2018年12月31日月曜日

こんな時にiPhoneが死んでしまうとは・・・

大晦日になりました。

2018年の年末はいつもと違い平成という元号で迎える最期の年末です。

少なくとも日本が発端となるような戦争を経験すること無く、残りの5ヶ月を迎えることができるのではないかという期待を持っています。今上天皇ももうすぐ平成天皇と呼ばれてしまう御立場になるのだと思うと、平成になった日の30年前のあの日の事が昨日のように思える私自身も30年分も歳をとったのだということで、感慨深いです。

さて、病院であれこれ仕事をしていたところ、四時過ぎになって自分のiPhone8の画面が固まってしまいました・・・。最近良く起こる事なのでいつものグリッチかよ〜と思いながら再起動をかけたのですが、長押しでも画面は全く変わらず、電源を切ることさえ出来ません。

???いつもと勝手が違うぞと思いつつ、それを繰り返すのですがやはり駄目。そこで左音量ボタンから上ボタン>下ボタン>右上のボタンという正式に推薦されている方法を試してもやはりうんともすんとも言いません。

おやおやおやおや、これは本格的に不味いぞ!という感じ。というのも、院内は院内携帯電話で済むものの、外に一歩出た時に看護師さん達からの連絡に出られないとなると指示も出せないし、エマージェンシーに応対できません。

しかもなんとなくiPhoneの裏側が熱い・・・。ああ、これは暴走してるなと思って電源を抜き差ししてみるとやはり画面だけは見えます。しかし30分ほどの時間で、先ほどまであった100%の電源表示が20%まで激減。orz

あいや〜!という感じでアップルサポートへ電話をしていろいろと丁寧な指示の下、全ての処置を施したのですが全く反応せず。
お姉さんによるとハードウェアに問題がありそうだという事で修理に出しても多分最大で二週間ほど時間がかかり、代替機の貸し出しをしないといけないかと思われますとの事で、不味いことに。

ところが、奇跡的に以前使わないまま机の引き出しに放り込んでおいたiPhone6sを引っぱり出して充電し、SIMを入れ替えてとりあえずは電話だけは生き返りました。
その後もいろいろとデータを引き継いだりごちゃごちゃとやっているうちに普通に使えるよいうにはなったのですが、一時間ほどの格闘ですっかり疲れました。

ところが、ところが。「もしや」と思って触ってみたもともと死んでしまったiPhone8が案の定、完全に電源が切れていたため、ケーブルを繋いでみたところ操作を受け付ける状態に戻っておりました。orz

もう一度データをもとに振り戻して(icloudを使わない人なので、いろいろ不便。w)事なきを得ましたが、最近iPhone8がフリーズすること多すぎ。
前はこんな事全く無かったのにな・・・。最近のアップルのソフトのクオリティ、何だか落ちてきてないか?まあ、とりあえず使えるようにはなりましたがおんなじ症状また出たら嫌だな。

何だかその後はダラダラとSasukeを眺めてそのまま新年を迎えてしまいました。
娘達はとりあえずカウントダウンだけして再びしばらくしたら寝てしまったそうです。

さようなら平成

2018年12月30日日曜日

久しぶりに長女と再会

久しぶりと言っても夏に会ったのですが、やっぱり実の娘との再会は良いものです!

当直が終わって家に帰り長女が寝ているという部屋へ入っていくと読書中でした。ヨッ!というと「おかえりなさーい」との一言。お互い笑顔です。すぐに娘も部屋から出てきて皆でニコニコです。

今回は彼氏が一緒に来日しておりませんので、純粋に身内だけの正月を迎えるという状況。まさに5年ぶりの状況。日本においてはほぼ20年ぶりの家族揃っての正月再現です。思えば遠くへ来たもんだ状態ですな〜。
気づけば子供達も上の二人はもう20過ぎ。親としての我々も当然のように歳を取るわけです。

今日は大須へと家族ででかけてお買い物。久しぶりに日本に帰ってきておりますのでここは一つサービスということで、娘達が右の店に入れば右へ、左の店に入れば左へと金魚のフンのように付いては私が支払い役として仕事させていただきました。w

ビックリしたのは彼女達のUSED好き!
今どきの若い人達っていうのはUSEDがむしろ新品よりも好きなの?というくらい店の中は若い人達で溢れかえってました。

大須の和食店で昼食を食べた後はすぐに家に戻ってしばらく休憩した後、夜6時に予約してあるシーフードの店に向かいました。
藤が丘では年末のこの時間に行ってみると全ての席が予約だけで埋まっているという状況。ちょっと驚きましたがこんなもんなんでしょうか。

我々が一番始めでしたが、すぐに後ろの大きなテーブルも女子大生風の一群の女性達によってoccupyされました。残りの一つも中年の女性二人がやって来て店の中は満杯。
次々と出てくるシーフードに舌鼓を打ちながら大満足の年末家族外食ということで今年の家族会を締めくくることが出来ました。

寒空の中をすぐ近くにある家まで家族みんなで歩いて帰りましたが、胃袋と心の中はホッカホカでした。

来年も我が家にとって良い一年になりますようにと一人祈るように考えるお父さんでした。

2018年12月29日土曜日

長女日本へ一時帰国

今日の夜、長女が帰ってきました。

ボルチモアから極寒のミネアポリス、そして羽田へと到着。最終的に名古屋まで飛んできました。到着したのは八時半ごろ。朝のうちは名古屋にもはじめての雪が降り、飛行機の到着や帰りのバス路面の凍結も含めたコンディションが心配だったのですが、昼過ぎには綺麗サッパリその方面の心配はなくなっていました。

本当はセントレア空港まで迎えに行ってあげたかったのですが、親父は生憎の当直で娘を迎えに行ってやることも出来ず申し訳ない次第。orz

羽田に四時過ぎに到着した時点で嫁さんにLINEが入ったらしく、元気な姿を自撮りしてイメージを送ってきたようです。刻々と近づいているのですがやはり日本に無事入国したということが判ると安心感がいや増します。

