2020年9月30日水曜日

超弩級の精神科の先生方

既に伝説となった私の知る2名の先生方について書いておこうと思います。

一名の方は私の研修医時代の精神科の先生。共に研修医でしたが、異様にいろいろな手技がもたつく先生だったというのが印象的だったのですが、精神科の研修に入った途端急に生き生きとしてきました。周りに居た他の研修医達も「お~っ!なんか電波が出だしたか?w」等と揶揄し始める先生もいましたが、私は何かおかしなことが起きるんじゃないか・・・なんて思ってました。

ところが、特に何も起きずに得々と患者さんの診察と解説をしてくれます。我々他の研修医も「向き不向きって誰にでも有るもんだな~」等と本人の居ないところでとりあえず感心していたのですが、研修の終了間際にとんでもない事件が起こりました。この研修医先生、ナント病院の双極性障害の女性患者さんと駆け落ちしてしまったのです。クラシカルですが、それこそみんなブッ飛んでしまいました。

反応はほぼ一つ。「唖然」w

もう一人の先生は数年前に経験したのですが、今は去ってしまった先生のことです。この先生、引き継ぎで患者さんを診察する時にもともと他の先生が処方していたその患者さんの投薬をみて「これはみんな毒で、あなたの体に良くないんです!」と言っては全ての薬を一気に投薬無しにしていって患者さんがアカシジアになったり他の激烈な副作用を示したり、もともとの病気が更に悪化して患者さんの家族さん達から大変な非難轟々の嵐を浴びることになりました。

他の精神科の先生方も、彼の処方中止行為には大変な迷惑を被っていましたので、どちらかと言うとこの先生が診療行為を中止させられたことに安堵の表情を見せていたのでした。

これでも、私が知っている超弩級の精神科の先生方の一部。医者になってからこのかた本当にどっちが患者さんでしょうかと言うような先生方(主に精神科)を繰り返し繰り返し見ておりますので、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなってしまいました。良いことなんだか悪いことなんだか・・・。


2020年9月29日火曜日

AMEXでカード詐欺かも

アメリカに残しているアメックスのカードにおかしなことが起こりました。

何故かわからないのですが、私がもっているカードの家族のco-memmberとして付与されている嫁さんのカードにおかしなチャージがなされていました。それはTMEMAGS.COMの雑誌の定期購読者になっているというもの。

この手のおかしな課金というのは以前にもあったので、AMEXにこの課金に関してdisputeするメールを送ったのですが、暫くして返ってきた返事は「調査の結果問題ない課金と認められたので来月の課金に含めます」というもの。

この返事に単純に呆れ返ってしまいました。結局この返事のダメさ加減にちょっと呆れましたので折角ですがもうこのカードは存続させないことにしました。長女に聞いても次女に聞いても当然のようにそんな購読しておりません。

30年近い契約を続けてきたアメリカンエクスプレスですが、70ドル程度のfraudの疑いを解決出来ないようでは問題です。こういう小さな穴が大きな問題に発展していきますので、今のうちに解決する必要があります。最短のクリーンな解決法はサヨナラでしょう。まあ、嫁さんがカードをアメリカで使うこともほぼ今後無いでしょうし、最悪再発行か日本のカードを使えば済むことです。

小さなストレスですが、早めに解決させていくこと致しましょう。

信頼していたアメックスの問題解決能力がこれくらいだったというのは少々というか大きな落胆です。


2020年9月28日月曜日

生きていれば良いことも一杯ある

オジサンですから古いところからネットを見てみたら私が顔と名前の一致するタレントさんで自死を選んだと言われる方々は以下のようになりました。

田宮二郎、沖雅也、沖田浩之、桂枝雀、伊良部秀輝、伊丹十三、可愛かずみ、ポール牧、古尾谷雅人、藤圭子、岡田有希子、三浦春馬、そして今回の竹内結子さん。

少なくとも皆一度は一世を風靡した方ばかりで、亡くなる直前までその人気は絶大なまま自死を選んだ方々も数多く居られます。うつ病、双極性障害、事業による借金、人気の凋落からのうつ病、産後うつ、理由不明のものまで入れると本当に死の理由は多彩です。

病院でも病気の先行きを儚んで自死を選ばれる方も時々居られて、私が大学生の頃にもある病気を苦にされて病院の屋上から飛び降りをされた方が居られましたし、研修医だった頃に国立の病院の屋上から飛び降り自殺をされた方も居りました。日本に帰ってきてからも、実は私の勤める病院で高齢の女性が飛び降り自殺をされたことが有りましたが、それは自分の御主人が犯罪を犯して逮捕され、塀の中に落ちたことを苦にしての衝動的自死でした。

私の場合はストレスが自分にかかってくると作業のレベルを落とすという方法で完璧ではないけれど何とかやりくりというようにして「逃げ」を打つことにしています。完璧主義とは程遠い人間ではあってもストレスは当然仕事の絶対量が多いためどうしても波のようにかかってきます。それでも最終的には必ず「白旗を揚げる準備」を怠らないようにして自分を追い込まないようにしています。

というのも、それは経験から得たもので、以前研修医になったばかりの頃、本当に24時間ずっと当時のICU(今はERという方が聞こえが良いか?)の中で仕事をするような生活をしていたことがありました。ある日、今の嫁さんになる人に電話をした時に声が大きくならないことに気づきました。意識をして体から声を出そうとしても、平坦で小さな声しか出なくなったのでした。それに引き続いて産まれて初めて帯状疱疹が右の季肋部に出現したのです。自己診断は過剰なストレスによる免疫力低下というものでした。

もしかしたらあのまま頑張り続けていたら本格的なうつ病になっていたのかもしれませんが、それは誰にもわかりません。まあ、若かったので、今考えるととんでもない馬力で仕事をやっていたという時期でしたが、その時己が明確に理解したのは「人にはそれ以上頑張れない一線」というものがあるということでした。

ガソリンタンクが空になると車は動かないし、ぶん回しすぎたエンジンも冷却が追いつかなくなると焼き付いてしまいまいます。その事があって以来、自分でこれ以上やると「辛いだろうな~」という予測がつく時にはゲームをしたり、ドカーンと寝たり、子供達と遊んだりしてテキトーに生活をしてストレスを自分の周りから遠ざけるようにするようになりました。

私の場合、死ねない理由も実にいろいろ有るわけですが、そもそもの生きる大前提は「生きていればこそ」という一言です。大人になって知った飲み物や食べ物のなかでもまだ食べていない沢山の美味いものの存在や行っていないところ、体験していないこと、知ることによって増える知の充実感など、考えれば考えるほどまだまだ生きて体験したいことばかりです。

辛くなったら逃げる、逃げて逃げて逃げまくる。そして機会があればその辛さを誰かに話をするというのは大事な人生の一手だと思います。頑張らなくても良い事はいくらでも世の中にいっぱいあります。他人がなんと言おうが知ったことか!で良いんではないでしょうか?

早死にしなくても、いつかみんな「必ず」死にますし。


2020年9月27日日曜日

半沢直樹・熱かった!

7年前に観た第一部の半沢直樹。

最終話の結末で正しく反撃に成功したと思われた半沢直樹が、頭取から「まさかの証券出向」を命じられるという意外な結末で次に続く第二話への期待に胸を膨らませてはや7年。あまりに大きい期待を持って次回作を待っているうちにその熱も何処かに消えようとしていたところへ実質的な続編登場。

ビデオリサーチによると最終話は30%超えとのこと。令和の今時に30を超えていく番組なんて紅白歌合戦とか「日本VSどこか」のサッカーやラグビーなんかの国際試合くらいでしょうかね?

今回の登場人物には歌舞伎役者の皆さんが次から次に異様な密度で飛び出してきたのには驚きましたが、これも何らかの力が制作サイドに働いたのでしょうか?知りませんが・・・。とりあえず皆、熱い顔芸と濃い演技で大変楽しませてくれましたので、結果オーライです。v(^^)

実は今回の第二シリーズ、私自身は自分の天の邪鬼の性格のせいでワザと真面目に見ておりませんでした。(人気があればあるほど何故かそれから距離を取りたくなる性格)途中の話を一話分くらいいい加減に観てどんな感じの進み具合かをいい加減に把握しておりました。TVerを使ってまとめて見直そうと思いつつ実際に見直しを開始したのはナント当日。何話もあるのにそれをしっかり見直すなんて例え日曜でも無理で~す。前日かなりきつい当直でしたし。

というわけで、飛ばし飛ばしで数話分をチョロ観して内容を把握し、最終話を一気に観ました。結局の所、この話の肝は弱者による反撃。池井戸先生の話の多くに出てくるモチーフですが、きちんとそれほどの無理なく話の絡みが出来上がっているので「おいおい勘弁してくれよ!」という感じの流れはそれほど見受けられないと思いました。無論、ドラマとしてですが。

私利を肥やし続けた挙げ句、全国民の前で生中継で葬り去られるクソ政治家やパワハラと違法行為を繰り返して最後は弁護士としての仕事を失くすクソLawyer。そして最後は・・・とんでもない輩と思われていた頭取が実は先の先まで見通した遠大な版図を最後に完結させるあたりは「ホンマにこんなレベルのバンカーは日本にはおらんやろ~」と思わせるほどの戦略家。話としては感動しますよね。

あと非常に良かったのは上戸彩演ずる前向きな半沢花さん。こういう台詞を吐かれて嬉しくない男は居ないですよね。実にこんな女性を嫁さんにしたいものです。

しかし、今回の話の最後の流れからすると当然のように10年以内に第3話はありますよね???


