アルコール依存症で、若い頃から何十年もの大量飲酒の挙句に肝臓に腫瘍を宿しても早い段階で見つかった腫瘍。オペをすれば完全に取り除けるレベルの頃から敢然としてオペを拒否。硬軟取り混ぜた説得にも全く心が揺れることなくまさに「頑な」という感じの拒否が続いた末にどんどんと腫瘍は巨大化。
表皮からもその肥大した腫瘍が見える様な状況になった時も表情一つ変えず普通の、ごく普通の日常を送り続けられました。不幸中の幸いは癌性疼痛に悩まされる事が無かった事。最後に心電図がフラットになる瞬間まで本当に穏やかな状態でお話をすることが出来ました。
後で御親族にお話を伺ったところ、奥様を亡くされた後から「お酒を呑む」と云う行為に歯止めが掛からなくなったという事でしたが、心優しいこのおじさんはその損失に魂が耐えられなかったのではなかったのか。
淡々と酒を飲み続け、喪失の悲しみから逃れ、自分を治し延命するという行為からも拒否して奥様のもとへ旅立たれたこのおじさんの事を考えた時に、このおじさんが酒を呑み続けた事をその心情を知る術も無い我々外野があれこれいう事が出来るのか疑問に感じるのです。
上辺の事実だけを箇条書きで書き連ねれば、単にアル中のおじさんが酒に溺れた挙句に肝腫瘍を患ってオペを拒否して亡くなったという骨格だけしか残りませんが、その奥にある肉付けされた部分を知ると、物語りの奥行きがそんなに浅いもので無い事に気づく人も多いのでは無いでしょうか。
歳をとってくると解ってくる人の心の弱さや強さ、襞のなかに埋もれた物語に考え込んでしまう事が増えました。若かった頃には切り捨てていた部分に目が行くようになったのは成熟なのでしょうか?
自身は成長は感じてないですけどね。w
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