最終的に直通バスに乗って到着した時点で嫁さんが再び長女の写真を撮影して無事到着を知らせてくれたのですが、その後、家まで帰った後は疲れ切ってシャワーを浴びてすぐに爆睡したとの知らせがありました。まあ、そんなもんでしょう。
日本に寒い時期に帰ってきたのは初めてだからビックリしたと言っていたとの事。

明日家に戻って長女といろいろな話をするのが愉しみです。

2018年12月28日金曜日

看護師さんの募集

今年一年を振り返ってみて、ますますハッキリと理解できたことがありました。

それは実にシンプルな事実でして、病院のこれからは人集めが出来なくなったところから潰れるか縮小せざるを得ないということです。
何を今更と思われるかもしれませんが、本当にこの一点を持って死命を制する重要なポイント。

その為には「雇用の条件」を良くしていくしかありません。
結局のところ、その条件とは給与と待遇。給与のほうは勿論他のところより少しでも良い額を出さなければなりません。これに絡んでくるのは福利厚生と勤務の業態なんでしょうが、この点は実際のところ給与でかなりのところカバーできると思っています。

結局の所、たくさん出してもらえば少しくらいの福利厚生の差は帳消しにできるかと。無論、この点は平均的であればの話。要するに福利厚生は当然のように平均は維持できていて、そこから先が病院間の競争になるわけです。

私が最初に思っていた週休二日が実現したのはまず当然として、待機児童を受容できる施設を持つこと、九時五時で可能な限り仕事が締められること、オーバーした時間に対する十分ではなく十二分の弾みをつけた支払いを出すことなど、経営者側にとってはきついばかりの条件が満たされなければならないということでしょうか。

他の病院の理事長等の話を聞いていても、人集めには地獄の苦労をされているみたいです。私は経営者ではないのでそういった実務上の苦労を味わっているわけではないんですけど、病棟の状況を良くする肝の一つ、かつ最大のものは人材の質と量の改良と感じる日々ですので、近隣の看護師さん達が皆、今後我々の病院が提示する条件に魅力を感じてくれるような状況に持っていかなければならないと思っています。

アイディアは更に幾つかあるので、今後再び理事長先生とお話をしていこうかなと考えています。病院の改善というのは、結局は看護師さん達自身と患者さんのためになりますからね。

2018年12月27日木曜日

FBにここ数年何も書き込んでない

トランプを産み出すのに大きくその役目を果たしたといわれるFaceBook。

有る事無い事ぶち込んで異なるグループ間の対立を煽り、あのインチキ不動産屋を事もあろうに世界でも最もその質を問われる国家の元首にまで持ち上げてしまいました。
しかもそのサイトの向こう側にはCambridge Analyticaを始めとする各種の怪しいサイトに顧客たるFB利用者の種々のデモグラフを始めとする各種の個人データを金と引き換えにガンガン売り渡していることが判明。

もともとザッカーバーグは以前「私を信頼してFBに個人情報を託すような輩は大馬鹿者」というような発言を残している様な人間ですから、彼にとっての利用者というのは基本的にモノ。単なる金銭情報のネタであって、いつも公聴会で偉そうに言っている発言や書き込んである規約などというものは一切尊重に値しないものなのです。

ですから、今後もデータの流出は続くし、飼い込めば書き込むほどその人の個人情報は間違いなく「誰か」の手でファイリングされあなた自身のプロファイルが蓄積されていく訳ですね。頼みもしないのに、自分の履歴書が作られ大勢の機関によって秘密のうちに分類整理されていくという一昔前のSFの世界が完全に目の前に現実にあるわけです。

以前であれば、思想や犯罪情報などを含めて公的機関が必死に集め続けてファイリングされていた情報がこういったサイトも含めてありとあらゆる方法で寄せ集められあなた自身が何をしてきたかをデジタルデータにして残してくれるという今の世界。

何を注文したかでどんな生活をしているのかというような原始的なものだけでなく、税金の支払い情報、交通違反の切符の切られ方、監視カメラの通過地点でわかる毎日の移動ルート。クレジットカードの利用歴の詳細に伴う位置情報や行動、かけた電話のヒストリーと通話内容、健康に関する病院でのデジタルデータの盗み出し等ほぼ全て完全に丸裸です。ウェブのブラウジング・ヒストリーも丸わかり。チャットの内容も全て筒抜けです。無論、この糞ブログも政府機関は当然のように抜き取ってファイリングしているはずで、私のような世の中に何の影響力もない人のデータも日々せっせと蓄積されているわけです。

ビッグブラザーは何でもあり。

その個人情報収集、特に思想面と人的交流の相関図収集の巨大な片棒を担いでいるのがFBというプライバシーゼロの会社だと知っていればそこに言葉を書き込むという行為の恐ろしさに、まともな思考力のある人ならば誰もが気づくのではないでしょうか。

というわけで、ここ数年はFBに何も書き込んでいません。ただの旧友発見器として使えればどれほど素晴らしいか。しかし、そんなものはそもそも無かったわけです。

私にとって、未だその代替システムが見つからないのは誠に残念です。

2018年12月26日水曜日

ミカンの美味しい季節

いろいろな方から様々な種類の柑橘類(主にミカン)を頂く季節になりました。

今年はとりあえず三種類なのですが、見かけと中身は全く違うな〜っていうのを感じています。
上の写真の一番右側が静岡のミカンである病院の看護師さんが下さった実家から送られてきたというミカン。私が以前訪問診療の帰りに運転手さんと看護師さんに立ち寄ったメロンパンの専門店でメロンパンをごっそりお家の子供さん達へのお土産用にと買ったときのお礼ということで、わざわざ手提げ袋一杯くれました。

真ん中のものは、ある患者さんの奥様が診療の帰り道に他の高級なお菓子と混ぜて一箱ドカンと下さったものです。生産地は御当地愛知産です。少し凸凹していて、ミカンの粒と皮の間に空気が有ります。

一番左は熊本の田浦というところの甘夏ですね。これは剥いて食べてもよいのですが、基本的にはヘタの着いている側をかっぱの頭の皿をなで切るようにスカッと切って全体を八等分するという感じで食べるようにsuggestされています。

