2020年9月16日水曜日

BLMとは生存権をかけた闘争そのもの

Black Lives Matterに関しては以前と違いSNSやビデオの力がその戦い方を変えている気がします。

局地的にデモが発生したところでそれが「報道されなければ何もなかったことになる」時代はとっくに過ぎ去り、ローカルニュースとして誰の目にも止まらずに消え去る、もしくは今までであればニュースにさえならなかったであろう画像がその日のうちに世界の裏側まで爆発的に拡散される時代。

隠されていた影の存在は今の時代表に出て剥き出しの事実を音と映像で伝えます。悲しいこと嬉しいこと、感動的なこと、悲惨なこと・・・十年前でもやはりそういう世界は有りましたが、伝える側の手段が圧倒的に「皆の手」に拡散されています。誰もがビデオ機能のついた高画質のスマホを手に持ちチャンスさえあれば世界を驚かす一本の映像を配信する可能性のあるビデオ・カメラマンに成り得る時代。

言った言わないの水掛け論の時代は遥か彼方に去って、目の前で記録されたものが事実として提示される時代。それをどう解釈するかが今度は新たな戦いの場になっているようですが、こちらの方は相も変わらずの低レベルで、見たくないものは見たくない人達がお互いに事実を見ずに自分の信じることのみを言い合うばかり。

己が黒人としてアメリカに生まれるというのがどういう意味を持つのかというのはアメリカで暮らして、横にいる黒人たちへの「歴史に根付いた制度的差別」がこの近代国家において如何に極普通に行われていたのかを普通に感じることが出来ました。

アメリカの中で「黒人」というものがステレオタイプな型に嵌められ、その型の中に嵌められた自分を演じる黒人もいれば、そんなものをガン無視して能力のまま羽ばたく黒人も当然居ますが、その先に待っているのは制度的差別と偏見。

もし自分が車を運転していたらそれだけで警察に停められて、黒人だからという理由で講義も一切認められずに殴られたり打たれたりとかが日常とか言う世界が未だに地域的にあるなんて言う世界で日常生活を送れますか?

肌が黒いと言うだけで、最初から仕事の上で差別を受ける世界とかに住みたいですか?お為ごかしのような人種的マイノリティの救済制度で茶を濁されること何十年。ベトナムでも白人よりも本国の本来の人種構成比率の何倍も多く死に、21世紀ののアメリカでも、奴隷として無理やり祖国から連れ去られ、途中で捨てられたり殺されたりされた挙げ句、値付けされ、犯され、捨てられ、また売られ、奴隷として生まれたときから白人に仕えるように仕込まれた人々が受け続ける差別。

なおみちゃんが全米オープンで名前のついたマスクを7枚変えて優勝まで勝ちきったことに誰か文句を言えるでしょうか?絶対王者ハミルトンが黒いTシャツに黒人を殺した警官共を逮捕しろと書かれたものを表に着ていったことに誰か文句を言えるでしょうか?

インチキファッション業界の雄、ルイビトンやグッチなどの嘘くさいBLM賛同メッセージなどに騙されること無く強く排除していく姿勢から始めれば、日本でも日常とBLMをつなげていくことが出来ます。

今の生活を生きる中で、黒人であるからと言うだけの理由で怯えることなど一切ないような時代を黒人が他の人種と同じ様に生きれるようにするのは21世紀が20世紀と違う時代となったことを次の時代に伝える大切な作業だと思います。

日本人はその生活の中で黒人と交わることがそもそも殆どないと思いますが、私のアメリカ生活では全くの日常でした。例え犯罪者であろうと、そいつが黒人だからと言う理由だけで罪が重くなるようなことがあってはならない。平等というのは今まで歴史的には血を流して得るものという悲しい歴史の繰り返しでしたが、少なくとも我々日本人は教育と知性の力でそういった事を土台から排除していく努力をすべきだと思います。

娘の友だちである黒人の青年と夜に二人でサシで飲んでいる時に黒人として生きることの本音を何度も聞く機会がありましたが、何時もは見せない顔を見せて、何時もはしない話したときのことは決して忘れません。

あってはならないものはあってはならないのです。


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