当直で悲しいことがありました。
以前私が診させてもらっていてその後別のドクターに担当が移動した障害のある「ある患者さん」が自分の当直中にお亡くなりになりました。ある部位に腫瘍があって、その腫瘍の存在のために次第に食事が摂れなくなり、やがて排痰能の低下によると思われる誤嚥性肺炎とその腫瘍の浸潤による呼吸中枢への影響のため、静かに明け方亡くなられました。
私より元年齢は下で、お父様も毎日のように来院されていた方でした。本当に親としてはこれ以上の愛を子供に示す方法は無いというレベルの愛情の示し方を身を以て見せてくださる辞儀正しい素晴らしい方でした。
息子さんが他院から転入院されて約三ヶ月、前院でも頻回に誤嚥性肺炎と尿路感染症を繰り返して居られましたが、当院に来てからは幸いにして担当させていただいている間はほぼ熱発されることも無く安定した容態でした。
しかし、腫瘍の部位的に何時でも突然の呼吸停止は有りうるという事を説明していたのですが、その「起きてほしくないこと」が己の当直の時に起きてしまいました。
お父様に電話をし、患者さんの二人の御兄様とともに御来院いただいて種々の話をさせていただいたのですが、私自身にもあまり状況の変わらぬ弟がいることを以前より御存知のお父様は逆に噛んで含めるように種々の話をしてくださり、私を励ましてくださるような状況で、その悟られたような言葉に、はからずも医師である私の方の目頭が熱くなってしまったのでした。
障害がある人が周囲に居ない人にはなかなか理解していただけないのかもしれませんが、一人では人並みの状態で日常生活を送れない家族を持つからこそ持てる人としての優しさや思いやりというものをこのお父さんから染み込むように感じたのでした。
「役に立たないものは世の中から消す」という確固たる信念を持って相模原の障碍者施設で大量殺人を働いた植松のような輩には決して、たとえ死刑判決が出ても理解できない「障害・ハンデがあるからこそ素晴らしい」世界というものが確かにここにはあるということを改めて自分の中で確かめました。
本当は通常は無いことですが、今後も可能であればお付き合いを頂きたいと思った御家族でした。
私は「効率」が世の中のすべての選択基準になった時に、きっとこの世にナチズムが再び花を咲かす日が来ると思っています。
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