2020年9月28日月曜日

生きていれば良いことも一杯ある

オジサンですから古いところからネットを見てみたら私が顔と名前の一致するタレントさんで自死を選んだと言われる方々は以下のようになりました。

田宮二郎、沖雅也、沖田浩之、桂枝雀、伊良部秀輝、伊丹十三、可愛かずみ、ポール牧、古尾谷雅人、藤圭子、岡田有希子、三浦春馬、そして今回の竹内結子さん。

少なくとも皆一度は一世を風靡した方ばかりで、亡くなる直前までその人気は絶大なまま自死を選んだ方々も数多く居られます。うつ病、双極性障害、事業による借金、人気の凋落からのうつ病、産後うつ、理由不明のものまで入れると本当に死の理由は多彩です。

病院でも病気の先行きを儚んで自死を選ばれる方も時々居られて、私が大学生の頃にもある病気を苦にされて病院の屋上から飛び降りをされた方が居られましたし、研修医だった頃に国立の病院の屋上から飛び降り自殺をされた方も居りました。日本に帰ってきてからも、実は私の勤める病院で高齢の女性が飛び降り自殺をされたことが有りましたが、それは自分の御主人が犯罪を犯して逮捕され、塀の中に落ちたことを苦にしての衝動的自死でした。

私の場合はストレスが自分にかかってくると作業のレベルを落とすという方法で完璧ではないけれど何とかやりくりというようにして「逃げ」を打つことにしています。完璧主義とは程遠い人間ではあってもストレスは当然仕事の絶対量が多いためどうしても波のようにかかってきます。それでも最終的には必ず「白旗を揚げる準備」を怠らないようにして自分を追い込まないようにしています。

というのも、それは経験から得たもので、以前研修医になったばかりの頃、本当に24時間ずっと当時のICU(今はERという方が聞こえが良いか?)の中で仕事をするような生活をしていたことがありました。ある日、今の嫁さんになる人に電話をした時に声が大きくならないことに気づきました。意識をして体から声を出そうとしても、平坦で小さな声しか出なくなったのでした。それに引き続いて産まれて初めて帯状疱疹が右の季肋部に出現したのです。自己診断は過剰なストレスによる免疫力低下というものでした。

もしかしたらあのまま頑張り続けていたら本格的なうつ病になっていたのかもしれませんが、それは誰にもわかりません。まあ、若かったので、今考えるととんでもない馬力で仕事をやっていたという時期でしたが、その時己が明確に理解したのは「人にはそれ以上頑張れない一線」というものがあるということでした。

ガソリンタンクが空になると車は動かないし、ぶん回しすぎたエンジンも冷却が追いつかなくなると焼き付いてしまいまいます。その事があって以来、自分でこれ以上やると「辛いだろうな~」という予測がつく時にはゲームをしたり、ドカーンと寝たり、子供達と遊んだりしてテキトーに生活をしてストレスを自分の周りから遠ざけるようにするようになりました。

私の場合、死ねない理由も実にいろいろ有るわけですが、そもそもの生きる大前提は「生きていればこそ」という一言です。大人になって知った飲み物や食べ物のなかでもまだ食べていない沢山の美味いものの存在や行っていないところ、体験していないこと、知ることによって増える知の充実感など、考えれば考えるほどまだまだ生きて体験したいことばかりです。

辛くなったら逃げる、逃げて逃げて逃げまくる。そして機会があればその辛さを誰かに話をするというのは大事な人生の一手だと思います。頑張らなくても良い事はいくらでも世の中にいっぱいあります。他人がなんと言おうが知ったことか!で良いんではないでしょうか?

早死にしなくても、いつかみんな「必ず」死にますし。


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