎると墓は区画整理の対象になったり、合葬墓に纏められて実質的な無縁仏になってしまうとのこと。

墓に拘り立派なものを造って一世紀も経たないうちに子孫、親族とも散り散りになって無念の無縁仏と化す墓の中の人々の何と多いことよ・・・と言うのが令和の日本のようなんです。特に分譲して長くなればなるほど、その親族も本家と言えるものが中心軸としての存在が無くなれば無縁仏化するのはごく自然の悲しい流れ。立派だったはずのXX家もアッと言う間に「どこぞの方よ?」となってしまうのでした。

ハッキリ言うと私自身は完全な戒名不要、墓不要派なんですが、自分の両親は以前名古屋に来た時にそれとなく「こんな墓が良い」みたいな案を出してきましたので、それなりのことは考えてやらないかんのかな~などと思ったりもしますが、まずはその前に介護ですわな。w

私の場合、XX家なんていうものの維持には全く何の興味もなくて、遺伝子が子供を通じて誰かの中に部分的に残りさえすればO.K.更に誰か私のことを心のなかで覚えてくれている人が居なくなった時点で私の存在は消えると思っていますので、その時点で墓の存在などというものは無用の長物です。むしろ、子孫には考えたことや経験をデジタルの映像や文章で残すことのほうが良いななどと考えるのですが、それも無理ですわな。

こういうブログもやがては消えるわけで。それもまた良しです。形あるものは全て土に還る。素晴らしいではないですか。


2021年2月6日土曜日

お墓巡りでは本を読むよりも人生のことを考える

週末はレベル40を目指して昼や夜にPokemonGoをしています。

まだそんな事やっとるんか?といわれそうですが、私の周りでもやっている人は密かにやっています。この夏で5年ですね。なにはともあれ車を転がしながらポケモンをすることは出来ませんので、私の場合は一定の場所に車を駐車してその周りで重点的にポケモンを掻き集めるというパターンがほとんどです。

名古屋で最近よく行くのは墓場の周辺。車も停め放題ですし何よりこんなところにはあまり多くの人がやって来ませんのでのんびりと散策しながら静かな空気を吸いながらゲームが出来ます。

夜は流石に気持ちが良ものではありませんので、通常は墓の立ち並ぶ中には直接はいらず周りの明るい道筋に沿ってのポケモン収集で、時々墓の真ん中にある有名人の墓などに建てられたバトル・ステーションにこっそり自分のポケモンを置いてきたりしています。

昼になると、直接大規模な墓の中を周りながら敷地内に建っているXX家の墓、とかY家歴代の墓なんていうのをみながらその墓誌を読んだり戒名を眺めてみたり、生年・没年・死没年齢等が書かれていた時代等を見てはいろいろとその時代のことを考えたりすることが多いですね。

一番古いのはちょっと見た感じでは明治からですが、そういった墓の碑文は酸性雨などの影響なのか結構碑文がボロボロで、たかが百数十年で石に刻まれた碑文でさえ判読できなくなっているものも多々あります。しかし良く観察してみると、刻まれている石の種類や刻み方でその可読性の可否に大きな開きがあることが解ります。大理石だから良いというものでも無いようで、碑文の彫り込みが浅いようなものでは昭和後期のものでさえ既に判別が難しいものもありますし、明治の頃の墓誌であっても深堀りのものは十分読めます。しかし、深堀りであっても石質が悪いもの(なんという種類の石なのかは私には判らないのですが)良く苔生すタイプの水が長い時間をかけて浸透してしまいそうなタイプのものは表面が削れると言うよりも「剥落」してしまうようなものが多い印象で、崩壊が早いと思われました。

あとは表面にある戒名や建立年も見ているのですが、己がXX家の為に墓を建てて50年以上も後に自分の名前がそこに削り込まれているものがあったり、夫らしき人物が亡くなって半年もしないうちに妻と思しき人物の名前がその隣に刻まれていたりするのをみると、人の命の儚さと時の流れの速さに思いを馳せたりせざるを得ません。