さて、味はと言うと左から、かなり甘いー薄甘ーメチャ甘という感じの順でして、夫々に甘みの感触が違っているのですが、夫々に美味い!
子供が喜びそうなのは一番右でしょうか。でも、ずっと食べ続けるなら真ん中。一番左は毎朝食卓に並んでます。

子供の頃は手が真っ黄色になるまでミカンを食べ続けていた私ですが、大人になってもミカン好きは全く変わりませんね。柑皮症というβカロチンの過剰摂取状況だと思うんですけど、まあ、この程度を過剰摂取しようとなんの問題も無いので今も気にせず食べてます。w

2018年12月25日火曜日

時計の針は押し戻せない

最近は本当に普通に90歳台の爺ちゃん婆ちゃんを診療することが多くなりました。

70歳位?とカルテ記載の誕生日を疑ってしまうほどに驚くほど元気な婆ちゃんや、口も体も達者で実際のところなんで入院検査を家族が希望されてるのかこちらのほうが戸惑うほど元気な方々もおられます。

実際のところ見かけというのは大変大切で、“若々しい”というのは間違いなく体の若さを間接的ではなく「直接的に」表現しているものだと強く感じています。

ところが、どんなに若く見えても一旦肺炎などを起こしてしまうと・・・ある一定以上の年齢というのは残酷なほど獰猛にその本人に牙を剥いて来るのです。特に感覚的には実年齢が85歳位からでしょうか?何か起きた後の回復力が劇的に違ってくる感じを持っています。私自身がデータをもっていないので、明確な科学的な根拠はないんですが、元気に見える人でもこの辺りの歳で免疫力がガクンと落ちてくるんじゃないかなと。

やはり、同じ疾患に対して同様の治療を施しても60台前後の年齢の人々とは“戻る力”が全く違います。細心の注意を払っていてもどうしても戻ってくれない超高齢者の方々が居るのは日常の間違いない事実。
時計の針は押し戻せない、という言葉は残念ですが我々日常臨床に携わる医師たちの眼の前に常に厳然と横たわる現実です。

今年一年の臨床の日々でお見送りさせて頂いた印象に残る高齢者の方々の顔をひとりひとり思い出しながらこうしてブログを書く平成最期の年の瀬となりました。

2018年12月24日月曜日

チビ達呼んでクリスマス・パーティー

昨年に引き続きチビ助達を我が家に呼んでのクリスマス・パーティーとなりました。

最初は近所の”銀のさら”で頼んだお寿司やフライド・チキン、ローストビーフ入りサラダ、ボイルドエッグの飾り付けプレートに入った料理、更に手製の本場ベトナム料理として揚げ春巻きやエビのクリームシチュー煮等が卓上に並びました。飲み物は子供達に合わせたスパークリングワインやシャンメリー、オレンジジュース等々。

味わいつつゆっくりと食べながらも、子供達はなんとなく落ち着きません。もちろん彼らのお目当てはクリスマスプレゼント。w

もとよりこのパーティーは小学1年生の男の子と小学四年生の女の子を喜ばせるのが目的です。男の子には先日名古屋に遊びに来た親父が前もって買ってくれていた二種類のベイ・ブレード。女の子にはサンタに頼んでいたという、外で遊ぶためのバスケットボールとクラブ用のバスケットシューズ。

まだ一年生の男の子はサンタの存在を信じていますが、お姉ちゃんの方は去年のうちに友達からサンタの存在は両親やジジババだということを知らされてしまっています。というわけでまだまだ隠さないといけない真実を背中に隠しつつ一人ひとりにプレゼントを勿体つけて幾つか渡していきました。

大喜びしている二人を見ているとやっぱり良かったな〜と皆で想いながら最期にケーキをカットして配りました。しかし、ここでもケーキの上に載っている砂糖菓子の飾りや人形を誰が食べるかでミニ・ファイト。子供らしくて良い感じでした。

彼らと一緒にクリスマスを静かに過ごせるようになる夜は何時になるのでしょうか。いつかはわかりませんが、いつかは来るはず。それはそれで楽しみな日の到来のような気がします。

2018年12月23日日曜日

85歳陛下・御誕生日の御言葉の重み

本日、平成という元号として最期の天皇陛下の御誕生日の会見がありました。
多くの方々が既にネットやテレビのニュースなどで御覧になったかと思いますが、下にその全文を貼り付けておきたいと思います。
御自身の誕生日の会見であるというのに、やはり最初は国民への労いの言葉、特に被災された方々への心から寄り添うお言葉から始まりました。
昭和34年の伊勢湾台風への昭和天皇名代としての御訪問から始まる被災地慰労の旅と国民自身の努力に対する陛下の想いを淡々と、しかし心を込めて述べられました。

象徴天皇として務めを果たされてきた日々を回顧し、直接の戦争を経験せずに過ごすことの出来た平成の時代に感謝しつつも、若い人々へ平和のバトンを渡し続けることにも言及され、更には冷戦後にも期待したような平和の時代が到来しなかったことに無念の想いを述べられました。

その後は、再び日本を襲った平成の災害のことに言及されると共に、精神身体に障害のある方々への想い、海外へ出ていった日本人同胞、そしてそこからやって来た移民の子孫たち、更に今後やってくる海外の多くの人々への期待も述べられました。

最期に60年にわたって陛下に寄り添われ、苦難をともにされてきた皇后陛下に感謝のお言葉を述べられた後、「天皇としての旅を終えようとしている今・・・」と、陛下らしからぬ感情の吐露とも思えるシーンでは居住まいを正して聞いている自分自身の目頭も熱くなって仕方がありませんでした。

日本の苦悩を一身に背負ってくださったその御姿に、改めて「陛下、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。」という言葉しか出てきません。