2020年9月26日土曜日

責任取れ!と言われて責任が取れる人になりましょう

昨日は久しぶりに若い職員と三人揃ったところで吠えてしまいました。

吠えると言っても怒りの爆発という奴ではなく、若い職員の話を聞きながら現在の業務遂行上の問題点等を列挙していく中で発生している問題、ここはおかしいと思う点などを一つ一つ聞いてみてどうすれば良いのかと言うことをお互いに問答する形式で検証する時間の中で「腹を括って仕事をする」事の大切さを確認したのでした。

何の仕事をやろうとも今目の前にある事を右から左に捌くだけでなく、こうあって欲しい、こうやりたいという近未来的な目標としてはmuch better、最終目標としてはidealな状況を想定した上で先の変化を考えて今の時点から動いていく。それを実現する為には今の時点で何が必要なのかを考えれば必要なものやスキルは自ずと理解出来るはずで、そういった戦略の上に則った行動を起こさないと何時まで経っても文句を言うばかりの年寄りなるということを話したのでした。

実際のところ20代と思っていたらすぐに30代になり、30も後半になった時点で資格やスキルが何状態で日々をただただ過ごしていては他に転職しようとしても誰からも相手にされないような状況があっと言う間にくるということを説明しました。

長女の以前所属していたワシントンDCの職場で起きたことを少しだけ書きましたが、彼女の周りでは長女が職場でのスキルを上昇させながら次から次にプロモーションをかけて職位の階段を上がっていくことに強いやっかみが出てきていたたらしいのです。しかし長女は一言「言う前に自分でチャレンジすれば良い」という極まっとうな答えで彼等のやっかみを一蹴していたようです。

結局の所、文句を言う人間というのは前に進まず周りの足を引っ張ることで「低い位置で」皆と一緒にくすぶり文句を言い続ける人間の集団を形成しがち。そんな中に留まること無く自分が少しでもより高い決定権限に近いポジションに近づいていけばよいだけの話です。

しかしそれには勉強という日々のけんさんと絶え間ない考察が必要なのですが、はたしてそういった年令になった時点で十分に職業人生の準備ができた若者として社会人になっているのか?

ポジションばかり求めて自分で仕事をする能力がなければ周囲が期待する業務の達成はできないわけで、責任を取ることは到底不可能。いつまでも銃弾が飛んでくる中で首を屈めて塹壕に居るだけでは駄目で、十分に戦える状態を整えてぶっ壊れるまでチャレンジをする10年くらいの時間がない事には還暦くらいになった時に「自分は何をしにこの世に生まれてきた?」というやるせない老後を後悔しながら永らえていくことにならないでしょうか。

いや、そもそもそんな人なら挑戦しない人生を普通と思うから悩まないかな?w


2020年9月25日金曜日

部下を育てるのが上手い人、下手な人

師長さんが大変怒る様な出来事があったようです。

起きた事自体は大変シンプルで、入院患者さんを主任さんが受けていないことでした。本来は師長さんの居ない状況であっても、医師の承認のもと主任さんさえ居れば入院患者のコントロールを任されているとのこと。主任さんが自分で考えて自分の責任のもとに入院患者さんをマネージすることが出来るようになっていたわけです。

ところが、今回この主任さんが「師長さんが来るまで待ってて良いね」というふうに自身で決断したようで、本来師長さんとしては自分が翌日に来棟した時点で患者さんは既に受け容れ済みになっていると思っていたようなのです。ところが来てみたらそんな案件は全く動いていなかったとの事で、日頃彼女を信頼していただけに逆に珍しく感情を波立てて怒っておりました。

しかし、私からみていると「実はその遠因は師長さん自身なんだよ」というようにしか見えません。実はこの師長さん、物事の成り行きや細かい部分がよく見渡せるだけに本当に業務の細かい部分まで気が付きます。その為に多くのことを人にやらせる前に自分でやってしまうんです。だって自分でやるほうが速くて綺麗に仕上がりますから。w

ここが考えどころで、そういう事を繰り返していくと大まかに2つのことが起きると思います。一つは本来、他の人が気付いて率先して自分で問題を発見解決していくというチャンスを奪ってしまうということ。二つ目はそんなに仕事ができる師長さんがいろいろとやってくれるため、自分で物事を考えずにいろいろなdecision makingの場面で全部「師長さん」の意思決定を待つ指示待ち人間になってしまうということでしょう。

その意思決定のレベルは極簡単なことから難しいことまで、師長さんが仕事ができて目端が利くぶんだけ思考の機会を幅広く奪うことになるわけです。非常に矛盾したことに見えるんですが、こんな事態はあちこちの組織で普通に見られることで、偉大なボスの周辺に偉大なフォロワーが育たない組織の中にはそういった事態に気付かず若手やフォロワーに「我慢して」仕事を任せないからと言えるでしょう。

自分がやればより出来るからと言って多くを自分でずっとやっていたら、人など育つ訳もないわけです。結局は自分自身も組織の中では歯車の一つですから、そんな「仕事のできる」師長さんに何かが起きたときにでも組織がスムースに回るようにしておくのが彼女自身の仕事だと思うんです。

その延長線上には己自身の老害化が待っておりますので、私自身も若手を育てるときはハラハラしながらも「仕事を任せる勇気」というものを今後も大切にして人を育てていきたいと思います。


2020年9月24日木曜日

絶対に中国に操られるな

菅首相を生み出したのが現時点での最大勢力である二階派だというのが気になります。

そもそも、中国という腐臭漂う共産主義国家にすり寄っていく気持ち悪い人間が日本国内で政治家になっていると言うだけで勘弁して欲しいレベルの事実なんですが、その連中の票がなければ宰相になれなかったという事実が思った以上に大変に大きな問題だと危惧しています。

尖閣問題の棚上げ発言のみならず、一体何処の国の政治家なのかと言いたくなるほどかの「赤い国」に張り付いている薄気味悪いオジサンが派閥の領袖。しかも、このオジサンだけは中国からはまさに子分のように毎回訪中を歓迎されているという不気味さ。日本をクソミソに言いながら己の国の悪行はあたかも無きが如くに弁護するインチキ振りまきマシンの彼の国の外相から相好を崩して歓待されるような人間を果たして我々に信じろという事自体が無理。

一体全体、自由民主党→新生党→新進党→自由党→保守党→保守新党→自由民主党と渡り歩いてきた道路族の、こんな「しょうもない男」が国の宰相を作るキーパーソンになっていたことに頭痛と目眩を覚えるのです。

菅首相の腹の中を読むことは出来ませんが、少なくとも面従腹背でも結構ですので、ウイグル問題、チベット問題を正義の仕事のごとく唱導するインチキ国家に絶対に隙を与えないことをこころから願うところです。

そもそも、現在ウイグルで起きている事はナチスが第二次世界大戦前に行っていたユダヤ人に対する過酷な迫害の開始とまるでソックリコピーしたような事をやっているのですから本当に恐ろしい。20世紀初頭に行われた身の毛もよだつような恐るべき拷問と迫害をスマートなツラの面を被った気持ち悪いプー主席が気怠そうに進めているのですから、その「人道に対する犯罪」が止められない事に対する私の無力感は大変に大きなものです。

現在、国際的な問題としてフランス等が問題提起し始めては居ますが、仮に今後歴史がそこで起こった真実を詳らかにする時が必ず来ると思いますが、その時には中国共産党が行っている悍(おぞ)ましいEthnic Cleansingの実態を言い訳無用のレベルで白日のもとに公開してもらいたいものです。

以前、中共が海外向けにそこで行われているというモデルケースを報道陣向けに公開したことが有りましたが、そんな噴飯もののFake(こういうときにこそ使うべき言葉!)に騙されるわけもありません。そもそも、それと同じような宣伝をナチスも戦前やりましたし、ロシアも50歩100歩の事をやっています。要するにヤバい国が考えることは皆同じ。

21世紀にもなって何やってんだという話なんですが、嘘も100回つけば真実に~などということを許してはなりません。

菅首相の今後の対中国姿勢を注意深く見物させてもらいたいと思います。


2020年9月23日水曜日

役所ではんこは消滅するのか?

結局お役所が変わらなければ絶対に変わらないと思われるものの一つにハンコの使用があります。

これ程までにパソコンやスマホが各家庭に普及しているのに役所の種々の「お約束」として、証明書を見せて、種々の欄を直筆で埋めて、最後に印鑑を押して最後に紙の証明書を発行して終わりという流れ。

これでは印鑑の使用はなくならないし、紙を使った書類が無くなるわけも「当然」有りません。それに一般の多くの企業でもお役所でも稟議書には読もうが読むまいが各責任部署のトップか代理が左から右に押していくわけです。

これを電子認証システムに置き換えることから始めなければなりませんし、そもそも最終のアウトプットとして「紙」での最終出力による書類の保存を求める法律が存在するならば、紙が無くなるわけもありません。だって義務ですからね~。

私の勤務している病院でも昭和のオジサンほど紙の書類の山の間に囲まれて机の上を狭くして働いているフリをしている訳ですが、今どきこんな人間がセクションでヘッドを務めていて電子化なんて作業が進むわけも有りません。

政府レベルでもそれは当然同じで、台湾の天才エンジニア「オードリー・タン」がデジタル担当大臣になるというような例もありはしますが、それは流石に期待薄。それでも少なくともマウスを使う時に眉間にシワを寄せていた橋龍やITをイットと呼んだ伝説を持つサメの脳みそ森喜朗が金を持ってそれを配る利権の差し配り部署にするようなことがあってはならないでしょう。

せめて自分でPCを組み立てたことがあるとか、デジタル業界の用語が解る程度の人間がトップに就くような日本であればよいのですが、そこら辺の決定権を持つ人間は今の所これまた昭和の色濃く残るような紙と鉛筆を使う最後の恐竜のような人間が多そうで・・・。orz

それに、今でも一太郎で書類を仕上げる慣行の残っていそうなお役所の皆様に果たしてどれほど有意義に金を使ってデジタル化を進行させることが出来るのか。ISDNに巨費を投じたバカお役所の皆さんもあの30年前と人間変われど発想変わらずな人々ばかり居そうで期待薄としか言いようがありません。

マイナンバーカードの活用とかが市民レベルでの公的文書との関わりを大きく変えていくと強く信じているのですが、それに金を割り振るほうが昭和のアナログ脳ばっかりじゃあね~。

しかし、印鑑というのは大きくその需要を減らすだろうし、最後は日本の多くの仕事の中からそのオフィシャルな役割は消えていくことでしょうね。残念ですが、時間の問題であって止めること自体が虚しい抵抗だと思います。印鑑業者の人にとは結局は趣味の世界での私印の制作にその字を繋げていくしかなくなるのでしょうか?日本の素晴らしい文化なだけにレコードが今でも消えないようにずっと残るとは思っていますが。


