2020年2月7日金曜日

組織・グループの長になるのは楽じゃない

多くの人は通常、年齢の上昇とともに大小様々な部門のちょっとしたXX長になったり、大きな組織のXX長というものになっていくことが平均的かと思われます。

特に戦後の日本はあまり能力の上下に関係なくポストが「ある程度は年齢に応じて配られた」のが比較的典型的な例だったと思います。人口が増えていく人口ボーナスの時期はこれでも良かったかもしれませんが、そうでない今の人口オーナスの時代においてはそういった事が普通ではなくなってきました。

一時期アメリカ式の業績相互評価とか流行らせてポコポコ降格とかやってた企業もありましたが、それが上手く言ったっていう話はあんまり聞きませんが、どうなってるんでしょうか。そもそも、他人をフェアに評価するなんて言うシステム自体に慣れていない国民を全く教育的段階を経ずにそういうシステムに投げ込んで、こんな感じが相互評価システムですから~なんていう短時間教育を行っただけで、まともに運用できるはずもありませんわね。

アメリカ式の年令に関係なくテストと面接を経てごく短期間の経験を繰り返しながら急速にプロモーションを繰り返すアメリカのような国でも、やっぱり若手が上司となって年配の部下をコントロールするのは基本的にはやっかみの対象になります。プロモーションから取り残されていく当初は同僚だった人間なんかも当然のごとく多くの場合はそういった感情を抱くのは当然で、いろいろと言われるようです。

長女もDCで二年の間に二回のプロモーションをして給与とポジションが上がる度に元同僚から最初はオメデトウと言われながらも、実際にはやっかみの言葉が影に日向に入ってくるということを経験したそうですが、長女はこの点比較的ドライで「自分も挑戦すればいいじゃん?」との一言。

まあ、それはそうなんですが・・・。

翻って私。自分も医師として組織の中でX部長、X長などという形で組織の中で逃げられない仕事と職責を充てられていくと「勘弁してくれ」と言いたくなるようなしょうもない仕事を割り当てられたり、全く自分自身には見に覚えの無いインシデントの責任者として責任をとっていかなければならならなかったり。

無論、院長などの全ての責任の終着点として一気に全ての責任を追うまでのことはありませんが、それでも人の配置換えや様々な訳のわからない不満の捌け口として悪者にならざるを得ないことが多くなります。

決して八方から「いい人」と言われるような事はない訳で、そんなことは最初から期待するほうが間違いですし、有ってはいけないと思っています。
嫌われることを恐れていては「組織」全体としてはかなり誤った判断を選ぶことがあり得ます。個人的に親しいから、中がいいからと言った理由でその人を何らかの責任者にすること無く、あくまでも能力と可能性にかけて適正配置をしていかなければならない訳で、これで全方位から好かれる訳がありません。

ときには「泣いて馬謖を斬る」事も当然あるわけです。

組織は患者さん達と共に職員とその家族の生活の基本となるもの。決して衰退させ潰すような方向にはもっていけないのが「非公立」機関の宿命なのでした。正直、疲れますが。


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