あと、思わず立ち止まってしまうというか、胸が熱くなるのは明らかに水子と思われる墓所や幼子、子供さん方の弔ってある墓です。墓自体もおもちゃのように小さい上に実際のその墓の前に小さな靴や飛行機、自動車のおもちゃなどが置いてあって、時間の経過とともにそのおもちゃ自体も色褪せては置き換えられていくのをみると、その子供達を看取った親御さんの気持ちを想像するだけで何とも言えない気分になり目頭が熱くなることもあります。

医者の勤める病院は多くの生と死が交差するところ、墓地は今迄この世界を作ってきた人々の眠る場所。たった100年の時間を遡るだけで、そこに葬られているほとんどの人々が「まだ」生き生きと日常を生きていた時代に戻ることが出来るわけです。

そう考えると我々の人生の如何に短いことよ・・・。

命短し恋せよ乙女・墓に持っていける金など無い等いう先輩方の残した言葉はこれまた永遠の真理ですな。


2021年2月5日金曜日

国がタバコを売らなくなる日

喫煙者、年々歳々減っています。下のグラフにあるような感じ。
毎年報告したいくらいですけど、全年齢でほぼ着実に淡々と減り続けています。前にここで書いたときよりもやっぱり減ってきてます。なんか前のブログで書いた時から2年経っているのに厚労省から出ている上のグラフデータはそのまま。

というわけで、1年毎の15歳以上の一本ずつという様に切り口を変えると1975年までの淡々とした上昇率が最初はゆっくり、そして今では傾斜角度を強めてピーク時より3割程度低下して、1965年頃と同じレベルにまで下がってきました。

このトレンドが継続するようであれば、2040年頃には1960年頃のレベルである一人あたり年間2000本くらいまで低下してくれるのではないかとは思うのですが、実際に日本の総人口が減っていく中で、どういう感じで増減するのか予断は許しません。

結局の所減少トレンドは確実なんですが、問題はどこまで減ってくれるかというのは現在の喫煙者が死滅するまで続くのかなって思います。

いつも思うんですけど、JTがタバコを売って得る税収と国家が保険を使って最終的に関与しなければならない種々の呼吸器疾患、膀胱癌、高血圧、脳血管疾患等の事を考えると全く割に合わない害悪の頒布です。

煙草による国と地方の税収は直近で2兆円にも届かない額。一方で国民医療費は直近の統計で45兆円弱。何をか言わんやです。外来に来る喫煙者で時々私に「俺は税金沢山払っとる」なんてことを嘯く輩がおりますが、こういったデータを話すことでそれが愚かな詭弁であることを本人がゲンナリするほど説明します。患者さんにとってはまさに煙たい奴ですね。w
病院でいろいろなタバコ関連疾患を患う人達を診ているのにタバコを吸い続けるロートル看護師とか本当に病院から消えてくれんかなと毎日考えるのでした。医療従事者が従業員として雇用される時に喫煙者であることが大前提であることが「当たり前」になる日が来る日を本当に心待ちにしています。少なくとも喫煙者には保険料が激高になる、もしくは加入できないようにすれば更に禁煙への痛烈なパンチになるはずです。

更にその暁には日本国自身がタバコというものを売らなくなる日が来てくれるんではないかと淡い希望を抱いております。まあ、俺が生きているうちには来ないでしょうが・・・。

しかしそうなった暁にはタバコの取り扱いって麻薬みたいなもんになるんでしょうかね?


2021年2月4日木曜日

サメの脳味噌まだ頑張る?w

「爺さん往生せいや!」と思わず画面に向かっていってしまいました。笑いながらですが。

しかしながら、もう今までの様な怒りや呆れの感情ではなくただただ殆ど爺さんの認知症由来のジョークを聞いた感じですか。ボランティアだとか嘯いてますが、基本的には誰も鈴をつけたがらないような「元」首相経験者。日刊工業新聞経由のラグビー経験者で、スポーツ界では物を申すことが言い辛いという、日本にありがちな「空気」を操る代表的な男性でしょう。

死体から剥いだ皮を顔面に貼り付けたような土気色の顔をされておりますが、認知症が本格化する前にボランティアからも引退されるのが最もよろしいかと思います。そもそも、認知症があろうがなかろう、この方の知性はそもそもベースが相当低いものでしたので大勢に影響はないのでしょうがIOCやJOCとしては「勘弁してくれ」という言葉を何度も形にならない形でぶつけているんだと思います。