平成が後数ヶ月で終わろうとする今、本当にこの御方が我々日本国の象徴でよかったと心の底から八百万の神々に感謝するわたくしです。

2018年12月22日土曜日

年賀状・仕上げ大詰め

アメリカにいる時はクリスマスカードになっていた年末のご挨拶。

日本に帰ってきてからは、一人で居た三年半の間は数人の先生方や友人に数枚出す程度。病院の方はドクター同士はお互いに年賀を出すことを差し控えるという状態にしておりましたので、数はもともと少ない上に知り合いの多くはLINEやEメールで挨拶をして終わり。しかし、年配の先生方にはやはり帰国後は直筆手紙を出しておりました。

嫁さんが帰国してからは悪筆の私に代わって宛名書きをしてもらい、残りの空白は私が埋めるというちょっとだけ私が文言を書くという形式を採っております。それでも50枚を超えることはないという状態です。学生時代や研修医時代に至っては

一枚一枚、昨年送られてきた年賀状をめくって見ていると、その方の人となり、動きや声まで思い出されます。やっぱり、デジタルとは違うな〜というのが正直な感想。しかも、手書きの書状でも味のある文章を書く人は沢山います。私は最低の悪筆で自分の書字自体を読みたくないレベル。

こんなことだから学生時代からノートをとらないという癖がついてしまって、大事なことをすっかりすっ飛ばすわ、あの時言ってたあの一言の詳細は何だっけ?なんて言うことが頻繁に起こるわけです。
おまけに、字のきれいな人を見ると、毎回毎回「ああ、俺もこんなに字がきれいだったらもっと勉強してたろうな〜」などという脳内言い訳をしてしまうのですが。ダメ人間です。w

さて、私の筆記におけるダメさ加減はさておいて・・・。
今年も残りあと僅か、ダイニング・テーブルで嫁さんと向かい合ってシコシコと年賀状の仕上げを行っております。

2018年12月21日金曜日

韓国とは関わるなってこと

五年前にも中国という独裁者の率いる共産主義国家の海軍からレーダー照射を受け大問題となりました。これをするということは次に何時でもミサイルを発射出来るという段階に来たということなんですけど?

基本的に現代中国は田舎者の成金集団ですし、国際法などという高級な文言は理解できない夜郎自大共ですから、もともとこちらもそ野蛮人相手に対応するから宜しいとして、これだけ日本におんぶに抱っこでやって来ている自称半万年の歴史を持つお隣の方々が自衛隊の哨戒機に向けてレーダー照射してくれたのは解せません。

照射行為は国連憲章上は武力による威嚇ですから、正当な事由として反撃の準備としてのロックオンを返しても良い筈ですが?キチガイをいちいち相手していては体が幾つあっても足りませんので、我々は反応しないという大人の対応を採ったことで赦してやるということを「今後も」しないといけないんでしょうか?

同盟国でないことは今回の件で再確認されたわけですけど、この国の人達はどっちを向いて生活しているのでしょう。w

飼い犬に手を噛まれるという言葉がありますが、普通の犬は通常、飼い主に対して恩義を感じますからね。恩義を感じない犬は躾に失敗しているわけで、餌はやらない、相手にしない。万一噛んでくるような素振りを見せたらしっかり体が覚えるまで打擲してあげることも教育上必要かもしれませんね。

経済的な破滅をもたらすのがもっとも効果的かな?今後やってくる二回目のIMF管理では、一回目の韓国の懇願に反応して砂をかけられた時のような失敗は日本も行わず、確実に一切無視ってことでヨロシク。

2018年12月20日木曜日

My Hair Lady

今日は「そろそろ髪切り行ったら〜?」との嫁さんの御宣託を受けて床屋に行ってまいりました。

最近、オシャレなヘアカットの店の横を通る度に「お父さんもオシャレなところで切ってみれば?」とか言ってくるし、「最近は男の人も当たり前のように美容室行くよ〜!」等と言ってきますが、九州生まれの男おいどん、死んでも美容室など行けません。

何でかって言うと、極めて昭和の小学生的な理由でして、男の子は黒いランドセル、女の子は赤いランドセル的な理由。まあ、全く理屈にはなっておりませんが、男性が美容室というのは私にとって男が女性のトイレに行くような感じと言ったら解って頂ける方には解って頂けるのかと・・・。

なんと言っても費用対効果が低すぎます。w
イケメンならいざ知らず、
50超えたオッサンで後頭頂部が薄毛気味の男性がおっしゃれ〜な美容室で、そもそも何と言ってどう注文すればよいのか・・・。

シュミレーション
(カッコ内は心の声)
店員「今日はどうされます?」(うわ~、変なの来たよ〜!プププっ)
俺「えーと、短く」(あ〜、やっぱ来なけりゃよかったよ、おい!)
店員「どんな感じのショートでしょうか」(わかっとらんな。まあ、出川風で良いか?)
俺「全体的に短く」(煮るなり焼くなり好きにしろ。orz)
会話終了。

嫁さんは「恥ずかしかったら私の行ってる美容室に一緒に行ってやろうか?」等と言いますが、沽券に関わるような屈辱は浴びたくありません。(# ゚Д゚)

という訳で、今日も1800円の床屋に行ってサッパリスッキリしてまいりました!

2018年12月19日水曜日

南青山には一等国民の皆様が住んでいらっしゃるようです。w

児童相談所に反対する南青山の住民の皆様の区主催の説明会での“お下品な”主張は朝から聞いていて気持ちの良いものではありませんでしたな〜。

青山の未来を考える会」とかいう不動産屋のGREEN SEEDとかいうのがこの事務所の本部らしいのですが、ここが何故かいろいろ後ろで動き回っているのが突撃インタビューでは出てきてるんですよね。

上にある青山の未来を考える会といういかにも胡散臭いネーミングセンスゼロの後付け感満載の会のホームページの主張を見ると、計画性の無さ、税金の無駄使い等というのを主軸に据えて反対を唱導しているんですが実はこの未来を考える会を設置している事務所が以前には「青山の街を守る会」という事務所も設置されていて、この会は以前の記録では、児相の設置が「街の魅力が半減」だの「街が分断される」だの「夢がなくなる」等と言う理由を書き込んでいるんだそうです。
まあ、何というかこれら全員が不動産屋の仕込んだサクラであることを切に祈るばかりです。じゃなかったら、南青山が余りにもブランド(そもそもそんなもんあるんか?というのも大切な質問でしょうが)の毀損が酷くて。これじゃあ、南青山にはこの手の発言をする連中がうじゃうじゃいると思われて、「お前、あの南青山か!」とか言われるほどのブランド爆下げではないのかい?w

よしんば南青山でこのような事を主張される皆様が全員チンピラや不動産屋の仕込んだサクラだと最大限に理解してあげましょう。しかし、ここに限らず以前にも芦屋や他の高級住民の皆さまが棲む街でいろいろな公共施設や保育園などが建設反対・開設反対の酷い目に遭っています。

ゴミ処理場や火葬場を建てるのならまだ説明会は要るでしょうが(それらさえも実生活には必要なものなんですけどね!)、そもそもこの児相建設は法的には説明会すら要らんのでは?

