2019年6月24日月曜日

宮迫終了

雨上がり決死隊の宮迫が窮地に立ったとかなんとか・・・。

私にはどうでも良いことの一つではあるのですが、横で嫁さんがみているテレビのニュースからは振り込め詐欺のグループのような極めつけの反社会勢力の一つの忘年会のような会合で熱唱した挙げ句、その首謀者の嫁かなんかに自分の番組に呼ばせてもらいますとか何とか言ったとか言わんかったとか。

なんか五年前のビデオが今頃になってリークされてるのもイマイチ「?」ていう感じもするんですが、そこには何かタイミング的に誰かの意図があるんでしょうかね。私的には気にもなりませんが。

どなたかにお呼ばれしてカラオケを歌った事自体は、芸人ですから基本的に呼ばれて金を払うという行為が成立するのであればまさに芸人としての仕事をしたわけで誰に責められることもないんでしょうし、吉本が闇営業を厳しく監視して己の利益を掠め取る行為を厳しく取り締まろうという”お題目”は、表の社会向けには理解できることですけど、実際は所詮芸人。

神代の昔から芸人の地位というのはテレビや雑誌が何と持ち上げようが日向で行われる日陰者の仕事。所詮そんなものだというのは、興行師の世界の人々なら誰もが自覚していたことは、そこら辺の本を読めば何処にでも書いてある認識でした。

実際の芸人の世界というのは裏の社会との繋がりは当然のようにあって、その興行権がヤクザとその周辺の人間との切った張ったの利権の枠組みの中にあったというのも事実。

「人気」という実力を図る唯一の物差しを頼りにするしか無いとなると、そこら辺の勉強ができるだけの人間にはとても目指せない別の意味のエリート集団なんでしょうが、昭和の終わりから平成を通じて芸人が自分のことをアーティストとか呼び出した頃から何だか一部で変な勘違いが起きてきたような気がします。

実際のところ芸人は自分の喋りであれ歌であれ容姿であれ、本当に限られた人間にしか表現できない賞味期限付き(それが数年か数十年かは別として)の芸を多くの人に夢として与える仕事だと私は思ってます。しかし、そこから先を踏み違えてしまうと、昭和と違う今の時代はあっという間にネットに殺されてジ・エンド。

発端からして、暴力団やその他の反社会勢力のシノギのための資金源となっている振り込め詐欺の集団から実際は金を貰っていたという今回の件。ただでさえ被害者達の憎悪の的になっているこいつらの為に芸を披露して、ヨイショをした挙げ句金まで貰ったとなると、島田紳助の二の舞ですかね。

元を辿っていくと、そもそも宮迫が貰ったその金は全国の(そしてその多くは老人達の)被害者の金ですよね?と言うことになります。大体芸人が芸を披露して金を貰ってないわけがない。貰ってなければ芸人じゃないわけですから!苦しい言い訳というより、己の存在を否定するような愚かな作り話であることは中学生でも判ること。

謹慎で済むようなものではなく「終わった」と思うのは多くの関係者の偽らざる気持ちではないでしょうか。わざわざそんな色のついてしまった犯罪関与者を番組に使うリスクを取るスポンサーは居ないでしょうから。
宮迫、司会者としてはそれなりの人物だとは思うけど、正直、あの程度の人なら次はいくらでもnext batter's circleに並んでますわな。

あっ!いっそYoutuberになるというのも有りなのかな?コメント欄は大荒れでしょうが。w

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