2020年9月22日火曜日

人材を成長させるのも組織の役目

病院という組織の中では病棟のキャラクターを決めるのは師長さんであることが本当に多いです。

患者さん側から見ると、病棟の違いというのは多くの場合「診療科目の違い」という表面上の違いが目立つくらいなのかもしれませんが、病院で勤めている人間が内側からその病棟やその科の持つ雰囲気や業務遂行上の暗黙の決まりなどを観察・体感していると、そのダイナミズムを決定づけるのは大いに師長さんのキャラクターが関与していることが明確に読んで取れます。

師長さんの次の命令指揮系統に立っている主任さんがその色になにかの味付けを加えているかと言うと、それはあんまり大きくないと正直思います。やはり決定的なのは師長さんの存在感とキャラクター。

例えば、病棟運営で殆ど何も言わず何も関与しないタイプの陰キャみたいな師長さんも実際居られまして、何故その人が選ばれたのか、単に年功序列なのかというようなレベルの人もおられるのですが、それでも殆ど何も言わないという師長さんのキャラクターが他の人に自由な発言を許したりする度合いを強めることでその病棟のキャラクターを作りますし、師長さんが猛獣使いタイプのような強烈な人だと、その下で従う人達が兵隊さんのようなキャラになってしまうような状態でほぼ何も大きな発言権が無くなって、合わない人は次のシーズンでその病棟からの異動願いを出したりする人もちらほら。w

「よく働く」のですが、どちらかと言うと副官たる主任向きの人もいてそんな人が師長さんになっても意外と当初の看護部長などの期待に応えられなくて燻ってしまったりすることも無いわけでは有りません。(と言うか意外と多いんです、そういう事例も。)

やはり、トップに向く人というのは独断専行であろうがなかろうが、したが迷惑を被ろうがなんだろうが「物事を決めてグループの方向性を決定づける」というタイプの人であろうと思います。一番ダメなのは「みんなで話し合っていろいろ決めていきましょう!」というタイプの人で、この手の人はいわゆる「いい人」であろうとする人が多いですね。

しかし、進路が決まらないと船は漂流する如く、組織全体もその方向性を失い次第に内部には大きな不満が溜まってきます。まずはスパッと進路を決め、間違っていたらサクッと軌道修正をすればいいだけの話。「過ちて即ち改むるを憚ることなかれ」ということが原則だと思います。

やっぱり何でも現時点での組織が向かおうとする方向性は従ってくる人達に見せておかないとね!って事でしょうか。

そんな中で選ばれてはチャレンジをする師長さん達ですが、私はもっとこの人事に柔軟性があって良いと思っています。つまり、若手の有望株をさっと指名しては1年2年とやらせてみて、駄目ならば一旦ヒラなり主任なりに戻して再教育、再チャレンジ。それを繰り返すうちに前回駄目だったところを修正して次に挑むというような事をさせる柔軟性が大事だと思うのです。年寄ばかりを年功序列で(適性もないのに)上の役職に当て嵌めていては組織も腐ります。場合によってはやってみたい人が手を上げる中での選抜も大いに有りかと思うのですが・・・。

人を育てて適切な人に組織を引っ張らせるというのは組織の大小を問わず本当に難しいものですね。


2020年9月21日月曜日

連休後にコロナの揺り戻しは無いか

先日、仕事で土曜の名古屋の街を車で走っていたら運転手さんがポツリと言いました。「先週と比べて大幅に車が混んでますね」と。

実際に先週末その運転手さんが車でドクターと一緒に移動していた時には全く混むこと無くスイスイと次の地点、次の地点と移動できたらしいのですが、今日は違うと言って上のような発言をしていました。

実際、今朝の時点で家を出る時に横で流れていたニュースをチラ見した感じでは近郊のエリアを中心に・・・とは言え、今までの自粛期間とは異なるレベルの大量の家族連れや若い人たちが道の駅や観光地に繰り出していましたし、球場などでも今までの期間とは全く異なるレベルの観客の入れ方を始めましたので、内心では「間違いなく」揺り戻しが起きるだろうなと感じてしまいました。

今の所、愛知県の新規感染者数は良い感じでsuppressされる傾向を見せてはいるのですが、何にしろLONG TAILという状態になっています。これはしたの感染者数の推移を見ていただくとスグに理解できるのですが、立ち上がりが急激な今回の第二波が前回の小さな山であった第一波の時のようにスーッとVanishする感じではなく、何時までも何時までもその収束の収まりが悪い状況での「くすぶり型」の感染者数を維持していることです。

こういったパターンの出現は以前北大の教授だった先生(確か今もう京大に移っちゃいましたよね?)が第一波の頃から随分しつこく言っていたパターンそのもので、「緩い統制」が長引けば長引くほどこのテールの収まりは悪く、一度再発火するするかもしれない状態を保っているというのは種火と一緒です。

一旦はギチっと収束させた愛知・名古屋ではありますが、何にせよ東京という決して収束することのない種火の大本がありますので、人が「移動する」という宿命を持つ限りはなかなか収まるものではありません。

そういう観点からすると、GoToのキャンペーンをしつつブレーキも踏まなくてはならないジレンマのもとでの生活では、何時まで経っても経済も生活も中途半端のままですわな。共産主義国家のように人を無理やり抑え込んでしまうわけにもいきませんし、難しいところです。

何れにしても東京オリンピックは無理でしょう。残念ですが。そもそも、先進国の選手達が免疫つけて日本に来たところで、周りの経済界が期待するような全世界からの観光客招致なんて出来るわけ有りませんから。それをしたら、日本は感染に関してはカオスになることほぼ間違いなしでしょうし。

私なんぞのクソ予想が外れてくれる方がなんぼか良いんですが。


2020年9月20日日曜日

ホテル・ナゴヤキャッスルもあと10日

再び御招待をうけてホテル・ナゴヤキャッスルの柳城へと行って参りました。

高級な料理をほぼ食べることのない我が家のメンバーにとって、この名古屋の中でVIPを招待するという意味で最も気合の入ったホテルでの夜食は何時も大変に嬉しいものです。しかも、ここで食べるということは、今日本に居る家族の四人に対しての御招待ですので、税込みで10万近くいくというもので、毎度の御招待を畏れ多くて断るのですが、先方は「もう予約しちゃったから」と言って話は決まってしまっています。

何時も思うのですが、お世話になっている他の方々をこういう形で招待するだけのお返しができる余力が老後に欲しいものです。食べるもの、形にならないけれど思い出になるものにお金を使う余裕というのはナカナカ・・・。日本人に多いのはどうしても働いている途上での投資という形のお金。私がアメリカに居た時の大学の薄給が投資運用会社によって既に10年ほど運用されていますが、ごく少額の投資だったにもかかわらず今では大きく育っています。

さて、料理のほうですが相変わらず大変に美味しくて材料も贅沢ならば仕上げも素晴らしい。本当に気持ちよくなる時間を頂いたというのはこういうことをいうのだと思いました。

この料理があと10日で4年間ほど名古屋の中から消えてしまうのかと思うと寂しいですね。料理を堪能したあとマネージャの方と話したのですが、これからまず一年ほどかけて更地に戻し、その後一年半ほどかけてしっかりと基礎を作っていくのだそうです。ここが一番時間とお金がかかるような感じなんだそうです。それが出来てしまえば一年ほどで上モノが完成するのだそうです。

今のホテル・ナゴヤキャッスルも大変美しい姿をしたホテルで、壊す必要があるのかと言うほど麗しい直線基調の姿なんですが、残念ながら最新の耐震基準には達しないのだそうです。

2024年に再度リニューアル・オープンした時に再び柳城がここに戻ってくる事を強く願っております。ホテル・ナゴヤキャッスルも実際には9月30日ギリギリまでがんばります。もう少しの間だけはあの美しい眺めを得ることの出来る上階のレストランや美味しい地下一階のレストラン群で美味しいものが食べられます。可能な方は・・・と言いたいところですが、かなり予約はタイトでほぼ最後まで行く枠は無いとのことでした。

キャッスルよ、また会う日まで!



2020年9月19日土曜日

次女のサブ・バイト

最初に聞いた時はその意外性にニヤリとしてしまいました。

次女が英語を使った児童学習教室の部屋から帰宅するのがやたら遅めになってきた上に、帰ってきた時にやたらと疲労困憊しているので「何がそんなに疲れるん?」と尋ねたとこたこ焼き屋でバイトをしているというではありませんか。

ナニナニ?という感じで、一瞬驚いてしまったのですが、そもそもは嫁さんがたこ焼き屋で外国語をしゃべる方も可というようなバイト募集の張り紙を見て娘に案内したようです。確かに我が家の次女は「外国語をしゃべる方」ですが、そこに惹かれて始めるか?という感じもします。

今になって記憶の糸を手繰り、以前行った時のそこのたこ焼き屋のことを思い返してみると、確かに最前列には手慣れた様子でたこ焼きをクルクルとひっくり返すベトナム人風の名前の青年達と、その後ろで細々としたいろいろな仕事をこなしている若い女性、それにおじさんがいました。ということは、あんな感じの中で次女が「なんらかの」仕事をしていることになります。

ちらっと聞いたところでは勿論タコを焼かせてもらえるわけもなく、裏方でいろんな雑事をお姉さんの指示に従って淡々とやっていくだけとのこと。まあ、パッと行って何かの役に立つわけもなくそんなとこだろうなと思っていましたので逆に納得です。今の段階ではお姉さんが一緒にいないと何をして良いのか良くわからないようです。まあ、当然でしょうが。

「恥ずかしいから絶対に買いに来ないで」とのこと。まあ、未だそんな事言ううちは中2病の真っ只中ということでしょうな。我々がかそこに買いに行かないことで、少なくとも彼女の存在によって最低二人の人間の顧客を失っているわけですから。(とは言え、そこのたこ焼き屋で今までに私が購入したのは全部カウントしても10回ない程度なので店にとっては実害ゼロと言って良いレベルなんですけどね。)

今までアメリカでは日本食レストラン、モールの中にあるベトナム料理のファスト・フード店、ピッツバーグのアイリッシュ・バー、そして前回と今回の英語による児童学習教室なんかで働いたことがあったはずですが、これでまた将来の思い出になるようなバイト歴に+1が追加されたようです。

まあ、自分の飯代・遊び金を自分で稼ぐのは人生の基本ですから当然ですね。


2020年9月18日金曜日

新型Apple watchとアマゾンのHalo Band

Haloというアマゾンのサービスご存知でしょうか。

先ずはアメリカで先月末くらいから始まっているのですが、健康管理サービス「Halo」というシステムの中で、スマートフォンと連携する腕輪型端末「Halo Band」を用いることで種々の活動量や睡眠状況を把握、声から精神状態を推定したり、スマホで体の写真を4方向から撮ってその変化を観察していくのですが、その解析はDeep Nural Networkをカメラ画像から体脂肪を推定したりする。一連の結果をスマホの専用アプリで管理し、健康維持や生活習慣の改善などに利用する。

一方で同じ様に体調管理用のセンサーを更に追加したApple Watchシリーズ6も気になります。Haloのほうは、初期のバイヤーは$64.99で通常は$99.99とのこと。ただし、やはりお互いの向いている方向性や性能は大きく違っていて、Haloだと2時間の充電でほぼ一週間使えるというもの。一方ご存知のもう一方はほぼ毎日一回寝る時には充電って感じですよね?