この人の舌禍は昔から何度も何度も繰り返してこられたので、時間さえ経過すれば寄せては返す波のようなものだとしか思っておりません。何か発言すれば、その度に驚くような斜めの方向からの現代的な「時代の標準的皮膚感覚」にマッチしない発言を繰り返しますし・・・。

日本はこんなお馬鹿さんを頭においても取り敢えず何もしなければしないなりに国家の運営は進んで行くわけですが、「居てもいいけど邪魔はするな」という神輿役として担がれることさえ出来ない出来損ないのオジサンですからどうしようもありません。

海の向こうではトランプという世界一の舌禍男が強制的に神輿から引きずり降ろされた今、ネガティブに目立つ素材としてはなかなかに優秀ですから、日本の国益のためには一刻も早く掃き捨てられたほうが良いのですが、コミッティーのメンバー数十人のうち女性がたったの一人とか、以下にも女性進出後進国の日本ですね。

日本では在野には既に大量の優秀な女性が溢れていますけど、オッサン、男が未だに中心の日本の政治の世界ではこんな老害がトップであっても遥かに優秀な女性は上に行けない仕組みなんでしょうね。

野田聖子や辻元のような胡散臭いニセモノ連中が居るせいで、女性政治家のイメージ悪くなってますけど、今政治の世界に居ない女性で優秀な女性はこんなしょうもない日本の政治の中で下らない時間を過ごすことには耐えられないでしょうね。賢さ故にこのクズの集合の様な世界には敢えて入っていかない。

納得です。


2021年2月3日水曜日

Google Titan Security Key

自分のスマホやネット上のセキュリティをもう一段上げたいと常々考えています。

今の所、二段階認証という電話を使ったテキストの送付形式を使って6桁や8桁の数字を更に入れたり、セキュリティ・キーの数字をトークンとして発行する60秒ごとに更新される三菱UFJのトークン発行機などを使うことで安心を得ているわけですが、実際にこの手のセキュリティはスマホを失くすことで一気に失われます。

小学生の頃に読んだ星新一のSFであったはずですが、昭和の当時に書かれたSFで、ボートかなんかに乗っていた男性がその船がひっくり返ってしまって自分のIDが一切合切失われて自分が誰なのかを証明する方法が一切無くなり大変な目に遭うというものだったと思うんですが、あのSFが書かれ当時から50年程経ったいま、まさにネット上での行動はまさに星新一が書いたSF通りの展開になることが多いわけです。

スマホやPCに不具合があると明日にでも「大変なこと」になる人は現代では一桁の億では足らないほど居るわけで、単にテキストや音声での連絡だけでなく、メモ、ノート、写真、音声、動画、論文、記事、生データ、文章、銀行のお金の口座間の移動、チケットの予約、諸々の検索、学習、会議まで本当に挙げ始めたらきりが無いということになります。

私自身はPWとテキスティングによる二段階のセキュリティーのみならず、グーグル社内で使われ初めて以来、鉄壁のセキュリティーを誇るという物理的セキュリティーキーのタイタン・Titanをアメリカから随分前に注文して手許に置いているんですが、このキー自身を物理的に失くした時のリカバリー時の混乱を想像してまだセット・アップに踏み切れていません。
ネット上でいろいろ調べると、セキュリティーにブーストはかかるのですが、サイトに寄ってはちょこっと面倒臭いこともあるようで、そこが個人的な懸念として残っており、それが解決されないことには大変不味いことになりそうな気もするので、もう少し勉強してからやってみようと思ってます。

今週末のチャレンジといたしましょう。


2021年2月2日火曜日

高級恵方巻!

恵方巻を頂きました。

なんだか2月2日が節分になるのは124年ぶりとかなんとか言う話でしたが私にはどうでもいいです。

いつもお世話になっている方からあつた蓬莱軒という名古屋では有名なひつまぶしで有名な老舗が出している恵方巻きをいただきました。3年前にもちらっとここに書いたのですが、そもそも恵方巻きというものの正体をよく理解しないまま日本に帰ってきて「コンビニで大々的に宣伝している謎の巻きずし」という感覚でこの恵方巻きを眺めていました。(今も大差ないですけどね。)

