2019年6月4日火曜日

能力と人徳への報酬

以前、ネットで誰かの文章で人徳にはポジションを、能力には報酬を・・・みたいな文章を読んだことがあったよな〜と思っていたら、すぐに見つかりました。

それはオリジナルの読んだ場所では中あったのですが、ここにオリジナルのソースは何処だったかまでわかるように詳述されておりました。それによると西郷南洲翁遺訓集にその記述があり、更にそれを遡ると中国の古典である尚書にそのオリジンを求めることが出来るようで「徳の高いものには官位を上げ、功績の多いものには褒賞を厚くする」というのがその要点のようです。

この話、きっとビジネスパーソンの間では常識レベルの話なのでしょうが私にとっては初めて読んで内容をみたとき、まさに「我が意を得たり」と言うようなコンテンツだと感じた記憶があります。

やはり、病院という”人と人との関係性や対人関係構築能力”を特別に大切にするように作られた組織の中では個人プレーでどんなに功績があっても、人徳無き人には全体を率いるような高いポジションを与えては不味いシーンが多すぎると最近の種々のイベントをみていて感じることが多くありました。

正直言って看護師さん達の中でも上にはおべんちゃらを言ったり、講習会で立派なことを言っていても、人の見ていないところでは患者さんに対してまともな対話一つ出来ないような人間も稀ならず居るのです。

例えばそんな人間の実態を知らずに上の”ゴマをすられた側の人間”がそういう事を見抜けない愚か者であれば、そういった人間を上の職位に据えることもあり得る訳で。ところが周囲の人間の多くはその人が”現場では使えない”ということを知っていますから、人身は離れていくわけで、上に立った側に更に”自分の能力に関する勘違い”というバイアスがかかると「私はこんなにスマートなのに、なぜ皆私の言うことを聞かない?」と怒りをたぎらせる人もいる訳です。

私は常々自分に対して厳しいことを言ってくる人をこそ是々非々で相手にしようと思っていますので、おべんちゃら光線を放ってくるような人間が近づいてきたら逆にその人からは心理的にも物理的にもなるべく遠ざかるようにしています。
通常、その手の人はそれを感じ取ることにも長けていますので、自然と近寄らなくなります。w

人としての魅力に対して多くの人が従いていくような看護師さん達の組織では、やはりそこそこの能力と強い人間的魅力を持った人にナース達を率いてほしいなと考えるのが私の持論です。ただし、その人物は恣意的に自分の好む相手だけを身の周りに置くような愚か者であってはなりません・・・。

私的には仲がいい人間をこそ適切な距離と礼節を持ってある程度話すことが出来る、所謂「身内贔屓」を固く自らに禁ずるような人物であれば、尚の事その組織は長持ちすると強く思います。

まあ、そのような人物がどれだけ居るか、果たして・・・というのはまさに組織にとっての大きな疑問ではあるのですが、そういった人物をナースの若い頃からジッと育てていくことは上に立つものの次世代育成の大切な任務であると考えるのでした。それは実のところ上級ナースのみならず、現場で人の仕事を観察することの多い病棟のドクターの仕事でもあると思うんですけどね。

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