とは言え、A-WatchはますますミニiPhone化が進んでおり、今回のハードとソフトのバージョンアップでほぼ完全に自立した電話として機能するようになった最初のマシンとなった気がします。体調管理の方向性も違うわけですけど、同じ腕に巻くものとは言っても全く違うデバイスという方が正しいのですが・・・。健康管理に特化しているHalo Band。何でもやろうとする中で健康管理その他のマネジメントも組み込んでいるA-Watchと考えると、その人が何を目指すかによって買うものは変わってくるのかなと思います。

しかし、この分野での覇権「も」目指そうとするAppleに異なった角度で挑んでいこうとしているアマゾンも全く油断できないと思っています。家庭内における居場所の作り方としてはアマゾンのアレクサとEchoがGoogle Homeをも軽々と抑えてダントツ。Appleの居場所はそのエリアには有りません。きっと何らかの試作品は作った。作っているのでしょうが今どきどうやってその家庭内リビング・デバイスの巨人の隙間に入っていくのかという気もします。

最初は本を売るサイトだったアマゾンが今では「何でも」売っています。アマゾンはKindleにしてもハードウェアやサービスを次々に年ごとに拡充させ続けています。このHaloだって「いつの間にか」A-Watchの足元に値段と性能とソフトウェアで近づいてこないとも限りません。

人がスマホで使う日常的なソフトウェアは多分少ない人で5つくらい、多い人で30程度でしょう。そのホットな分野に絞ってアマゾンがソフトを仕上げてきたら?そしてアマゾン・ベースのマシンが金を生み出すものだとソフトの開発者が気づいたら?形勢は容易に動くはずです。

何と言ってもAppleの作るものは「高い」。確かに性能は良いし、よく作り込まれているし、プライバシーも他のものに比べれば!という前提付きで比較的守られています。しかし、日本の高級マシンが長い時間かけて安かろう悪かろうの分野で価格攻勢をかけてきた韓国中国に駆逐され、今や高級マシンのエリアでさえ日常的に攻勢をかけられる時代。開発技術者の頬を札片で叩き抜き去っていかないと誰が言えるでしょうか。

行く川の流れは絶えずして・・・。永遠の言葉です。何れにしても競争を止めずに良いものに磨きをかけてより安く作って欲しいものです。


2020年9月17日木曜日

いつまでたっても騙される人達

ジャパンライフの詐欺に引っかかった皆さん。お気の毒という他ありません。

未だにこんな商法に多額の金を奪われる輩が全国に1万人も居るとは・・・。その愚かさに呆れるのを通り越してひたすら気の毒です。1万人というと1億3000万人の人口からすると、1万3000人に一人といいいたいのですが、そのうちそんな騙される元の金自体が無い子供なんかを除けばまあ、1万人に1人の人間がこんなしょうもない詐欺に引っかかるとすれば0.01%の日本人から集めた2100億円の金がこのジャパン・ライフというインチキに引っかかったわけです。

テレビで見ていて驚くのは何処にでもいそうな婆さんが1億やられたとかぶったまげたような発言をしていること。家を差し押さえられて云々などと言っていましたが、その引っかかり方の愚かさを見ると御本人の愚かさに底がないという感じ。

どっから見てもそこら辺の夜店で3000円くらいの「不当に高い夜店価格!」で売られていそうな磁石入りの腰巻きベルトを400万円で購入して、それをジャパンライフ経由で別の人に貸し出すという方法で年利6%の還元金をもらうというスキームになっていたようなのですが・・・。

もうね、その時点で御前気づけよ!そんなものに400万の価値が無いことなんて今どきの普通の小学生でも判るじゃろうが?と。そいつを信用した理由として、ジャパン・ライフの会長が安倍晋三の「さくらを見る会」から招待状を受け取ったと言うのがあったから信用できるなと思った・・・等という言い訳がありましたが、もうね、あんたらの脳は死んどるわ。w

ろくでもない会を開いてろくでもない輩を招待していたボンクラ宰相側も大問題ですが、そんな「似非権威」に騙される果てしない愚かさ、そしてそれほど愚かでもそれにつぎ込む金が億単位で貯まっていたということ自体に驚きを禁じえません。

ボンクラ宰相の辞任を待つようにこのクソ詐欺師共が逮捕されたのですが、どうして強制捜査から逮捕まで一年半も「待った」んでしょうね。勿論、皮肉ですが。

騙す阿呆に騙される阿呆。阿呆同士が欲の皮を突っ張り合った果にスキーム破綻でドボンです。ハーと言うしか有りませんわ。和牛商法、原野商法、山林商法。これからも手を変え品を変え人を騙す輩は止まらず出てくることでしょう。

経済犯罪に甘い日本。1億超えた詐欺は終身刑、10億で死刑くらいにしておけば少しは止むんじゃないでしょうかね。循環商法系の詐欺も。

嗚呼、それにしてもお前らときたら・・・。


2020年9月16日水曜日

BLMとは生存権をかけた闘争そのもの

Black Lives Matterに関しては以前と違いSNSやビデオの力がその戦い方を変えている気がします。

局地的にデモが発生したところでそれが「報道されなければ何もなかったことになる」時代はとっくに過ぎ去り、ローカルニュースとして誰の目にも止まらずに消え去る、もしくは今までであればニュースにさえならなかったであろう画像がその日のうちに世界の裏側まで爆発的に拡散される時代。

隠されていた影の存在は今の時代表に出て剥き出しの事実を音と映像で伝えます。悲しいこと嬉しいこと、感動的なこと、悲惨なこと・・・十年前でもやはりそういう世界は有りましたが、伝える側の手段が圧倒的に「皆の手」に拡散されています。誰もがビデオ機能のついた高画質のスマホを手に持ちチャンスさえあれば世界を驚かす一本の映像を配信する可能性のあるビデオ・カメラマンに成り得る時代。

言った言わないの水掛け論の時代は遥か彼方に去って、目の前で記録されたものが事実として提示される時代。それをどう解釈するかが今度は新たな戦いの場になっているようですが、こちらの方は相も変わらずの低レベルで、見たくないものは見たくない人達がお互いに事実を見ずに自分の信じることのみを言い合うばかり。

己が黒人としてアメリカに生まれるというのがどういう意味を持つのかというのはアメリカで暮らして、横にいる黒人たちへの「歴史に根付いた制度的差別」がこの近代国家において如何に極普通に行われていたのかを普通に感じることが出来ました。

アメリカの中で「黒人」というものがステレオタイプな型に嵌められ、その型の中に嵌められた自分を演じる黒人もいれば、そんなものをガン無視して能力のまま羽ばたく黒人も当然居ますが、その先に待っているのは制度的差別と偏見。

もし自分が車を運転していたらそれだけで警察に停められて、黒人だからという理由で講義も一切認められずに殴られたり打たれたりとかが日常とか言う世界が未だに地域的にあるなんて言う世界で日常生活を送れますか?

肌が黒いと言うだけで、最初から仕事の上で差別を受ける世界とかに住みたいですか?お為ごかしのような人種的マイノリティの救済制度で茶を濁されること何十年。ベトナムでも白人よりも本国の本来の人種構成比率の何倍も多く死に、21世紀ののアメリカでも、奴隷として無理やり祖国から連れ去られ、途中で捨てられたり殺されたりされた挙げ句、値付けされ、犯され、捨てられ、また売られ、奴隷として生まれたときから白人に仕えるように仕込まれた人々が受け続ける差別。

なおみちゃんが全米オープンで名前のついたマスクを7枚変えて優勝まで勝ちきったことに誰か文句を言えるでしょうか?絶対王者ハミルトンが黒いTシャツに黒人を殺した警官共を逮捕しろと書かれたものを表に着ていったことに誰か文句を言えるでしょうか?