なんだか、小金のあるジジイやババア共がキャンキャン吠えて己の醜く狭い狭い了見を世間に晒している醜い図柄が今の日本の少なくとも一部のエゴイスト達の姿なのかと思うと、日本の未来はますます暗いな〜と思うんですが、そう思う俺は少数派なんでしょうか。

今日当直室でテレビを見ていたら街角アンケートで80:20で賛成派が大多数と出ており「やっぱりそうだわな」と改めて安心いたしました。(^o^)

2018年12月18日火曜日

今年から一段と変わる?医者と製薬会社の間の慣習

皆さんはMR(Medical Representatives)という言葉多分ご存じないと思います。

MRというのは、製薬企業の営業部門から病院へやってきて、自社の医療用医薬品およびその関連情報を医療関係者達に提供する人達のことです。また反対に、使用された医薬品の有効性情報や安全性情報を医療の現場から収集して企業に戻し、集められた情報を正しい形で医療関係者にフィードバックすることが仕事です。

まあ,一言で言うと実質的には製薬会社の営業マンですけどね。この人達大昔から病院の周りをウロウロしておりまして、勿論私が研修医をしていたころも病院の医局の中にズカズカと入り込んできてはボールペンを配ったり、カレンダーを配ったり、薬のパンフレットを置いていったり、それはそれは色んなものをアド関連商品としておいていったものです。

基本的には研修医にとっては必要な学術論文のコピーをとってきて持ってきてくれるサービスをしてくれるということでネットのない時代には論文の仕上げなどで重宝していたものですが。

しかし、多くの場合、欲しくもないのに一生分のボールペンを配るようなお仕事が多かったですね。wしかも、時々勉強会と称しては医者を集めて寿司屋や料理屋でお勉強会。ときには医局でスライドを出した後、そのまま弁当を配ってお疲れ様でした。というようなことも極頻繁に行われていました。しかもバブル真っ最中の頃は私達下々の研修医などが預かり知らぬレベルの接待が行われていたという伝説をいろいろと聞いたものです。

しかし、先ずはバブルが弾けて一発目の絞りが入り次に利益相反という名の絞りが更に入ってかなりMRなどという職種の人達とは疎遠になっていくのですが、この間に私は米国に渡っておりましたので詳しい経緯は全く存じ上げません。

しかし、日本に帰ってきて理解したのはそんな時代の話はとっくに過去のものとなっていたということ。
私が帰国しても、実際に企業主催の勉強会にタクシーチケットというものがまだ少し出てきていましたが、それも次第に絞られてきています。また以前ではあり得なかったことですが、最近では企業主催の勉強会で出てくる弁当も千円ほどのキャッシュを出して購入して「自費で出席」という形になってきました。

ただし、この手の勉強会、流石に製薬会社の主催とあって当然のようにその会社の製品が使われた例などを症例に出されたり・・・と言ったことは行われてます。
この手の会合に主催者として”よく”出てくる有名な教授なんかが居るんですが、その人なんかは影では給料より講演会からのキックバックのほうが多いなんて話もまことしやかに伝わってきます。

とりあえず、最近の傾向としては、まともにやろうとしている製薬会社は移動の運賃も出さない、弁当も有るか無いかは選択肢に入っているという状況になってきてます。

更に小さなことですが、我々としては実に興味深いのは今まで捨てるほど配られていたカレンダーやボールペンも少なくとも医者に直に渡すような事はかなり絞られるという状況になるとの前情報が製薬会社のMRから詫びのように入ってきてるとのことです。w

癒着の減少ということなんでしょうが、宜しいんじゃないでしょうか?以前からMR嫌いの医局はそもそもMRの出入り自体が禁止でしたので・・・。それが普通になって来たという事なんでしょう。

まあ、そもそもMRさんの行うレクチャー聞いてても明らかな間違いや隠されている裏話が多かったし、信じてませんでしたから居ても居なくても必要なものは追試情報から検証できる時代ですしね。時代はすっかり変わりました。MRさん達が生きていくのには辛い時代が来たという事なんでしょうね。

2018年12月17日月曜日

専守防衛とか絵空事

「いずも」の実質的な空母化の話、納得しました。

そもそもが造っている時点でヘリ空母という言い訳のもとで作っていましたが、見ているこっちは「いやいやこのサイズと構造だったら当然の如くそのまんまF35B用の離発着ベースでしょ?」という感じ。そもそも、野党の皆さんは作らせた時点で負け。w

これで、ギチギチにF35Bをパッドに詰め込んで尖閣の周りを周遊していただきましょう!
(だからといって国防の質的な向上という観点ではどれだけ役に立つのかは残念ながら甚だ疑問ですが。)

そもそも専守防衛という言葉自体が自衛隊をきちんと運用させるための錦の御旗であって、今後もそれは変わらないでしょう。ところが実際の紛争・戦争では専守というのは圧倒的な力の差があるときにのみこちら側が取れる幾つかの選択肢の一つであって、それでも攻撃を先にされるという事自体は戦闘における勝利の達成のためには大変リスキーなものだと思います。

おまけに、こういった場合の専守防衛では、攻撃の相手がはっきりした時点で限定的であろうと即時反撃が出来ないように法律で縛られている日本では全く話にならないくらいボコボコにやられる可能性のほうが圧倒的でしょう。