そうしたらこの方からテキストが入り、お仕事終わりましたらお時間見つけてお寄りくださいとのことでしたので、お伺いさせていただいたところ、三越で買ってこられたという恵方巻その他の食べ物をしこたま頂くこととなりました。毎度毎度、この方からのいただき物には高級感に際限がないものが多いのですが、今回もうなぎの巻いてあるという恵方巻きその他のものを幾つかまとめて頂いてウグッと息を呑まされました。

家に帰り着いてそれを開封し、この方の指示に従い「ほんのちょっとだけ」温めて美味しくいただきました。流石にひつまぶしの老舗だけあって、ご飯も美味しく蒲焼のタレ汁色に均等に染まり、巻いてあるうなぎは当然のように美味でした。

夜食は夜食で食べたのですが、この恵方巻きは別腹。家族の誰もが恵方巻きという食べ物としては意識ぜず、うなぎの巻寿司という感覚で有り難くいただきました。

それにしても、私が日本に帰国したばかりの頃に比べると遥かにコンビニにおける恵方巻きの宣伝は大人しくなりましたね、やはり大量の廃棄物として恵方巻きが捨てられた画像が世間に出回ったり、コンビニのオーナーに恵方巻きの大量販売を押し付けたりする碌でもない本部の商売のやりかたそのものが日本中でバッシングされたりしたのが効いたのだと思われます。

それを食べたい人が食べたい時に適量食べるというのが理想の食事であって、押し付けてまで人の腹に打ち込むものではありませんわな。何事にも限度というものがあるというわけです。そういう意味ではやっと正常に近い商売の様体になったのではないでしょうか。

今回の恵方巻きなら来年も食べたいと思う横着な私でした。w


2021年2月1日月曜日

働き方改革が徐々に現実に・・・

2019年に施行された働き方改革法案。

医師の世界に関してはその特殊性を考慮して5年間という猶予期間が設けられたものの、気がついてみればアッと言う間に2021年になってしまい今年の四月でその「猶予切れ」までたったの三年になってしまいます。

結局の所、この働き方改革関連法案の実施を厳密に守るためには厳密な個人ベースでの勤怠管理が当然になってくるわけで、全ての病院出入り口における個人単位の出勤退勤時間の電子的管理が三年間保存されることがベースになってくるわけです。

聞くところによると、以前タイム・カードでの勤怠管理がなされていたそうなんですが、職員の中にそのタイムカードを使った「インチキ」をする少数の輩が出たために、タイムスタンプシステムが昭和の時代の紙ベースに戻されたというお粗末な話。本当に少数の悪い奴の為に色々と煩雑なシステムを我慢して使ったり労力を下らないことに使うことになるわけです。

私個人としては、こういうインチキが判明した時には一罰百戒的な苛烈な懲罰をきちんと準備しておくことと、実際にそれを適応することでそういったレベルの低い人間、遵法意識の低い人間をサクサクと排除していくことが非常に大切だと思っています。そもそも、「育ち」の問題として決まり事を守らない・守ろうという意識すら無い連中というのはどの時代にもどこの社会にもおりますので、機械的に罰則を当て嵌めて切り捨てていくしか無いでしょう。

最近はカードシステムを使っての勤怠管理が企業や病院では大部分だと思うのですが、更にその先のスマホを使った勤怠管理というのも普及し始めているようです。まさにリアルタイムに職員の勤怠を管理できるわけで、管理者側もいろいろな機能を駆使して余計な業務から開放されるはずなのですが、そういうことが理解できない人間がトップに居るところは永遠にそういう事をしないことで人海戦術で過ち多き勤怠管理を続けることでしょう。まことにご愁傷様です。w

しかし、こういた厳密な勤怠管理の導入が制式化してくると、逆に病院側は医師の取り扱いと数の確保で大変なことになるでしょうね。決められた例外時間の長ささえ定められているので、万一のときであっても働きたくても働けないし、外来や病棟勤務、そして当直の時間後の連続勤務などの禁止などでアレも駄目コレも駄目となってくる部分が沢山あると、医師同士のシフトの組み方もかなり難しいものになることでしょう。

果たしてこれがうまく機能するのかは、残りの3年2ヶ月という短い時間での大胆な改革に知恵を絞るしか無いでしょう。それが喫緊の課題であることを果たして経営陣はどれほど素肌感覚で理解しているのか?

さあ、見ものです。