インチキファッション業界の雄、ルイビトンやグッチなどの嘘くさいBLM賛同メッセージなどに騙されること無く強く排除していく姿勢から始めれば、日本でも日常とBLMをつなげていくことが出来ます。

今の生活を生きる中で、黒人であるからと言うだけの理由で怯えることなど一切ないような時代を黒人が他の人種と同じ様に生きれるようにするのは21世紀が20世紀と違う時代となったことを次の時代に伝える大切な作業だと思います。

日本人はその生活の中で黒人と交わることがそもそも殆どないと思いますが、私のアメリカ生活では全くの日常でした。例え犯罪者であろうと、そいつが黒人だからと言う理由だけで罪が重くなるようなことがあってはならない。平等というのは今まで歴史的には血を流して得るものという悲しい歴史の繰り返しでしたが、少なくとも我々日本人は教育と知性の力でそういった事を土台から排除していく努力をすべきだと思います。

娘の友だちである黒人の青年と夜に二人でサシで飲んでいる時に黒人として生きることの本音を何度も聞く機会がありましたが、何時もは見せない顔を見せて、何時もはしない話したときのことは決して忘れません。

あってはならないものはあってはならないのです。


2020年9月15日火曜日

本当の田舎から来た人の田舎感

バイト先の病院の看護師さんが凄い田舎の出身だと判明しました。

岡山の山奥の出身だということが移動する車の中で判明したのですが、話を聞く限りではどちらかと云うと「ド」田舎自慢のその「ド」の振り切れ具合を種々の例を上げて話してくれたのです。

岡山が田舎っていうイメージは私自身には全く無かったのですが、その話に出てくる片道通行の話や街灯自体がない話、コンビニなんて何処にもないというのは当たり前で、田舎に来た未知の人物達に対する田舎の人達の警戒感の高さなどに関して滔々と話が出てきました。

ところが、そのあと到着した別の施設に居た女性看護師さんがこれまた岐阜は郡上の更に山の奥の「ド」田舎から来たという話をし始めて、二人で田舎自慢開始。w 二人の話に強く共通していたのは、「田舎暮らし」に憧れてくる人達の気が知れんというものでした。

田舎で育って田舎でずっと暮らしてきた彼女達自身が最も嫌だと思うのは田舎で何かをした時に周囲の人達に自分たちが何をしたかが全て筒抜けになってしまうという事なんだそうです。特に今の時期とかは田舎には「絶対」に帰れないということで、万一名古屋から一時帰宅したことがバレようものなら近所から陰口叩かれまくるのが判りきっている為なんだそうです。

しかしながら、彼女は岡山へ帰りたい気持ち耐え難く岡山まで夜中に帰って車を納屋の中に隠してひっそりと家の中で数日生活、その後夜中にまたこっそり家を出て納屋の中から車を引き出して名古屋まで帰宅したそうです。

何と言うか凄い話ですが、田舎の人と結婚すると言うことはこういった環境の中に戻ってくるとう事を覚悟しなければならないということなんでしょうが、若いうちはそういった「結婚後の現実」が頭の中を過(よぎ)るなんてことは無いんでしょうね~。それこそが若さの良いところですが。

私自身も元はと言えば宮崎という「陸の孤島」出身の人間ですが、山間部ではなかったことも有り、周りの人はお互い関係ないいわゆるリースマンの「孤独な群衆」の走りみたいな世界でしたので、二人の話ほどの凄まじさはちょっと経験がないのでした。

しかし、こういった相互監視系の田舎っていうのはこれから人口減少で集落自体が消えるという事実とは別に慣習としても消えていくんでしょうかね?


2020年9月14日月曜日

見ていて気の毒な女性

職場で身体症状の不調を訴える女性が居ます。

通常の血液検査を行っても、特に何の異常値も出ないのですが、身体症状としては動悸や息切れ・呼吸困難感等が主にあるようです。立ちくらみや眩暈などはないのですが、咽頭周辺のいわゆるヒステリーボール様の違和感の強さも特徴的です。

今までに、ドクター・ショッピング状態であちらこちらの病院に行きいろいろな科を渡り歩いて自分の症状のスクリーニングをされてきたようですが、何れの科のドクターからも異常なし!とのお墨付きをもらっているようで、その度に症状は一時的に小康状態を保ちある程度寛解するようです。しかし時間が経つとまた心配になってということの繰り返しで、本人御自身もそんな自分の状況が嫌でたまらないとのこと。

職場での仕事は几帳面で、与えられた仕事をきちんとやってしまわないと気になって仕方がないというのと、やるからには同僚の女性達には負けたくないという気持ちが常に先に立ってしまうのだそうです。仕事の結果は何時も正確でソツがなく、アフターケアもバッチリです。という感じで、手を抜かない、手を抜けない方。ある程度過重な労働になってしまっても、それを負担と思っってもやり遂げるまで流行ってしまうというキャラの持ち主です。要するに責任感が強い。

この方の話を聞いていて思うのは、ほぼ間違いなく心気症の症状だと思うんですが私自身は精神科医でもないので、特に最終的な判断をせず、抑うつのスケールなどを試しに本人にチェックしてもらったところ、やはり抑うつ傾向も中等度のレベルで認められるとの判定結果が出ておりました。

まずは御本人の希望に沿って循環器や呼吸器、消化器などに問題がないことを確認してもらってそれから診療内科を受診していただくというのがベストではないかと思うんですが、結局一周してまたもとの所に戻ってしまうような気が・・・。

お仕事を一旦休憩して心の休養日をとったほうが良いと私は思うのですが、なかなかそうもいかないようです。現代社会ってなかなか大変ですね。


2020年9月13日日曜日

教師は適格者だけで構成されているわけではないという話

この前も少し記しましたが、いま、院内で高校卒業資格をとろうとしている女の子を教えています。

一旦は通った高校を何故辞めるのか、私の人生経験の中では周りに居なかったタイプの人間でしたので、その点に関して少し聞いてみると、問わず語りに語ってくれたその経緯は結構酷いものでした。

高校を辞めることを決意するまでの経緯を涙ながらに語った時系列ごとの詳細な話は、彼女の通っていた高校の担任教師の「クソっぷり」を知るに十分なリアリティがありました。

彼女が語るそもそもの間違いは高校の選択からだったというのがかなり明白なのですが、その高校のテストの内容などを聞いていると、やはり今問題の低学力校の一つだと推測できました。彼女が入学してみると特に何もしていなくてもクラスで三本指には入るし、学年では20番以内に入る程度のところだったようですが、そこの担任の彼女に対する発言の数々は「いや、ソレはないやろう・・・」という呆れた発言というか、視線が指導者のソレではなく学生と同じレベルにあって、かつ発想の質が極めて卑しいものでした。

「生徒を信じることが出来ない人の生徒指導」というのはこういう事を生徒に言い放ってしまうのだろうかと思わせる呆れた内容。普段は明るく淡々と病棟の仕事をしている彼女ですが、当時の事を思い出す度にその時の教師の呆れた発言に傷ついた事が解るような静かな涙をポロポロと零し続けました。

そんな彼女に勉強を教えていて気づいたのはかなり明確に高い理解力があるということ。順を追って説明するときっちり理解することに嬉しくなるくらい十分な理解力。ただし、もう一つ明白なのは全くドリル等をしていないために基礎的な学力という点で小学生の基本的な演算レベルのことに戻る必要があることが多々あることでした。簡単に言うと、理解できる範囲が小学生の内容から高校生の内容までごちゃっと混ざっていて、上の内容の理解をしようとする時に随分と低学年の内容をおさらいしておかないと、折角の高度な内容の理解も勿体ないような結果に終わりがちになることです。

今回の勉強では、確実に高校卒業資格を得るために決して落としてはならない基本的内容に関して繰り返し繰り返し教えながら、高みに登っていこうというものです。教え始めた以上、最長2年程度の時間の中できちんと彼女が高校卒業資格を取得して、看護学校の受験資格を手に入れることで、人生を生きていく自信を得る手助けをしたいなと思うのでした。

それにしても、自分の高校の頃のことを思い出しても、教師の中にはやっぱり「人として問題がある輩」が稀ならず混じっているんだなと改めて当たり前のこととして感じるのでした。自分の人生の中で、幸いにしてそういうのにあたった事はそれほど多くはなかったのですけど、中学の頃の英語の教師とか大好きだった英語を大嫌いにさせるほどの破壊力を持った嫌な野郎でしたし、もし今あの当時の英語教師に会うことが出来たら相手が解からないレベルの英語で罵倒してやるのも有りか?いやいや、それはあんまりだ・・・などと下らない夢想をしてしまういい年こいたオジサンでした。

勉強なんて失敗したら成功するまで何度でもやり直せばいい。おとなになってこそその事がよくわかります。教師は若い魂を決して挫くこと無く励ましを以て高みに向かわせるビーコンであって欲しいと強く願うのでした。


2020年9月12日土曜日

マスク着用拒否と飛行機

出るやろなこんなニュースと思っていたらやっぱり出ました。w

自粛警察というコロナの対応に関して極端を求める一群の神経過敏の人達を除いて、実に常識的な対応でコロナの拡大を防いでいる現時点での日本人の平均的対応は公衆衛生学的には普通の人達が取れるベストの対応と思って良いと思います。

しかし、中には当然のように「特異点」と呼べる一群の人間達もおりまして、「私はしない」という人と「私は出来ない」という人達。今回はピーチ・エアで発生したようです。しかし今までも表立ったニュースにはなっていないでしょうけど、この手のイザコザは絶対に発生していたはず。今回は実際に飛行機自体が着陸したということでニュースになったんでしょう。内容はどんなもんだったかというと以下のごとし。

簡単に書けば、釧路発関空行きのピーチの機内で7日マスクの着用を拒否した男性客が客室乗務員を威圧するトラブルがあり、途中で新潟空港に臨時着陸して男性客を降ろしたというお話。釧路空港を離陸前、客室乗務員がマスクの着用をお願いするも、男性が拒否したということで周囲の乗客を別の座席に移動させ出発。男性はその後も要請を聞かず「非科学的だ」「要請するなら書面を出せ」などと言って乗務員を威嚇、大声をあげたた機長が降りるよう求め、男性が応じたというのですが・・・。関西空港には2時間以上遅れての到着。

そもそも、着用できないような心や体の疾患があるならそれを証明するような書類を携帯しておけば良いわけで、それをしないという状況ならそもそも客のあんたが悪いということでオシマイなんでしょうが、ソレはなし。しかも、非科学的だとか書面出せとか「どっちが非科学的やねん?」ちゅう話。飛行機に良質のフィルター着いとるのを知った上でも、更にお前の咳やくしゃみが前の人間にかからんとは限らんやろ?となります。

俺があかんな~と思うのは離陸前にマスク着用をしてない客をピーチが乗せてしまったこと。そこからがボタンの掛け違い。病院でも同じですけど「お客様は神様」じゃありません。マスク未着用途中降機乗客なんていうのがtiwtterでごちゃごちゃ中学生の言い訳みたいなことを書き並べてますけど、ピーチの搭乗口には以下の掲示ありです。(正確には未着用じゃなくて非着用だよね?)