良くwebsiteで自衛隊の能力の高さを自画自賛する動画なんかが上がってますけど、幾ら質が高くても、その攻撃者の数で負けた上に法律に縛られないワイルドでナチュラルな攻撃を仕掛けられたらどんな軍隊でもまず勝てんでしょう。

やられた後に緊急招集がかけられてやられた様子を検討しながら反撃を議論しているうちに我が"自衛"隊は消えてしまっているのではないでしょうか。

戦争は愚か者の選択ですが、家に鍵をかけないのは隣人達が善人であるときのみ。そもそもが夜郎自大の専制国家群が軒を連ねるお隣の大陸の脇で何を寝ぼけたことを言っているのかと、野党の皆さんには言いたいのです。

まあ、与党の言う事なら何でも反対が党の方針でしょうから無理でしょうが。

2018年12月16日日曜日

両親田舎に帰る

多分・・・ですが、平成では最期の両親の名古屋訪問が終わりました。

次に来る時は新元号になっているんではないかな?とは言え、平生の最期は4月30日とのことですので、実際には名古屋城が壊される前にもう一回来るかも?(ウェブサイトの情報によると来年の5月7日から名古屋城の天守閣にはもう登れなくなるそうなので、実際の調査、破壊、再建の実務自体はその後くらいからなのでしょうね。)

今回の実家の両親来訪では私自身は野暮用が多すぎてまともに両親の相手をしてあげることも出来ませんでしたが、母親の最大の目的である孫二人(あと一人はまだアメリカから一時帰国しておりませんが)と会うという目的は達成しましたし、迎える嫁さん達は毎日のように両親とそこかしこに出かけては美味しい食べ物ものに舌鼓を打ち、(爺さん銀行の金で!
)ショッピングを楽しんでいたようですので、まあ、何とか私以外は双方にwinwinだったのかなと思っております。w

何だか80歳になった両親ともにお互い仲良くなりすぎて、一体全体お互いが若かった頃のあのギスギスした毎日のようにやっていた酷い喧嘩は一体何だったんだろうと、その当時を知る私は時間というものの偉大さをただただ噛みしめるのです。

最期に両親を飛行場に見送りに行くためには車に乗り切れませんでしたので、私は息子と両親を乗せてセントレアへ、嫁さんと次女は空港行きのバスに少し前に乗ってセントレアで落ち合いましたが、そこでも親父が母ちゃんの手をしっかり握りしめているのを見せつけられ息子としてはちょっとジーンと来てしまいました。
こうなってくると、幸せに残りの人生を二人で生きて欲しいなと考えざるを得ません。
まだ足腰のしっかりしているうちに、また名古屋へ来ていただきましょうかね。春くらい?

2018年12月15日土曜日

最近真剣に考えていること

それは次の車をどうするか、次の車がどうなるかということです。

車を買って二年ちょっと経ちましてモデルチェンジも行われ、その新型が日本に正式に入ってきました。しかも、その会社の車は日本カーオブザイヤーを取ったということで、会社の皆様におかれましてはご同慶の至りではあるのでしょうが、ちょいと待てと言う感じ。

選択枝として前回は影も形もなかった電気モーターを積んだ車がターゲット・スコープの中にリアルに入ってくる時代になったと感じるようになってきたのです。
日産のノートはちょっとまだ航続距離的には物足りないし、テスラだったらかっこいいのはモデルSでしょうが、品質問題のみならずマダマダ値段も手を出すには高すぎ。
ジャガーもi-Paceというのを出してきたらしいのですが、なんてったってジャガーだからなー。高いだろうし技術的な面でイマイチ信用できなさそう。特にエレキとなると・・・。

メルセデスも2020年まではものを実用化できなさそうですし、トヨタやホンダはハイブリッドにまだまだ忙しい上にEVはEVで全く表に出てこないし、どうなってるんでしょう。
無論、トヨタのことですからそっちの方も抜かりなくやっていることは確実なんでしょうが、折角の力持ちなのにその力をあっちこっちに分散させているような気がしないでもありません。

メルセデスのEQCとかいうのは、面構えが何時も以上に下品でいかにもメルセデスらしいから絶対買わない、というか買えない。このダサさに1000万とか有り得ないです。w
私が悩んでいるのは次にアウディが出してくるのがわかっているe-tronか?ただし、これもやっぱり値段次第ですよね。推測では補助金付きでアメリカでは$67,300だとか。とはいえ未だとても大衆車の範疇には入ってくれない感じ。実質航続距離300キロ前後の車に800万弱を出すのはちょっと俺的には未だ無いですね。

ボルボがディーゼル+EVというのを出してきたら面白いと思うんですが、ボルボはまだまだエレキは弱そうだし、実際の所、デザインで圧倒的評価を得ているにもかかわらず、アメリカではConsumer Reportで29社中最低の29位という惨憺たる評価を取った原因がworkしないセンター・コンソール。そう言う意味でもボルボの新型を「今」購入するのは冒険し過ぎということで・・・。

結局、電気自動車はターゲットには入ってきていても、オリンピック前には未だ実際にお金を使う段階には無さそうです。
航続距離が正味で500km(カタログ650キロ位?)値段も500くらいまで熟れてきたら、長く乗れるという言い訳を付けて買えるかもしれません。

でもその頃には今度はride shareが日本でも普通になってきてたりして・・・。技術の端境期に生きると悩みごとも多いですね。

2018年12月14日金曜日

チビ助大号泣

今日は私の主責任病棟の忘年会でした。

酒を飲まずに行き帰りするということで自分で運転して行ったのですが、余裕を持って出たはずなのに、週末の渋滞に巻き込まれ着いたのは五分すぎ。一番ダメなのは俺でした。

平謝りで幹事に謝り、皆さんにペコペコしてスタート。食事もお酒も大分進んだところでまずはビンゴゲームが始まりました。予算に足が出るくらい幹事さんが気張って買い込んだため、大量のプレゼントが私の背中に置いてありましたので、みんな気合十分で始まったのですが・・・。

