2019年9月19日木曜日

そこまでして生きたくない

ある病棟に行って強く思いました。「そこまでして生きたくないな、俺は・・・」と。

とは言え、私が見たその光景は日本中の多くの療養系統の病棟で行われている”治療”です。高カロリー輸液を行い水分量と栄養価を計算しながら意識があろうとなかろうと年単位で生きながらえさせることが出来る方法です。

もともと外科的処置の延長として術後の処置として優れた手法なのですが、脳血管障害や加齢その他の理由で摂食が出来なくなった患者さんが回復するのを待つ良い手段です。
しかし、当然のようにこの方法を高齢者に使えば、食べられなくなってもかなり長く何事もなく生きていけます。

しかし、問題はその患者さんの状態。
多くの場合、意識のない高齢者の患者さんが多いことです。全く意識がないまま年単位でアルブミンのレベルと蛋白のレベルが低下していき、筋肉が削げていきながら褥瘡を作ったりしていくもやはり苦しみながら長生き”させられる”システム。

そんな高齢者達がズラリと並んだ部屋の中に自分が用があって入ると、あたかも水耕栽培の工場に入ってきた感覚。誰ひとりピクリとも動かない部屋の中で時間だけが流れていきます。

その部屋の中で、流涎の激しい意識の無い患者さん、痰が絡んでゼコゼコいっている痩せさらばえ高熱を出している患者さんを見ていると、本当に言葉を失ってっしまいます。しかも、その患者さん達の半分近くはどこにも家族が居なかったりする身寄り無しの人々。

その時フッと思ったのでした。「俺は嫌だ」と。

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