なに権利の主張ばっかりして義務は果たさんねん?お前のようなやつはどこの病院でもブラックリストに載っとるよ?アメリカはお前みたいな科学の教養の欠片もない様な連中が一杯居ってウイルス振りまくせいで何時まで経っても年寄りが大量に死に続けとりますが。

今回の件、1:120で公共の便宜を考えたら、お前が何を叫ぼうと今回の経緯ではどこにも勝ち目はないわけで、さっさとtwitterのアカウント閉じて尻尾巻いて逃げとったほうが自分の精神衛生上も気が休まりますよ?w


2020年9月11日金曜日

生きる意味

実はこの病院に勤めだして既に同僚の先輩ドクターだけでも二人見送っています。

勿論、最後を看取ったという意味ですが、たったの六年で御高齢であった先輩医師を既に二人見送った事は私に「いつかは必ず来る」自分の最後というものを時々ふと考えさせてくれる機会を与えてくれることになりました。

生まれた者はいつかは死ぬ。生まれる前にお母さんのお腹の中でその生を終えてしまう子もいれば、生まれてすぐに亡くなってしまう子、旅立つ順番を守る不文律の約束を果たせずに不幸にも親より先に逝ってしまうことになった子もみてきました。また、平均寿命を大きく超えて100歳になってもピンピンしている人もいれば、60位でもう生物学的に本当にくたびれ果て老け込んでしまう人など人間の生は本当に様々です。

病院で日々入院している人々を診ていると、確かに何年も何年も療養病棟で寝たきりになっているお爺ちゃんお婆ちゃんも居るのですが、その人達の多くは脳血管障害や認知症などが元になってADL(日常生活動作)が低下した「果ての姿」として、ベッド上で中心静脈栄養や経鼻チューブ、胃婁設置などをされ挙げ句にピクリともせず寝たきりの生活をしている状態が多いのです。

最初に受け容れた医師の方針やリハビリの導入の違いなどで、こういった高齢者や脳血管障害の人達の「その後」と言うのは比較的大きく異なるのですが、既に何年も症状が固定された状態で別の病院やドクターから自分に引き継がれてもADLがほぼ寝たきりのみという状態ではリハも関節拘縮の改善と褥瘡の予防等くらいしか目標を設定することが出来ず、実際のところなかなか医師の心情としては厳しいものがあります。

医師によっては当然、その様な状況の患者さんの存在に怒りを募らせ、医師のフォーラムなどでそれに対して「やってられない」とか「こんな恐ろしい風景に絶望感を覚えた」とか云うような記述をされる方々が居られるのですが、実際のところ日本の高齢者医療の多くは在宅を含めそのような患者さんを診ることが普通です。

日本人の平均寿命のカウントの伸びは正直なところこういった「寝たきり」だけど手厚く看護されている高齢者の存在が延ばしているのも間違いない事実なのです。他の国で同じことをしたら高額医療費で家族の生活が吹き飛ぶ可能性がありますが、日本では国家の保護のもとなんとかかんとかやってこられているというのが正直なところでしょう。

では自分は同じ様に生きたいかと云うと、これは即座にNOで、やはり病気は持っていても可能な限り「ADLを維持した状態」で生きたいなと感じてしまうのです。実際、私の弟も生まれた時の低酸素状態による脳への障害が原因で既に公的施設にお世話になり始めて40年ほどになりますが、近い存在である弟も最近はものの飲み込みがやや悪くなり始めてきたということもあり、栄養の摂取法に関して経口以外の選択枝を考察しなければならない時間がやって来ると思われるのですが、兄としてはどう考えるべきか弟の親である両親と相談して決めるべき時が近々来ると覚悟しております。

言うは易し、行うは難しとはまさにこのことですが、命の大切さを毎日考える立場にあるからこそ考えられる結論というものもあるでしょう。

自分自身の最後は枯れるような感じが理想なんですが、人生なかなかそうはいきますまい。とはいえ、55年も健康に生きてこれたら後はオマケであって、時間の許す限り人に尽くす人生にすべき・・・くらいに考えるべきかとも思っています。


2020年9月10日木曜日

やっぱりワクチン完成までには時間がかかる

Oxford/AstraZenecaの期待の星が一旦治験お休みとなったようです。

アストラゼネカは私にとっては循環器や抗癌剤を比較的多く使うことの多い会社なのですが、世界的に連なる巨大製薬カンパニー連山の一つです。

今回の一旦中断はアメリカと英国二カ国で行われていた50000人を対象とした第3フェーズにおいて起きた横断性脊髄炎が原因だそうです。7月の治験の時には多発性硬化症であることが後に判明した1人の被治験者の発生で短期間の中止を経験しておりますが、この時にはワクチンには無関係と判明して治験継続となっています。

横断性脊髄炎の場合、神経繊維の鞘である構造物でして、繊維の周りにグルングルンと巻き付くように守って神経の信号の伝達に重要な役割を果たしている構造物です。とは言えこの一件も、果たしてこのワクチン投与がその原因となったのか否かというのは大変判定の難しい問題。何にしろ5万人での1人という数字ではそれが原因か否かということは断定には程遠い数字です。

結局のところ、治験中断と再開をゆっくり繰り返し、なにか起きる度にその症状が何に起因するのかしっかり見極めつつ、進めていくのがまっとうな治験ではないかと普通に思います。

実際のところ、個別の話にはなりますが、毎年使うインフルエンザワクチンでさえ過去に全粒子ワクチンという形式のものだった頃はもっといろいろの副作用があった筈ですし、刺入部位の発赤・腫脹からギランバレーなどの頻度は低いもののシリアスな副作用まで、今まで色々と報告されています。もちろん死亡に至るような極稀な反応も当然あって、残念ながら副作用ゼロというのは多分人類がワクチンというものを使う限り無くならないと思います。

結局の所、ワクチンの使用というのはベネフィット/リスクの比率が上がれば上がるほど、結局のところ「使ったほうが良い」と考える人々が使うものであることが解ります。これはまさに今普通に手に入るインフルエンザワクチンに関しても同じことですし、その他多くの乳幼児に使用されているワクチンもまさにそういう哲学のもとに使用されているわけです。

そう考えると、例え今回のワクチンも今後の追加治験、継続治験にて発生する可能性のある副作用の種類と頻度によっては普通に最終製品として出てくる可能性があるわけです。もちろん、使わないという選択肢も万人にある訳ですが。

そう考えると、以前から書いているように比較的という前置きのつく「安全」なワクチンでさえも、最終製品として第4フェーズにまで到達すると思われる製品が世に問われる状態になるにはとてもとても東京オリンピックにはなかなか間に合わないと考えるわけです。

そう考えると、ロシアの発表したワクチンとかまだまだとても恐ろしくて使えませぬ。あまりにも世界最初と言いたいが為の共産主義国家的拙速発表がミエミエで・・・。w


2020年9月9日水曜日

カモにされるXXな医者w

ある所にXXなお医者さんが居りました。

この人、医者の世界には良くある「不動産投資」にどっぷりハマっておりまして、非常に良い(インチキ・デベロッパーからみれば!)カモになっております。例えて言えば、カモがネギ背負って味噌とタレも一緒に背負っているような。w

医局の机の上にはいつもある地方に20件以上買い込んでいると言われる、所有する賃貸マンションの借り手との契約書が積んであるのですが、景気動向に左右されるこの世界の賃貸案件と申しますのは素人には通常「危なすぎて」とてもとても手の出せるような代物では御座いません。

しかし、このセンセイはデベロッパーの言いなりになっていろんなモノを買い込んでは僅かな賃貸収入をあてにした生活をして居られるのです。私自身は全くびっくりしないのですが、実際のところは「儲かる」等という事とは当然のようにほぼ全く縁がなくて、それどころか恐ろしいことに給料が病院から振り込まれると殆ど同時に「すーっ」と右から左に種々のお金がデベロッパー側から引き抜かれていって何時もかつかつレベルのお金しか残らないという話。

あまりにも金が無くなっていく上に何の旨味もないのに書類仕事なんかは増えて税務処理は大変。しかも、これからは時間が経つ度に定期的にいろいろな物件の大規模改修費用が発生するため更にお金が飛んでいくという、買う前から解っている「当然の」支出が次々に発生してきます。

最近は精神状態が不安定のようで、意味もなく苛立っていたりする事もしばしば。周りの人達が意味もわからずこのセンセイの情緒不安定の理由を推測しているようですが、知っている人は知っているのです・・・。

以前はあぶく銭で周りの人間を引き連れてキャバクラ通いなどをしていたらしいのですが、驕れる者久しからず・・・あぶく銭はやっぱりあぶく銭なのでした。投資の堅実な方法論や勉強を何もせず、インチキ・デベロッパーの口車に乗せられるXXなセンセイが全て悪いと言えば悪いのですが、その愚かさ加減に心のどこかで「哀れ」を感じる一片の憐憫の心もある私です。

情報弱者と言うか、お人好しと言うか、XXというか・・・。

唯一の救いは未婚の方ですので、迷惑被る奥様や子供さんも無しということで、自爆・自己破産すれば終わりというシナリオがあるのが未だ救いといえば救いです。


2020年9月8日火曜日

空気よりも軽いアル中の約束

今日はガックリきました。

実は先日の内科外来にやってきた精神科に以前入院していた50絡みの患者が居たのですが、その人の採血を行ってデータを採取したところ、肝機能や膵機能が相当悪化しておりました。いわゆる即入院というレベルの数値がずらりと並んでいたのですが、もともと私の患者さんじゃなかったんです。

しかし、今回偶々私の外来に来たことで過去からのデータを洗いざらい眺め直したところ、周期的に相当悪くなっており、判明しているだけでも今回の悪化は三度目の波。酒を飲んでは悪化し、入院して治療して数値が改善すればまた出ていって酒を浴びるという循環です。

今回の「たまたま」の外来でのスクリーニングで、その悪化の状況が再度判明したので「入院して治療すべきです。可能なら今日にでも。」と話をして、具体的にここ数ヶ月の肝機能等の数値の変遷を一つずつ説明して十二分に納得してもらい、最終的に「明日の1時」に入院という事が関係各位の調整で段取りがつきました。