次々にビンゴが出ていって私はなんと最後の三人に!そこで最後の三人はジャンケンで最後の3つの品を選ぶことになりました。ところが一回目の三人ジャンケンで私がいきなり他の二人に負けてビリ決定。去年の一位ゲットのツケが回ってきたかのような見事なドンケツでした。 で、お尻の人となった私の商品は何だったかというとキッチン用のスポンジ6つとタッパーウェア2つ。まあ、末等の商品といえばこんなもんが手頃でしょう等と勝手に一人で納得してしまいました。

さて、この後は例年私の手出しで行っているビザのギフト・カードの1・2・3等のジャンケン大会です。まずは三等、そして二等、最期に一等というふうに私一人と残り全員がジャンケンをしていくのですが、これが今年は大波乱のもとになってしまうとは・・・。

最初に三等をゲットした人は以降のゲームに参加できず、二等も同様に最期の一等のゲームには参加できずとなっていたのですが、最期の一等を決めるジャンケンで最後に残ったヘルパーのおばあちゃんと五歳の男の子でジャンケンをした時にお婆ちゃんが勝ってしまったのです。 

まあ、予想通り子供は大泣き。そのお母さんは困ってしまって宥めていたのですが、酔っ払っていたこのお婆ちゃん、止せばいいのに大声で「やった〜、勝った!うれし~」と何度も勝利宣言。火に油を注ぐ結果に。
それまで皆大もあり上がりだったのに、その後はみんな何となくシラーとした雰囲気に。 

空気よんで子供に勝ちをわたして上げなさい・・・と心の中で思ったのですが、酔っているこのお婆ちゃんの耳には届かず。おまけに、耳が遠いので地声がでかく子供にもガンガン響く声で勝ちを喜んでいる様子が伝わります。あーあってな感じの幕切れでした。orz 

ところが翌日、この後一人で二次会に行ったらしいお婆ちゃん顔面一面にガーゼを貼り付けて病院に登場。なんと、滑って顔面強打したのだそうです。

眼などを打たず何よりでしたが、子供の泣き声をサンタさんが聞いていたのでしょうかね?

2018年12月13日木曜日

病棟の忘年会・2回目

今日は二回目の病棟主催の忘年会。

本日は内科のある病棟の忘年会でした。
内科を支える医療関係者の人数は、看護師さんやヘルパーさん、社会科の人間、リハビリ、レントゲンの人間等まで入れるとドーンと大所帯になります。(勿論、医師もですが。)

病棟責任者である副院長から話が始まって、師長さんのお話、そして他の医師による乾杯と続いて皆さんお話が盛り上がっていきます。まさしく老若男女の群れですので話す内容は多種多彩。普段は看護服などでしか見ない女性陣の皆様がきれいに着飾って出てこられておりました。こういう機会にはその女性各々の服の嗜好というのが垣間見えて興味深いですね。

今回はビンゴ・ゲームでドカンと盛り上がり、1位から末等まで皆に均等に商品が行き渡りました。特等は何だかわけのわからないレベルの大きなマッサージ機。その後は季節に合わせた暖房器具などが上のランクに並んでいたようです。
私はと言いますと・・・最初は勢いよくビンゴ用紙の穴が空き続けたのですが、途中でピタリと止まりました。私の人生そのもの・・・。

で、私には結局何が当たったかと言うと、リステリンと口臭予防歯磨き粉。orz
まあ、私のように医師が一等賞などをゲットしようもなら怨嗟の声が上がってくるのは120%確実ですので、当たらなくて幸いでした。(実際、去年は私がこの病棟で行われたビンゴの一等賞を取ってしまったせいで、師長さんから一年間にわたって時を選んでは冗談半分にあれこれ言われ続けましたので。)

途中でかなり酔ってしまって病棟に勤める他の男性に好きですと告白する若い女の子が出現し、一部の人間は固まっておりましたね。

お酒が入ると人はいろいろと本性が出るもんですね。嗚呼、脱抑制。w

2018年12月12日水曜日

コメント有難うございます〜!

ここ数日、なんというか面白いコメントを数名の方々から頂いているのですが、チョイ問題あり。w

というのは私自身は読んでいて大変おもしろいコメント群なのですが、ちょっと危ない情報が入っておりまして、直接ここには載せられないのです。申し訳ございません。
私結構ヘタレでございまして、そのコメント群を載せると私の方に遠方より災厄が近づくかもしれませんので。

コメント下さった方々以外は「こいつ何いってんだ?」と思われるかもしれませんが、私の方で本日そのコメントにあった内容に関して知り合いの警察関係者の方に伺ったところ「その通りです。w」との返答を頂きましたので、逆に「載せなくてよかった〜。ホッ。」ということと相成りました。

誠に申し訳ないのですが、面白いコメントはありがたい、しかし載せられないこともある!ということをどうぞどうぞご理解頂きたい。本当に申し訳ありません。

mOm

2018年12月11日火曜日

平成最後の両親来名

多分?平成最後となる両親の名古屋遊び。

年末、ちょっと名古屋に遊びに来てもらおうと思って二月ほど前に打診したところ二つ返事でOKとなりましたので、急いでANA便のチケットを取って今日に備えておりました。

私自身は当直明けからそのまま仕事となっていましたし、予定入院の患者一名と臨時入院の患者さんが一名おりましたので、私自身で両親を迎えに行ってあげることが出来ませんでした。そこで、息子を仕事に送り出した後の嫁さんにそのまま藤が丘駅からバスに乗ってもらって、両親をセントレアまで迎えに行ってもらいました。

という訳で私自身は仕事が終わって家に戻ってみると両親が家にいるという状況。体は疲れていたのですが、そのまま両親を連れて外でなにか手軽に食べようということになりました。

結局超お手軽に腹を満たせる近所のラーメン屋に行くこととなりましたが、先ずはそこから80の両親が我々に飯を奢ってくれることに!本来は私の側から当然のように出すべきなのですが、ここは両親にガーンと元気よく親らしく振る舞っていただく道筋を選んでいただくことに。

明日以降も私自身はなんのかんの言って仕事沢山なだけでなく、今回の両親の名古屋滞在期間中は自分の責任病棟の忘年会その他でほとんど構ってやることが出来ない状態。嫁さんのたてるスケジュールに沿って彼ら自身でいろいろと動いてもらうしかないのです。私当たり前のように彼女にあたまが上がりません。

ラーメン屋の帰りは氷雨がそぼ降る状態でしたが、車内で母ちゃんが一言「XX、私も人生あと十年になったわ〜」とか言ってきました。あと十年はまず普通に生きるようです。w
相変わらずわがまま放題の母ちゃんに、文句を言いつつも付かず離れず献身的に尽くす親父を見てると、若い頃のあのメチャクチャな夫婦喧嘩は一体何だったんだろうと遠くを見つめたくなるのは私だけなのでした。

少し脚が痛そうで歩き難さが増えた感じの母親ですが、ここまで来たら二人共元気で長生きしてもらいたいものです。

2018年12月10日月曜日

なんちゅうファイター!w

ふるさと納税の今年分、ついに決定いたしました。

去年のふるさと納税の納税先を決めたのは12/30でした。
要するに何にしようかと迷いつつも、ただただ“じーーっ”と何を選ぼうか迷い続ける日々。最終的には買うものをコンピューターと決めてあれやこれやと悩み続けた数時間でしたが、結局昨年の今頃の時点で最高のグラボを積み込んだマシンをゲットすることにしました。

さて、今年はということでこれまたじーっと眺める日々。さとふるから送られてくるメールを見たり、昨年人気だった地方自治体はどこだったのか調べてみたり・・・。
しかし、結局のところ去年も考え反省したようには行かず、米や肉や果物などを定期的に送ってもらうような返礼品を選ぶこともせず、当初の目論見は予想通り?外れてしまいました。

しかも、総務省に居た野ブタとかいうスキャンダル女王の発した鶴の一声にビビったほぼ全ての地方自治体は、その返礼品の実額を三割以下に落とすという通達に唯々諾々と従いました。まあ、これで地方自治とか言うんですから自治というのは王による監視下の自治ですわな。w

しかし、そのグループに入らなかった一部の自治体には逆に有名になりすぎて反逆者として総務省に発表されて逆に大宣伝効果を産み出されお金が集まりすぎるところも。
泉佐野市の百数十億を筆頭に反逆者たちがゾロゾロ。

わたしそんな反逆系の地方自治体大好きなんですが、今年は静岡の小山(おやま)町に決定!
ナンテッタッテその還元率が総務省通達ガン無視の四割。しかも、中身はJCBの商品券やアマゾンのギフト・カードというなんとも特産品とは無縁のチョイス。
一例です。
いや待て!
ああ〜そうか〜。このギフトカードを使って小山の種々の特産品を買えばよいということですよね。これは失礼致しました。w

2018年12月9日日曜日

難病指定医の資格取得のための講習会

日曜だけど一日中講習会でした。

場所は栄の愛知県医師会館ということで、いろいろな講習会の殆どはここで行われるのですが、折角の日曜日を朝から晩まで部屋に閉じこもって少人数でずっと講習というのも何だかな〜というところですが、資格取得のためには致し方ありません。

難病指定医というのは厚生労働省が指定する330種類の神経、消化器、呼吸器、膠原病その他の難病に対する公費助成を新規・継続申請するための公的資格でして、取得は講義を受けてcertifyされるということが条件。各種専門医認定されているスペシャリストの先生方も申請することでこの資格を得ることが出来ます。

一日中勉強してみて改めて認識を確かにしたのは昔から授業で受けてきた難病というのは、確かに原因の分子レベルでの究明、診断法の進歩、治療法等それぞれに関して幾分かの進歩を見せているものがあるのですが、全体を眺めわたしてみると正直やはり“治療法の完成からはほど遠い”ものがまだまだ殆どだなということでしょうか。

難病の多くは人口比でいくとどうしてもパーセンテージが低いためAIDSや癌ほどのお金が研究に叩き込まれません。研究の進歩というのは現金なもので、通常投入された金額や労力は正直にその治療法等の解明に比例してきます。(まあ、なんの研究でもそうですよネ。)

そういう意味で、難病といわれる疾病で苦しむ方々を経済的にも医学的にも助けるためにはその希少疾患を含む難病の症例を網羅的に集めて、各種の進歩に資する為のベースにすることが大切となってきます。

今後の数十年で、更に包括的・網羅的な研究の進歩が行われるのではないかという想いが現実化する日が来るのを心から待っています。

2018年12月8日土曜日

今日は医局の忘年会

本日は連続する忘年会へと出席。

今夜は三病院合同での忘年会です。昨年も同じフレンチのお店Le Pignonで美味しいお酒と料理を堪能しましたが、この日もワインと料理を愉しむために万全の体調で臨みました。

今までの医局合同忘年会はいつも格式ある日本料理店でのお酒と珍しい料理、お寿司等々だったのですが、そのお店が左前になって以来このお店に変更されています。ちなみに夏は陳建一のお店で中華ですが、こちらはちょっとホットな味で向き不向きがある感じ。

今回も六時半に二十名弱がお店に集まり美味しいお皿が次々に眼の前に並んでいきました。後で知ったのですが、厳選された赤ワインばかりをライトなものからヘビーなものへと次々に出すのは”赤ワインが好き”な理事長のアイディアだそうで、白ワイン好きの私には「!」だったのですが、それでもここで出だされる赤ワインは美味しい。

理事長に「なんで赤ワインですか?」と尋ねたところ、単純に「私が赤ワイン好き」という理由に加えて「ポリフェノールが入ってるし」というものでした。w
毎回貸切での食事会ですが、美味しいものは雰囲気が良いところで食べるとなお美味しい、というのが解るようなセットアップです。

そもそもこのお店は外からは全くフレンチレストランと判らないお店なんですが、一体全体どうやってこのお店を人に知られるように運営しているのか・・・。しかし、グーグルでの評価は44人のほとんどの人が五つ星。きっと知る人ぞ知るという店というのはこういうお店なんですね。

また来年も食べられると良いなって思いました。