ところが、翌日となる今日になって1時になっても2時になっても精神科外来に患者さんが現れたという報告が私に入ってきません。3時頃になってしびれを切らした連絡担当者が本人に電話を掛けたところ、一言”かる~く”「一週間自分で様子を見る」と宣ったそうです。orz

精神科病棟の師長さんは慣れたもんで「来んと思ってた。w」と平然としておりましたし、精神科のドクターは「ああ、普通です。アル中の言う事とか私信じてませんから。なんちゅうか、独特でしてね。ヤク中とは違う感じの嘘のつき方ななんですよ。」とサラリと言ってくれました。私としてはグヌヌヌという感じで待ちぼうけを喰らった小さな怒りを感じていたのですが、この手のことで一々腹を立てていたら身がもたないと逆に外来の師長さんに笑われました。

このオッサンにとっては私達との約束など羽毛よりも軽いもの。

皆の調整の努力など屁とも思っておりませんし、いよいよ肝硬変が非代償性になった頃きっと「なんとかしてくれんですか」等といって国民健康保険の医療費を使っての命乞いをしてくるのかと思うと、医師としては助けなければならないのですが、人としては「主治医になりたくないな」と言う自分の心の声が体の中で響き渡る気がする今日の私でした。


2020年9月7日月曜日

過保護な親と溺愛されて育ったひ弱な娘

もう時間が経ったから書いても誰のことだかはわからないと思うんですが・・・。

以前、と言っても数年前ですが、バイト先の外来で「ある症状」を訴える「名古屋のお嬢様学校」のお嬢さんが来院したことがありました。話を伺うと天気が崩れると頭が痛くなって学校へ行けなくなるというイベントが何度となく繰り返されており、お母さんも困り果てて病院に・・・という事でした。

よく問診をしていくと偏頭痛の訴えだったのですが、テストの前などにも特に酷くなるらしく、その女の子はあちこちの内科、特に神経内科と脳外科を中心にドクターショッピング状態を繰り返しており、その一つとして私の外来にたまたま白羽の矢が立ってしまった訳でした。

問診中に奇異に思ったのは、外来の診察室で私の目の前にいるその高校生の娘さんとお母さんの様子なんですね。質問をしていてもその質問に答えるのはお母さんばっかりで、娘さんは精々のところコクリと頷くかお母さんの方を向いて困った顔をするだけ。

「もういい年こいた高校生なんだから君が自分の口で答え給え!」と、我が娘なら絶対に言っている一言もそこは他人の家の娘さん。しかも私などでは窺い知ることもないし自分の子としても金額的に絶対に出すことも出来ないようなお嬢様学校の御令嬢。ネットで病院の悪口でも書かれたらバイトごときの私の所為で・・・等となりかねませんので、そこは我慢。w

雑草として育ち、肥料は犬の糞、水分は雨風くらいしか受けずにここまで生きてきた己のような田舎の野蛮人の発想で深窓の御令嬢を傷つけてはなりませぬ!ということで「お薬手帳を見させていただいて」今まで使ってきた他のドクターの処方を拝見させていただいたのですが確かに教科書的な処方が多々。先生方の発想が透けて見えました。

私の診断はたしかに偏頭痛あるのかもしれんけど、一番の根源的な問題はあなた方の親子関係、ひいては今までの御両親のお子様の育て方に問題がありませんでしたか?というものだったのですが、そんなこと言ったら付添のお母チャマが真っ赤な顔で絶叫して引っ掻いてくるかもしれませんので、そこは営業スマイルでう~んと唸って取り敢えずは「ある系統の薬」の中で一番効果のマイルドなものを処方しました。

この親御さん達、精神科はもちろん心療内科も一度も行っていないという事でしたが、そういうのは避けてるんですよね。知ってか知らずか。確定診断や除外診断で核心に近づかれるのは怖いんでしょうね。しかも精神科の通院歴を異常に嫌がる日本人多いので。

取り敢えず、「この母娘に幸アレと願って」診察室を退出いただいたのですが、あれから数年、エスカレーター式にお嬢様短大か近くの私大にでもいかれてるのかな、今頃。症状消えてると良いのですが・・・。

上流階級というのがこんな人の多い世界ならそんな世界は知らんで良いなと強く思った一件でした。まあ、発想が「育ちが貧乏で粗野な野蛮人」のものから一歩も出られないオジサンの戯言でした。


2020年9月6日日曜日

漢ガスリーの勝利に泣く

判官びいきとは言いたくないんです。しかし本当に泣きました。

夜のF1でピエール・ガスリーがトップでチェッカー・フラッグをうけた時、小さなスマホの中継画面を見ながら目からしょっぱい水が。


今まで本当にいろいろ頑張ってきてもなかなかオーナーの思っていたような結果が出ずに、あっと言う間にいわゆる格下チームであるイタリアベースのアルファ・タウリに抛り出された訳です。そこで雌伏の時間を経てこの一つ前のレースで力がある事をしっかり示して臨んだ今回のイタリアはモンツァでの試合。

今回から予選モード縛りの適応が始まり予選で使ったパワー・モードを実際にレース決勝でも使わせるというもの。例えパワーを絞り出して予選で速くとも、それを決勝で使い続けてエンジンをぶっ壊せば何の意味もないし、予選で絞りすぎてエンジンを労ってもそれで勝てなければ「壊れなかった」だけの弱いエンジンというだけのしょうもない結果しかついて来ないわけで、そのパワーの按分を含めた采配が大きく勝負に影響するであろう面白い試合になると思われていましたが、その通りになりました!

運と才能と努力とを全て引っさげてレースに臨む彼等はまさにこの1/1000秒の競争の世界の中で生き残ってきた極一部の選ばれし人達。例えF1で勝てない人間でさえ、普通のレース会場に来れば、普通の腕自慢程度では「全く」触れることさえ出来ぬ、視界の外にあっと言う間に消えていくほどの恐ろしい速度でサーキットを駆け抜けていくわけです。

才能はあってもなかなか勝てずに悶々としていたGasleyがそんななかでも腐らずに淡々と結果を積み重ね今日の結果を得たこと、そして昨年亡くなった盟友ユベールに今日の勝利を捧げた彼の男らしさに私の涙腺は緩みっぱなしでした。

頑張っても頑張っても容易に勝てないのがこういうトップのなかのトップの鍔迫り合いの世界。そこに「多くの物語」を抱えながら一閃の鋭い切込みで結果を残した闘士の勝利に涙を流さないなんて男じゃありません。

夜中でしたが、1人で画面を見て彼の勝利の雄叫びを聞いた時、思わず嗚咽してしまいました。やっぱりこりゃー判官贔屓なんですかね。w

しかし、更に良かったのは絶対王者ハミルトンの友情あふれるコメント。実は二人はCall of Dutyでチームを組む仲間らしいんですが、彼が正当に評価されていないことに言及した上で、彼の勝利を本当に心から喜んでくれていたのは友人であり、かつ絶対王者らしい素晴らしいコメントでしたね。

強い男は心に余裕があり知的で優しい。これからのハミルトンやガスリーに更に真っ直ぐ勝利の未知を進んで欲しいと願うのは当然ですよね。ところで今日のフェルスタッペン・・・エンジンがアカンかったみたいですが、次はどうやって立ち向かっていくのか、才能溢れるのは誰もが知っている事。必ず戻ってくるでしょうが、どういう戦略でやって来るのか、大変興味あるところです。


2020年9月5日土曜日

「バカだからわからない!」という開き直り

病院で一騒動ありました。

私としては「はー」という様なしょうもない1件なのですが、彼女達には大事件だったようです。何が起きたかと言うと事のあらましは単純でして、隣の精神科病棟からCOPD(慢性閉塞性肺疾患)という病気の終末期の患者さんが入院してきたのでした。ところが隣から移動してやってきたこの患者さん、熱とか無いんですがよく咳をする。乾性咳嗽と言って良くある症状の一つなんですが、看護師さんたちにはある理由でこの咳が気になっていたんですね。何時も以上に。orz

実はこの患者さんのいた病棟に居たお婆さん看護師が外のスナックに行って、そこのマスターがコロナ陽性だったとうことで調べたらお婆さんも陽性というオチ。ちょっと前このブログにも書いたお婆さんです。悪い人ではないのですがイワユル「アホな人」ですね。院長から厳しくリクエストされていたにもかかわらずそれを無視したわけですから、本来なら馘首のはずなんですが温情でレスキューされえいます。医療従事者という自覚はもちろんゼロ。

さて、そのお婆さん幸いにして一切病棟業務などにも関わること無く病院自体に来ることも無く病院からは隔離されていた上に、病棟の医療従事者全員に対してコロナ抗原の検査を行い取り敢えずは全員陰性となっていたんです。

ところが、業務が終了する段階になって夜勤明けの看護師さんが「あの咳はコロナ陽性の患者さんのものではないのか」「だとしたら私達は家に帰れないじゃないか!」と騒ぎ出したんですね。当直していたんで電話に出たんですが、即座に思ったのは「・・・」という事なんですが、敢えてここは書きません。w

この人達をちょっと哀れに思う気持ちも出てきたので、じゃあ抗原検査でもしましょうかということにしました。患者さんに検査のことを説明し、謝りながら検体採取。結果はもちろん陰性でした。結果を見せると何故かバツの悪そうな顔をしていました。別にこれが陰性でもコロナフリーというわけでもないわけですが・・・。

まさに科学とは対極にあるPhobiaそのものなのですが、こういう科学的リテラシーの無い人達も普通に医療従事者として病院で働いているわけで、コロナの検査に関する科学的スクリーニングの意味や原理を説明しても、高校でも物理や化学をとったことのない人なんて看護師さんの中にも実は普通に居て、正直なところ患者の感染の時期と経過や検査の原理と絡めて陰性や陽性、偽陽性や偽陰性等の理屈や確立を説明してもチンプンカンプンなんですね。

物事を本質的に理解するためには幾ら例え話で表面を滑るような説明をしたところであくまでその理解は上っ面。特にある一定レベル以上のことを理解するためには話の聞き手のほうも当然その理解ための勉強をしていて、かつ知的水準もある一定以上でなければ正直無理です。

物事を理解するために必死にその説明にどこまでも喰い付いてくる人も当然居ますが、それは一部。逆に一部の人は「私頭が悪いからわかんな~い」という人もおりますので面倒です。なるべく易しく解るように説明をしようというこちらの意図も善意も全無視ですから、この手のアレな人達には付ける薬はございません。

「学び」というのは学校を卒業してから始まるもの。小さい頃に「勉強」を押し付けられてなんとかここまで資格を取得してきた人達には学校を卒業したゆん感から始まる向上のための学習というものは全く理解できないんでしょうね。

ただ一つ思うのは、こういう人達に育てられた子供達はどういう大人になるんだろうという小さな疑問のみです。彼等の子供の人生に幸多からんことを。


2020年9月4日金曜日

次女の短期就職先

日本に一時帰国している次女が、アメリカに戻るまでの間の取り敢えずの職を得たようです。

一体何を?と思っていたら前回日本に戻ってきていた時に働いていた児童向けの英語での教育を行う施設に臨時雇いとして雇用されたようです。まあ、今の娘にはそういった仕事しかできないよな~という親としての感覚もあるのですが、ただのグウタラとして日々を過ごすよりかは良いかもと思います。

とは言え、このコロナ禍の特殊な時期ですから、普通の子供だとマスクを着けているようで着けない子供とか、鼻は完全に露出させて着用している子とかごく普通におりますので、そういった意味では少し感染リスクは高めになるでしょうし、子供達は先生相手に普通に抱っこして貰いたがったりしますからそういった点も問題でないとは言えません。

しかし、イタリアの論文だったかな?子供達は大人に比べてそのコロナウイルスの拡散係数が大人の1/6程度とか書いてありましたので、もしそれが日本ではやっているコロナでも同様の拡散係数を持っていると仮定すると大人相手の英語教室よりもリスクは下がるのかな?等と考えてみたり。

今の所は娘がその怠惰な日々をこれ以上延長しないことを自ら決定した事をもってマアよしとしたいところですが、果たしてこれから来年の1月まで働いた後、アメリカに再度戻って学校での授業がリモート以外の形式できちんと行われなければアートの学校なんて行く意味は全く無いと思うんですけど、そこは次女が考えることでしょうから私は口は出しません。

コロナの影響というのは本当に冗談よしてよと言うくらい世界中の教育の形態を変えてしまいました。特に大学や大学院でレベルでの高等教育機関においては深刻な状況で、「人と人」が物理的に出会わない環境下での教育が進行してしまっており、果たしてこれに毎年数万ドル払う価値があるのかというのはまことに以て大いなる疑問です。

今回はコロナでしたが、新興感染症というものは今後も手を変え品を変え出てくることは何度でもあるでしょう。そういう意味では高等教育機関、特に実技系の教育機関はこういう状況に二度、三度、陥った時にどういう授業を行うのかという点に関して、相当の工夫を凝らさないと、死滅を免れないのかもしれません。

取り敢えずは次女へは短期就職良かったね!と言いたいです。


2020年9月3日木曜日

仕事と机・暮らしの中の机

今度の仕事の変更に伴なって机を変えようと思っています。

小さい頃は当時流行り始めていた「学習机」というものを今はとうの昔に死んでしまった親父方の爺さんに買ってもらったのですが、実際に使い始めてみると、最初の2年間くらいはなんとなく充実感はあるものの、なんと言うか当時のいろんなも小さな飾りがついたスチール机というのは年齢が上がるにつれて極端に飽きてしまうのです。

これは女の子バージョンですが、こんな感じです。
医者になって大学院などで使い始めた机はこれまた何の変哲もない灰色のスチルール机。正直なんの愛着愛情も持ち得ないようなしょうもない机です。昭和の昔はこの灰色の事務机が日本中会社から病院、役所まで遍く置かれていました。
気分が滅入るようなデザインです。w
アメリカに移動してからはとにかく大きな机を求める日々。最初はベニヤ板で作った大きな机をセットアップしたのですが、やっぱり質感がどうしようもない状態で、暫くして買いましたがやはり大きい机。日本に戻ってきてもまずは大きな平机が全ての始まりとなります。
今日本に帰ってきて使っているのはIKEAの上の写真の机。幅100cm、長さ235cmで、まさに大は小を兼ねるそのものです。机がデカイと何冊も教科書やパソコンを机の上に拡げてもなんのその、余計なことを考えず作業にだけ集中できます。娘達も気に入っています。
というわけで、今後は仕事場でも病院に買ってもらって、これを使おうと思っています。

大きな部屋にこの机を一つどーんと置いてしっかり仕事。人が来ても椅子の数をさっと増やすだけで対応できますし何も考える必要なし。基本的に仕事はでっかい机でサクサクと終わらせるのが一番いいと何時も思っている私です。

子供も大人も大きな一つの机で一緒に勉強も仕事も食事もすれば(・∀・)イイ!!


2020年9月2日水曜日

長女の引っ越し

ちょっとびっくりしましたが、以前ちょろっと言っていた長女の考えいつの間にか実行されていたようです。

今日、アメリカのアメックス・カードの受取の件で長女にChatでメッセージを送ったところ、ブルックリンからすでに遠く離れて元々の家に近いバージニアのRichmondに戻ってきていました。驚いて住所を聞くと、むかし次女が通っていたGoverner's schoolのすぐ近くでした。

結局、卒業までNYUの大学院はずーっとリモートで授業をするということが確定しまった挙げ句、ナント!授業料を更に揚げてくるというトンデモ状態になってきたとのこと。大学は辞めないけれども、高い金を払ってNYの中に留まる必要は全く無いというpost-CORONA時代の新しい教育形態に一口乗っかったようです。

少し前にメッセンジャーで話したところ、人に会わないで受ける教育にこのままこんなお金を使い続けることにどれほどの意味があるのかという事にかなり強い疑問を抱いていたようですが、今後の展望を二人でシミュレートしていくことで、取り敢えずは卒業することで何を手に入れるのか、それによってどれほどの収入増になるのかを考えると、あと一年の努力は払った金額がその果実に見合うものとなるであることを十分容易に想像できるものであると考えられたため、続けて勉強することにしたようですが・・・。

少なくとも家賃に関してはNYよりか遥かに安くなるはずですし、リモートでの勉強もそのまま続けられるでしょうから特にNYに居た頃と全く同じ様に淡々と学習は進んでいくことでしょう。

しかし、しかしというヤツです。このコロナ禍というのは本当に日本人だけでなく、アメリカ人の多くの生活様式を変えてしまいました。感染なんか関係ないとばかりにマスク無しで積極的に外に出ていく阿呆や5Gとともにコロナが拡がるなんていう荒唐無稽なネットの噂を「心の底から」信じている阿呆共は別として、科学的リテラシーのある人間達は普通にマスクしてますし・・・。

取り敢えず、リッチモンドで安全に暮らして貰って今のままやっているjob huntingに精を出してもらいたいものです。卒業して自分で稼いで二本足で立って、人の役に立ってもらえれば親としては大満足です。

コロナが一旦収まるようなことがあれば、また娘達に会いにアメリカに行く日も来ることでしょう。


2020年9月1日火曜日

台風9号、10号は危ない台風かも

平成3年の台風17号だったと思うのですが、恐ろしい目に遭った記憶があります。

未だ医学部の学生だった頃ですが、当時住んでいたおんぼろビルの中で自然の力というものが人の命を容易に取るほどの力を見せた時は「ああ、人って自然の気まぐれで簡単に死ぬんだ」と思いました。

当時そのおんぼろアパートに住んでいた私は当時、刻々と接近してくる台風が「異様に強い」という情報だけ得ていました。それ以上の事は特に何も気にせず呑気に家で怠惰な日々を送っていたのですが、台風が近づくとともに物凄い風が窓の外の右から左へグオ~ッと風が吹き付けてビル全体がグイグイと揺れるのです。こんなおっきなビルが風で揺れるんか!という衝撃とともにその風の凄まじい破壊力でした。

みるみるうちに外のトタン屋根が揺れ始め、一気に吹き上げた風でベリッと捲れ上がるとその板は視界の遠くに消えていきました。一瞬でした。更に風が強くなっていくとともに薄く窓を開けて見ていた周りの家の瓦がこれまたゴジラ・シリーズの大怪獣ラドンがやってきたらきっとこうなる!と思うほどの勢いでこれまた一気に吹き飛んでいきました。屋根瓦の下のベニヤが瞬間的に剥き出しになるとともに庇自身が一瞬で無くなりました。

それから、台風の目が通過すると嘘のように風が止み、光が差し込んできてキラキラとそのあたりを照らしました。右から吹き付けてきた風で目の前の大小の木々が左側へ大きく傾(かし)いでいましたが、再び空が曇ってきて台風の目が我々のいた地点を通過すると共に今度は左から右へと風が吹きつけてきて、さっきは左へ傾いでいた木々が右へとグイグイ傾いていきました。最終的に大きな木の中には倒れ込んだものも有りました。

家から出た後はそれはそれは昨日までのアパート前とは思えないほどの惨状で、電柱から無数の電線が落ちてきて本当に剥き出しの裸電線もある状況で幸い通電はあまりしていないようで、火花を吹いたりしているものは有りませんでしたが、車は横転して転がっているし、そもそも瓦礫が多すぎて車が走れるような状況では有りませんでした。その時の台風の風速は秒速50m以上というもので確かエリアやビルの状況によっては60m程度の速度というもの。あの風速はまさにデタラメで、狂気・凶器そのものでしたね。

今回やって来る2つの台風9,10号のうち10号は最大風速70m!という話。もしそのままの勢力を保ちながらオヤジ達の住む九州に上陸したら?と思うと流石にちょっと心配です。

何時もはこの手のことに呑気な親父も、今回の10号の接近には警戒しているようで、いろいろなものを庭から片付けたりしたみたいです。さて、どうなるか・・・可能な限り勢いが削がれて接近し、無事通過してくれることを期待したいところです。

九州の皆さん、御用心を。